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航空史探検博物館機名別索引

 

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 必読 日替わりメモ

ヒコーキ雲に対するご意見、必読日替わりメモのご感想や質問回答をメール( sa@axisz.jp 冒頭にkをつける)でお寄せください。

勝手なお願い : インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新作業は早朝半眠状態の時に行うことが多くミス多発です。気付いての修正がありますので数時間後にもう一度見ていただくようお願いします。 佐伯邦昭
 
日替わりメモ20100220番

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A2607 航空史探検博物館 福島県伊達市 やながわ希望の森公園  (伊達市長から展示機の洗浄について回答)

○ やながわ希望の森公園 (伊達市長から展示機の洗浄について回答)

 伊達市から文書回答を頂きました。1月8日に展示機の現状を知らせてからひと月半も経った割には、やや内容の乏しいお答えではありますが、仁志田昇司市長さんの直筆署名入りであり、きっと内部でさまざまな検討や議論があっての結論でしょうから尊重してあげたいと存じます。

 ひと月半の間には、伊達市内で昔のチンチン電車の復元に取り組んでいるボランティアの紹介があり、また展示航空機の維持管理については「かかみがはら方式」に関する投稿もありました。(人生録Z34『飛行機というものは、かくも冷遇される存在か』論を覆す 各務原方式の紹介 )参照  

 伊達市でホンダ航空などにも呼び掛けてみたのではないかと想像していますが、残念ながら民間でボランティアに手を挙げる人がいなかったのでしょう。

 しかし、回答文にもあるとおり20年間放置同然の状態、わずかに危険防止の柵で近寄らせないようにしただけの管理から、このように市長さんが関心を持つようになってくれたことをインターネット航空雑誌ヒコーキ雲として秘かに満足感を覚えます。

 

日替わりメモ20100219番

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○ 続々 野島の日本海軍隧道式格納庫跡の説明板について  日替わりメモ0215、0216 A3711関連

 この件について、横浜市環境創造局公園緑地整備課長さんから次のとおり回答がありました。

 野島の掩体壕の説明板について、ご質問にお答えいたします。

質問1  海軍では隧道式格納庫と呼称していたという説がありますが、貴市が「掩体壕」とされた根拠をお知らせ下さい。

→ 「掩体壕」という言葉については、野島公園を記事にした新聞(神奈川新聞H21.9.7/東京新聞H18.8.15)の見出しで「掩体壕」という言葉を使用しており、市民に説明する際には、一般的な言葉遣いであると考え、これに準じて使用しています。

質問2  設営隊を精鋭部隊と性格づけられていますが、日吉や松代に加わったから精鋭というのでしょうか。より具体的な根拠をお知らせください。

→ 「精鋭部隊」については、「神奈川県立 金沢文庫」発刊の「目でみる近代の金沢」の中にある記載を参考にしています。

質問3  西口前の公園整備工事の完了予定と当該説明板の公開日を教えてください。

→ 工事の完成は平成22年3月下旬で、公開は遅くとも4月1日を予定しています。今後ともご理解とご協力を賜りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

横浜市環境創造局 公園緑地整備課長 上原啓史
                                   公園緑地整備課 電 話:045-671-2653 FAX:045-671-2724

佐伯から : まずは、速やかなお答えに接し、横浜市役所の顔が市民の方を向いているなという率直な印象を受けました。その面で敬意を表します。ただし、小さな問題ですが、1と2に関しては素直に受け入れがたい気持もあります。

1 野島や夏島の隧道式格納庫は、単機を隠ぺいするための有蓋掩体又は無蓋掩体とは明確に区分されるものです。2で引用されている「目でみる近代の金沢」60頁の写真にも地下格納庫と記され、掩体壕という文字はありません。新聞記者が考証もせずに誤った用語を使うのも困ったことですが、公共機関が史跡の説明に新聞を安易に受け入れるのは如何なものでしょうか。

2 精鋭部隊に関しては、「目でみる近代の金沢」を参考にしたと答えていますが、60頁の写真解説をそっくり転記したものであって、こういうのは参考とは言いません。

 そもそも「海軍の将兵に技術者を加えた精鋭部隊でした。」という原書執筆者の考えを聞いてみたいところです。

 ニュースフラッシュN709イルミネーションロード くれの紫電改」において、紫電改生産のために掘った延長2キロメートルの岩国地下工場について「掘削や建設は寄せ集めの隊員で編成された海軍施設部隊が担当」と書いています。こちらは精鋭部隊のニュアンスではありません。

 しかし、将兵や技術者に如何に優秀な人を集めようとも、彼らが重機を使って鮮やかに掘り進んだという訳ではありません。人海戦術で鶴嘴(ツルハシ)とシャベルと軽籠(もっこ)の苦しい労働に明け暮れた下級兵士、民間人、外国人らのことが「精鋭部隊」という言葉の中から完全に欠落しています。

 そのことを説明板に書けとまでは主張しませんが、戦争末期の大愚作ともいえる隧道を前にして「精鋭部隊」の文字に違和感を覚える人もいると思います。横浜市には市史資料室があり、金沢区には精力的に郷土史を発掘しておられる方もいます。公園緑地整備課長さんには、その人たちの意見を幅広く聞いて頂きたいところです。

 また、この私見について、皆さんのご意見も承りたいと存じます。

 

日替わりメモ20100218番

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○ 「航空100周年記念・日野熊蔵の飛行機遺産に学ぶ」行事について

テーマ:“熊蔵ウイング・メモリアルフライト100 Come fly with KUMAZO 100th memorial flight
日時:平成22年3月22日(月曜・振替休日)午前10時〜午後6時
    

会場:山江村 時代(とき)の駅むらやくば(旧山江村役場庁舎)
  
  熊本県球磨郡山江村大字山田甲1415 0966-35-7000
入場料:無料  交流会:有料(午後4時〜6時 会費2000円)
   =参加申込み不要・先着順、交流会希望者は当日会費徴収=

ねらい:翼や空をイメージする楽しいジャズ演奏を交えながら、日野熊蔵が日本初飛行で乗ったグラーデ号と日野式飛行機、日野の作曲した『飛行機唱歌』の紹介や彼の発明品他についてのリレートーク。日野の飛行機模型と写真パネルなど、これらを地域の宝(文化財)である会場と共に日野ウイング100年のフリートークとサウンドを楽しむ午後のひととき

日程:10:00〜:00 会場見学・日野飛行機資料展示 
    1:101:30 第1回演奏 曲目「翼を下さい」他
    1:30〜3:00 リレートーク 渋谷敦 早川博康  松本晉一 
    3:00〜3:20 第2回演奏・合唱会 曲目「飛行機唱歌」他
    3:304:00 フリートーク「日野が乗った飛行機たち」
    4:00
6:00 交流会(有料2000円) 第3回演奏会 展示紹介

リレートーク:「日野熊蔵・日本初飛行」渋谷敦(伝記作家)
        「初飛行グラーデ号とは」早川博康(古典機研究家)
        「熊蔵の飛行機たち」松本晉一(産業考古学会)

演奏:ピアノ(園田智子) ボーカル(園田雄也) 
        曲目(予定):「翼を下さい」「飛行機唱歌(日野作詩)」空の
Jazz

展示資料:グラーデ号設計図及び飛行機模型 当時の航空機資料
        日野熊蔵関連資料及び写真 当時の雑誌・新聞資料 記念絵葉書他

交通:九州自動車道人吉インターから車で5分、肥薩線人吉駅から車で10分、駐車場:山江中央グラウンド他 人吉駅から山江村会場までボンネットバス送迎有(人吉駅発:1230分、むらやくば発:540分) 

お断り:会場は旧役場の建物で手狭です、来場者多数の場合は立見になります

主催:熊本産業遺産研究会 文化庁 熊本県 熊本県地域文化芸術振興プラン実行委員会 
    文化財のしらべ実行委員会 
協賛:産業考古学会航空分科会 山江村
事務局:熊本産業遺産研究会
 連絡先:
868-8502熊本県球磨郡山江村山田甲1356-1 九州山江村役場 産業情報課


・ 熊本産業遺産研究会 松本晉一さんの添え書き

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲で映画「カサブランカ」のラストシーンに登場する飛行機が話題なったとのことなどを日本航空協会からお聞きして連絡します。

 
内容は上記のとおりで、日野熊蔵の初飛行とグラーデ号、日野式飛行機についてのリレートークに、「日野熊蔵の飛行機唱歌」をはじめ、空や翼などの飛行機にちなんだジャズ音楽をフィーチャーした内容ですので、楽しい音楽を交えた、ご家族や親子の皆さんにも楽しめる会として企画してみました。
 また、初飛行のグラーデ号の他にも、所沢飛行場で日野が飛んだライト号やアンリファルマン号、ブレリオ号の紹介、そして当時の記念絵葉書、グラーデ号模型や設計図、日野式飛行機の模型やその解説写真とパネル展示等、当時の航空関連資料の紹介も行います。

 そして夕方4時からは地元の食材に美味しいお酒を加えて、交流会とジャズ音楽、そして会場の時の駅(旧山江村役場)の雰囲気をボンネットバス「マロン号」と共に味わっていただけばと考えています。

少々、急な開催決定で恐縮ですが、どうぞ、春を求めて当地へお出かけ下さい。人吉駅から車で10分、九州自動車道人吉インターから車で5分の所です。人吉駅から現地まで、マロン号の送迎も計画しております。どうぞ、お待ちしております。

平成22216                   熊本産業遺産研究会  松本 晉一 
                                 〒868-0004熊本県人吉市九日町115

                                 Tel 0966-22-2928
 Fax 0966-25-1360
                                 Email
smatsu@fsinet.or.jp (@を小文字に)

佐伯から : 日本の航空100年にあたり、楽しみながら郷土出身の名士を讃え、併せて航空思想の普及を図ろうという企画は素晴らしいことで、関係者の皆さんのご尽力に敬意を表します。また当方へ紹介頂いた日本航空協会にお礼を申し上げます。
 出演者の1人である
渋谷敦さんの著書「日野熊蔵伝 日本初のパイロット」を、図書室T30で取り上げています。一つの見方としてパネルにでもして頂ければうれしいです。

 当日のご盛会を祈り、その概要をインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の方へ投稿して頂くようお願いします。

 

日替わりメモ20100217番

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R106
A3502
調査研究コーナー ノースウエスト航空DC-10のドアトレーナー DC-8コックピット
航空史探検博物館 千葉県成田市 航空科学博物館館内展示 DC-10のドアトレーナー DC-8のコックピット

○ ノースウエスト航空DC-10のドアトレーナー

 斜めの見方をすれば、このトレーナーは安全確保とスチュワーデスさんの維持に金がかかる一例といえます。ノースウエスト航空が成田空港にDC-10専用のドアトレーナーを設けていたという。もちろん本社の訓練施設にも同じものがあるのでしょうから、機種ごとに成田にトレーナーを設けていたとしたら大変なことですね。

 それはともかくとして、60年来慣れ親しんできたNORTHWEST AIRLINESのロゴを飛行場で見ることができなくなりました。同社を吸収したDELTA AIR LINESは、日航を傘下に加えてノースウエストが蓄積してきた太平洋路線のシェアを一挙に拡大しようとしましたが、不調に終わったようです。成田に残るノースウエストの施設をどのように活用しているのかは知りませんが、アジア地域のキャビンアテンダントの訓練を、やはり成田で行うのか、それとも仁川あたりを拠点にするのか、航空界の栄枯盛衰はまことにめまぐるしいことであります。

 

日替わりメモ20100216番

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G14
「表紙絵72] 珍しい4枚ペラの小型機 ハスキー JA89BB
日本のグライダー 珍しい4枚ペラの小型機(グライダー曳航) ハスキー JA89BB
N715 ニュースフラッシュ 2010/02/08 エアロックの活動停止について  11番目の感想を追加

○ 珍しい4枚ペラの小型機(グライダー曳航) ハスキー JA89BB

 セスナやパイパーをはじめとする単発の民間小型機のプロペラは2枚又は3枚が普通で、定速の4枚ペラというのは、まるで第二次大戦末期の戦闘機みたいなもんで、きわめて珍しいのではないでしょうか。クリステン・インダストリーA-1 JA89BBのアメリカでの経歴で、Air Worthiness Test: 1989-07-05  Certification Issued: 2008-10-15 とありますので、2008年10月に2枚から4枚に変えて耐空証明を受けたものと思われますが、日本に輸入して来ても航空局の承認に手こずったという噂も漏れ聞きます。ありうることです。

 YouTubeでその離陸シーンをみますと、たしかに強力な感じを受けます。本機でグライダーを曳航する人も曳航される人も安心でしょうね。 もっとも立派なスピンナーに較べてブレードがやや頼りなげですが。(表紙絵)
 しかし、もともと2枚ペラで設計されたエンジンと機体に4枚ペラを付けた場合、どこかに手を入れているのかどうか、力学的にどうなるのか素人として関心があります。

 模型飛行機でもプロペラの数をふやせばいいってもんじゃないと思うのですが、専門家のお考えを聞きたいところです。


○ 続 野島の日本海軍隧道式格納庫跡に立派な説明板が建てられた 

 昨日書きました疑問について横浜市金沢区の区長さんに質問しましたら、すぐに次のような予告がきました。こういう素早い対応は、国民として非常にうれしいですね。

佐伯邦昭 様
 お問い合せありがとうございます。金沢区役所区政推進課広報相談係です。お問い合せの野島の掩体壕の説明板につきましては、公園整備の一環として行われておりますので、所管部署の横浜市役所環境創造局に転送し、お答えするよう申し伝えました。よろしくお願いいたします。

 また、先般来、問題にしてきた福島県伊達市の展示機の汚れ問題についても、伊達市市民協働推進課から「市長決済が済み次第文書で送ります」という連絡があったので、間もなく届くのでしょう。

・ たらい回しで済ませてはいけません
 苦情・要望・質問に対しては、直ちに処理してその結果を答えるというのが勿論ベストですが、組織では即断即決はなかなか難しいです。よって、そこのところを、納税者の側に立って解決を早めていくのが広報公聴マンの腕の見せ所といえます。
 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲を通じての経験では、広報公聴の一番大切な部分を認識していない役所(民間大企業も同じ)のほうが自衛隊をはじめとして圧倒的に多いです。

 それは、彼らの尻を叩いて目を開かせるように努力しない国民(納税者)にも責任があるのです。金沢区役所の広報相談係さん、そう思いませんか? 

            (40年ほど前に市民相談課職員として主管課から嫌われた経験をもつ男より)

 

日替わりメモ20100215番

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A3711 航空史探検博物館 横浜市金沢区  いしぶみ 野島 の日本海軍隧道式格納庫跡に立派な説明板が建てられた 

○ 野島の日本海軍隧道式格納庫跡に立派な説明板が建てられた 

 最近まで進入防止のトタン板で遮蔽されるだけで何の説明もなかった野島の隧道式格納庫入口でしたが、西口の公園整備にあわせたのか立派な説明板が設置され、公園の工事完了後に近くで見ることができるようになるみたいです。

 説明板には、防衛省技術研究所が持っている素掘り状況の写真が添付され、同時進行の夏島の隧道と併せて小型機100機を格納する予定であったとあります。

 横須賀海軍工廠で大和型戦艦を急きょ超大型航空母艦に切り替えた信濃(塔載機数約50機)が、完成直後の昭和19年11月にいとも簡単に撃沈されてしまい、あわてた海軍が虎の子の戦闘機を守るために100機格納のトンネルを計画したのでしょうか。

 「隧道式格納庫」を横浜市が「掩体壕」と正式に呼称しているのはちょっと気になります。技研の資料に準拠しているみたいですが、根拠があるのでしょうか。もし、一般に通りやすい固有名詞で説明しているとすればせっかくの立派な説明板が画龍点睛を欠きますね。

 隧道工事を担当した海軍設営隊が日吉の連合艦隊司令部地下壕や松代の大本営地下壕に加わった精鋭部隊であったという文言も気になります。第一線で掘り進めた労働の主力が誰であったかまで言及する必要はないにしても精鋭部隊とは? いささか?

 以上、あくまで佐伯の主観的感想ですが、構造物の今後の管理を含めて、そのあたりの事情を金沢区役所に聞いてみたいです。

 

日替わりメモ20100214番

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○ 名称考


撮影 阿施光南  Classic Jets Fighter Museum(オーストラリア アデレード飛行場内)にて 

 2月11日は、建国記念の日でした。国民の何割がその日の意味を理解しているのでしょうか。ほんの一部の人たちが奉祝と反対の集会を開いたという夕方以降のニュースで、そんな日であったのかと知る人が多いのではないでしょうか。法律で定めながら、国が周知の責任を放棄している典型的な例だと思います。

  昔は、ちゃんと登校して、紀元節をお祝いし、「雲にそびゆる高千穂の〜」と歌って帰宅したものです。この日は神武天皇が即位した日であると日本書紀に書いてあります。「我が皇祖皇宗國を肇むること宏遠に〜」(教育勅語)と現天皇まで連綿と続いてきた国体の始まりの日であるということを、教えられていました。

 神武天皇が即位してから数えて節目の2600年、即ち昭和15年は日本を挙げてお祝いをしました。「〜紀元は二千六百年 嗚呼 一億の胸は鳴る〜」と吾輩は幼稚園児でありましたが、恐らく家族と一緒に歌っていたでありましょう。

 今の学校では、それが悪いことであったと教えているのかもしれませんが、休日が単に休めるからうれしいという訳のわからない「建国記念の日」よりは、よほど明瞭な意義づけがありました。今の先生方は、2月11日のことをのようにしゃべっているのかしら‥

 さて、前置きはこのくらいにして、ニューギニアあたりの墜落機からはぎ取ってきたらしい三菱重工業株式会社製の銘板には『一〇〇式司令部偵察機(二型)』とあります。ご承知のように同じ紀元2600年に制式採用された十二試艦上戦闘機は『零式 1号艦上戦闘機』と命名されました。

 海軍がレイシキと名付けた故に日本語特有の混乱が生じました。零戦総目録零式艦上戦闘機の正しい呼び方参照)

安部安雄説 酣燈社太平洋戦争日本海軍機より

 ゼロセンには非ずレイセンなりと、頑固に主張するレイセン派は、建国の日のルーツを知って休んでいるのかと叫ぶ人たちと同じように、だんだん肩身が狭くなってきている感じがします。

 ゼロセン派の連中は一式陸攻をワンリクと呼ぶのかいなと毒付きたくもなりますが、陸軍だって99式をキュウキュウシキと呼ばせながら、一〇〇式をイチレイレイシキとは呼ばないという不統一があります。もっとも皇紀2601年以後は、イチシキ、ニシキ、サンシキと命名して行くので、百式司偵も正しくはイチレイレイシキと呼んでいたのが、面倒なのでヒヤクシキに慣用されていったのかもしれません。

 日本の名称はかくも面倒であります。オーストラリアの博物館にある『一〇〇式司令部偵察機(二型)』の銘板を見せていただいたので、紀元節に引っ掛けて愚考を開陳した次第です。失礼しました。


○ バンクーバー冬季オリンピックの開会式を見ました。あの多彩なセレモニーがどういう仕掛けなのか全くわからず、三次元の世界にただただ驚くばかりでした。

 それとは別に、カナダが先住民を含めて多民族国家を堂々と表に出しているのが非常に印象的で、時あたかもクリントイーストウッド監督の父親たちの星条旗において、先住民族の兵士が将官たちから差別される哀れなストーリーを見た後だけに、アメリカとカナダの違いを改めて認識させられました。

 以前、モントリオールで移住日本人のグループにお会いした時に「私達は安定した生活で幸せに暮らしています」と語っておられたことを思い出したのです。

 

日替わりメモ20100213番

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航空史探検(思い出) 人間航空史  メキシコ 勤務時代の思い出 大統領特別機訪日に寄せて

○ メキシコ勤務時代の思い出 大統領特別機訪日に寄せて

 その昔の海外勤務者が日の丸や鶴丸マーク時代の日航機に感激したと回顧するのは普通ですが、MU-2やYS-11に接して特別の感慨を覚えたという人は関係業界を除けばやはり強烈なヒコーキマニアでありましょう。その趣味に興味のない人には分からない独特の境地ですからね。

 中国は重慶へ旅行した時に、飛行場から最初に乗せられたマイクロバスがトヨタのハイエースで、フロントガラス上の時計が壊れてぶら下がっているようなひどい中古車であり、市内に入ると日本の会社のロゴが残っているバスなどを見掛けました。20年以上も前の話ですから最近の中国の大都市では考えられない昔話になってしまいました。

 しかし、中古であろうと何であろうと異国の地で思いがけず日本国産物が活躍しているのを見るのはうれしいものです。そして、優越感も感じたものですが、今では、中国人が日本国内であらゆる分野にMade in Chainaを見つけて優越感に浸たる時代になったようです。

 自分たちの利権と将来の安定につながる分野にばかり予算を重点配分してきて、票につながらない産業を二の次にしか考えてこなかった政治家と官僚の責任は重大です。民間、防衛を問わず航空産業はその大きな犠牲者の一つでしょう。

 

日替わりメモ20100212番

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HOME 「表紙絵71] YS-11試作1号機が横風テストで松島基地に滞在 第3飛行隊のF-86Fと一時同居
調査研究コーナー 国産旅客機YS-11研究 再編集 [1]試作機から退役までのさまざまな思い出
      新 YS-11試作1号機 横風試験で松島基地に滞在
N715 ニュースフラッシュ 2010/02/08 エアロックの活動停止について  10番目の感想を追加

○ YS-11試作1号機 横風試験で松島基地に滞在

 主翼上反角の改修など大改造を終え、数か月後には待望の型式証明を受けようと、1964年の2月には試作2号機が千歳で耐寒テスト飛行をやり、同3月には試作1号機が松島で横風テストを受けました。松島では予定していた25ノットの風が吹いてくれず、最大18ノットでしか試験ができなかったので、再度実施された模様です。
 今朝は、千歳から松島へ移動して来ていた第3飛行隊のノースアメリカンF-86Fも見えるなどの貴重な写真を発表しました。

 なお、調査研究コーナー 国産旅客機YS-11特集は、主として日本エアコミューター機によるYS-11最終飛行を中心に編集していましたが、既に3年が経ちましたので、全体を見直して「国産旅客機YS-11研究」として再編集しました。

 特に [1] 試作機から退役までのさまざまな思い出 のページには、ただいま載せている項目の何十倍何百倍もの思い出があるはずですから、皆さんのアルバムの中から、YS-11の節目々となるような写真を見つけ出して送ってくださるようお願いします。 

 

日替わりメモ20100211番

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N717 9時追加 ニュースフラッシュ 2010/02/09 ハイチ救援車両等運搬のア ントノフAn225
N716 ニュースフラッシュ 2010/02/10 アッバース パレスチナ自治政府大統領特別機
N715 ニュースフラッシュ 2010/02/08 エアロックの活動停止について  感想を1件追加

○ アッバース パレスチナ自治政府大統領特別機の写真を送ってくれた‥

ハロースクエアさんが、成田のAn-225飛来を後から知って茫然自失と書いてきました。他サイトによるとこの巨人機のために厚木や羽田の常連がたくさん詰めかけたそうですが、当方にも1枚も写真がきていません。誰かが送るだろうと譲りあっているのでしょうか。私は、茫然自失の心境ではありませんが、やはりニュースフラッシュで皆さんに紹介はしておきたい気持はあります。

9時00分 追加書き込み 上記を書いて朝食後メールを開きましたら、jetjunさんからAn-225の写真が届いていました。入れ違いでした。早速アップするとともに、いらぬお節介を謹んでお詫びして取消線を引いておきます。

 航空史探検博物館向けの情報については、こちらから積極的にお願いをしますが、ニュースフラッシュはあくまで受け身です。各地でニュース性のある写真を写されましたら、日々1千件以上のアクセスがあるインターネット航空雑誌ヒコーキ雲で全国の皆さんに見せてあげてくれるように、(気が向いたら)送ってくださいね。


○ 質問 滋賀県の特攻基地について   MBHさんから

 いつも楽しく閲覧しています。学生時代から20年ばかり滋賀県に居住しておりました。特に大津駐屯地の紹介記事や「ホテル紅葉」、また際川の飛行場にもよく日赤航空隊の訓練風景や琵琶湖上での水上機の離発着訓練などを覗きに行った思い出など懐かしさでいっぱいです。
 ところで第2次大戦末期に滋賀県に特攻機の基地があったことをご存知でしょうか?

佐伯から : 滋賀県のしがけんバーチャル平和祈念館の展示室→個人展示→地域社会と戦争→その時人々は‥ を開くと陸軍特別攻撃隊殉皇隊などの手記や写真が出ています。一度ご覧ください。

 なお、質問とは関係ありませんが、実際の平和祈念館建設構想はどうなったのでしょう。知事が替り、財政事情もあって沙汰止みなのかもしれませんが、とにもかくにも、ここに展示する予定としていた零戦モドキA5205参照)を公の施設に海軍零式戦闘機などとして展示することだけは、永久にご放念のほどお願いいたします。

 

日替わりメモ20100210番

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Z35 ヒコーキマニア人生録 その33 《見学記》 大阪航空専門学校
N715 ニュースフラッシュ 2010/02/08 エアロックの活動停止について  感想を1件追加

○ 大阪航空専門学校

 予告していたヒラタ学園大阪航空専門学校の見学記を発表しました。表紙絵にあるセスナ172をはじめNナンバーの小型機など機材をいろいろと揃えているようです。ただ、堺市西区の鳳西町という何か航空に関係がありそうな地名ですが、Googl earthでみますと、或る時期に農地が急速に宅地化した典型的な都市化地域であり、滑走はもちろんのことエンジン音もはばかられる環境が気の毒です。

 しかし、同校のブログでは、全国の高校に進学を呼び掛けている様子や、近くの高校にフライトシミュレーターや航空整備機材を持ち込んで課外授業を行っている様子などが報告されていて、たいへん興味深いです。


○ アクセス解析を取り止めました

 トップページをはじめ各ページの最下段に「アクセス解析」という小さなマークがあって、目障りでもあるし、皆さんに或る不信感を与えておりましたが、今回の内容点検に伴ってすべて削除しました。(一部、消し残ったページもありますが、既に機能していません。)

 或る不信感を与えたというのは、自分が見ていることを佐伯に特定されるのではないかという疑念をもたれたらしいということです。
 そういうことは全くありませんのでご安心ください。確かに解析データの中にIPアドレスは示されますが、この8桁の数字から所有者を知ることは不可能ですし、プロバイダーに問い合わせたって絶対に教えてくれないからです。同じIPアドレスの出現頻度から、特定の人を想像することはできるかもしれませんが、そんな時間も利益もありません。インターネット航空雑誌ヒコーキ雲においては、皆さんからのメールで「日々ご苦労さん」とか「毎日楽しみにいます」という添え書きがあることで十分なのです。

 削除のもう一つの理由は、閲覧の傾向がほぼつかめたことです。各月の上位閲覧は大体同じで、@トップページ、A日替わりメモと続きますが、3位には「或る戦闘機の戦後史 飛燕」が必ず入っています。最近は「三菱零式艦上戦闘機及びその部品等の掲載目録」も上位に顔を出し始めていました。これは意外でもあるし、日本軍用機マニアが如何に多いかということを如実に示す根拠を私に与えてくれています。

 4位以下に続くのは、関東地方、東北、九州、北海道の各目次ページです。また、個別ページで上位に顔を出すのは、なぜか宮城県、埼玉県、北海道、東京都、青森県などの東日本の自衛隊基地が多いという傾向もありました。

 更には、都道府県別のアクセス合計数も表示され、これは、ダントツの東京都をはじめとする首都圏が半分以上を占めておりました。或る程度人口に比例していますが、どことは言いませんが、関心の薄い県もありました。

 以上のような傾向がほぼ把握できましたので、不信感を与えてしまうような行為をホームページ上にいつまでもさらすのは得策でないと判断した次第です。 

 なお、2001/01/01以来のアクセスカウンターは、もちろん残しております。

 

日替わりメモ20100209番

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Y-4 調査研究コーナー 国産旅客機YS-11研究 [4] YS-11のさまざまな思い出
 
新 I ”稀観” 日本国内航空のJA8653 ダイヤモンド号のカラ―写真 
N715 ニュースフラッシュ 2010/02/08 エアロックの活動停止について

○ ”稀観” 日本国内航空のJA8653 ダイヤモンド号のカラ―写真

  ”稀観”などという単語は漢和辞典にもない佐伯の造語ですが、この写真を見て分る人もいると思います。

 JDA日本国内航空は、購入したYS-11に宝石の愛称を付け、1968年にすべてを地名などの平仮名表記に替えました。(追加する宝石の名前に窮した?)

製造番号 JA 登録日 宝石名 変更後
2006 8640 1965/05/15 真珠 あかん
2007 8643 1965/06/16 黒耀 ひだか
2014 8648 1965/10/07 珊瑚 つがる
2016 8651 1965/12/08 (聖火) とわだ
2017 8653 1966/01/08 ダイヤモンド いず
2020 8656 1966/03/31 サファイヤ あかし
2022 8662 1966/05/12 ルビー なると
2032 8667 1967/02/04 オパール むろと
2037 8675 1967/04/22 ガーネット きりしま

 したがって、宝石の名を機首に記入したYS-11の写真は非常に少ないですし、ましてカラー写真となると見たことがありません。手持ちの本では、2004年12月イカロス出版社発行のAIRLINE旅客機シリーズIの76ページに珊瑚、真珠、ダイヤモンドの3機が並んでいる写真がありますが、もちろんモノクロです。杉山さんから提供のあったコダカラーのスライドを見て”稀観”と名付けた理由がここにあります。米国から入手されたそうで、場面は雪の千歳のように思えますが、1966年に高価なカラ―ポジファイルムを使えた人物は誰でしょうかね。


○ エアロックの活動停止について

 皆さんと私の感想を紹介しておきました。「16億円もの資産がある鳩山君、2億円ほど航空ショービジネスに出資してくれないかな 」とは書きましたが、「いのちを守る」を標榜する総理ですから、アクロバットのような死と隣り合わせの事業に手を出すのはまっぴらご免と断られるだろうな!

 

日替わりメモ20100208番

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A3502 航空史探検博物館 千葉県成田市 航空科学博物館館内展示 映画ハッピー フライトのボ―イング747-400のコックピット

○ 映画ハッピー フライトのボ―イング747-400のコックピット

 ハッピー フライトのために製作されたボ―イング747-400のコックピットが航空科学博物館に寄贈されています。にばさんの感想のとおり、実物を丁寧に再現していることが写真でもわかります。大分市の日本文理大学A8403に747の訓練用シミュレーターがありますが、そこへ並べて展示してみたら面白いだろうなと思います。(ただし、日本文理大学のは-300以前のもので航空機関士パネルもあります。)

 映画は大ヒットし、ジャンボ誕生の地でも上映されて開発者などから絶賛されたそうです。にばさんによれば、過去の航空映画でこれほど多岐にわたって飛行機に係わる人々が映されているものはなく、航空写真を撮るマニアやバードさんといわれるバードストライク防止の野鳥追い払い係まで登場するということで、これは必見ですね。

 残念ながら私は見ておりませんので、まずは、詳しく紹介されているフリー百科事典Wikipediaの『ハッピーフライト』と映画『ハッピーフライト』公式サイトで知識を仕入れました。

 

日替わりメモ20100207番

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HOME 「表紙絵70] 世界的ベストセラー機 セスナ172の輸入第1号機が健在
N714 ニュースフラッシュ 2010/02/01 メキシコ大統領特別機 ボーイング757
G12 日本のグライダー12 幻の滑空飛行第1戦隊 追補版

○ 「表紙絵70] セスナ172の輸入第1号機が健在

 現役機ではありませんが、航空史探検博物館としては『健在』そのものがうれしい限りです。セスナ172は言ってみれば尾輪式のセスナ170150を前輪式にしただけの改造ですが、同社ホームページによれば、その後も改良を重ねて172シリーズとしては4万3千機も販売し、いまだに生産されているそうです。まさに世界的ベストセラー商品です。

 JA3107は、172が発売された1956年に、日本のトップを切って輸入されました。
 セスナ社は、すぐに垂直尾翼に35度の後退角を付けたセスナ172A型に切り替えましたので、この機体は、輸入第1号機であると同時に、今や貴重なセスナ172の最初期型の保存機となりました。さすがに、木枠でお腹を支えられてはいますが、きちんと保管展示してくれている大阪航空専門学校に感謝です。
 なお、MAVERICさんによる同校の詳しい訪問記を近々発表の予定です。

セスナ172 JA3107の経歴

1956/08/30 c/n29154 セスナ社でロールアウト 登録N7051A 
1956/11/08 JA登録 日本観光飛行協会 定置場八尾空港
1957/07/04 日東航空→1964/04/15日本国内航空 定置場八尾空港
1968/04/11 日本リース 定置場八尾空港
1973/07/13 日本産業航空  定置場八尾空港→1984/09/28名古屋空港
撮影1982
/03/22 八尾空港 MAVERIC
1986/06/04 朝日航空 定置場名古屋空港→1989/12/27八尾空港 (求:朝日航空時代の写真)
1992/03/13 老朽によりJA抹消登録
2010現在 堺市 大阪航空専門学校に展示

○ 日本のグライダー12 幻の滑空飛行第1戦隊 追補版

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲を通じて、横浜市と山口県の郷土(航空)史家のお仕事が結びつきました。幻の滑空飛行第1戦隊のページを目にした横浜市の葛城峻さんが、生存しておられる元第1戦隊員を山口の古谷さんに紹介し、併せて海軍にも滑空部隊があったことを知らせたのです。その結果として、古谷さんの幻の滑空飛行第1戦隊追補版が生まれました。
 
葛城さんから頂いた書状の一部

‥ 埋もれてきたあの頃の空の若者たちの貴重な記録が陽の目を見ることになるでしょう。小生もうれしい限りです。「ヒコーキ雲」がなかりせば、このドッキングもなかったわけで、佐伯さんの仕事の素晴らしさを改めて感ずるとともにご仲介の労に深く感謝します ‥

佐伯としても望外の喜びであります。ありがとうございました。


○ 中途半端な内容点検

 休み中も毎日開いてくださった皆さんありがとうございました。そしてお待たせしました。

 この1週間、目が覚めると、おう今朝は更新しないで済むのだと、再び春眠(まだ寒眠か)をきめこんできましたが、今朝から苦行が再開しました。次のようなメールが来るので苦行もやむを得ませんね。

‥ 週間のヒコーキ雲のお休みは、毎日ページを開いている読者の一人としては非常につまらないですね。日曜日からの復活を楽しみにしています ‥

 さて、この休みの間に内容点検ができたかというと、とてもとても。我ながらインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の膨大な情報量のすごさに驚く始末で、リンク切れや画像欠損の修整が相当進んだかなという程度です。それでも、井上さんから巡集という問題発見のフリーソフトをご紹介頂き大いに助かりました。
全体を見ていて内容不備や体裁の不揃いなど書き直したいものが各所で目につきましたが、これをいじっているとあと1週間か2週間くらい休みを貰わなければなりません。

 よって、皆さんからの率直な訂正要求に応じてぼつぼつということにします。誰かが通告するだろうとか、黙って見ているのが大人だというような誤ったお気持ちは棚上げして、挨拶抜きでどんどん知らせてくれるようお願いします。

日替わりメモ20100130番

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A4516 航空史探検博物館  日本の風景 飛行場空撮  富士山静岡空港

○ 飛行場空撮  富士山静岡空港

 おなじみ富士山静岡空港空撮に、数あるアクセス道路の中のJR東海道線島田駅からのコースを書き入れてみました。地元の方、これで間違いありませんか?

 自民党幹事長も責任を認めた地方空港乱造ですが、ここへきて、日本航空の撤退の穴を富士ドリームエアラインズが埋めようかなどと第三の航空会社にとって思わぬ風が吹き始めたようです。茨城空港でも、大手2社が相手にしない隙間をぬってスカイマークが神戸線云々の話しもあります。また、マレーシアの格安航空会社が着陸料の安い地方空港にとか‥。

 路線確保もしくは路線維持にいずこの知事さんも血眼の状況ではありますが、富士山静岡空港の地上アクセスを調べておりますと、空も難しいが、地上も難しいことよのーと溜息がでます。茨城空港のアクセスはやさしいのでしょうか。

広島西飛行場問題に曙光
 そんなアクセスの悩みがひとつもない広島西飛行場を、こともあろうにつぶしてしまおうとした知事が引退してくれました。新しい知事はさすがに冷静に対処してくれています。

 滑走路のすぐ北に高架道路が建設(前知事がトンネル方式を高架にしてしまった)され、前知事の廃港論の一根拠となり、更には日航の鹿児島、宮崎線撤退もからんで、暗雲が立ち込めていましたが、ここへきて、新知事がヘリコプター基地(防災拠点)として存続させようじゃないかと提案してきました。

 前知事(敢て暗愚な知事と申し上げておきます)に、都心部に飛行場空間を造ることは二度とできないのであり、廃港を思い止まるよう再三にわたって提言してきた佐伯も、一応、胸をなでおろしているところです。滑走路が残れば、南の埋立による延長の可能性も残ります。

 日本航空協会にお願いです。高架道路が立ちあがる前に、広島西飛行場でスカイレジャー ジャパンを開いてくれませんかね。今や宝の持ち腐れになりつつある1800メートル滑走路が泣いて喜んでくれると思いますよ。ぱーっと盛り上げてくださいな。


○ 続 国産次期輸送機XC-2 初飛行について  SさんとCさんからメール

 新聞でXC2完成記事を見て、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲での取りあげを期待していましたが、早くも今日写真入りで紹介されました。さーすが!です。これは一見特徴的な下半角主翼などC1の大型化に見えますが、その全容・性能差はかなり大きいようですね。

 L/W/Hなど各部サイズその他主要目を馴染みの現用機などとの対比表があると実像に縁遠い者もぐっと近寄れます。
 特に目を引いたのは積載量と航続距離の大幅向上で、C1の約4倍に相当するのは驚きです。かつてC1完成当時、米空軍関係者が「いい飛行機だ。これで足が長ければなあ・・」と批評したことが思い出されます。(当時は専守防衛だからその必要なしとされた)

 「ひゅうが」に続いて建造中の「いせ」。そしてXP-2と並び今回のXC-2.。世界情勢変遷への防衛構想の追随と見るべきでしょうか。

 それにしてもXP-2XC-2開発費合わせて3400億円には驚きます。量産とか爾後保守費などを考えると素人目には完成機を買う方が得策では??と思ったりしますが、戦闘機生産ではF-2以降の国産計画もなく、ヘリもAH-64アパッチの生産がキャンセルされてしまい、当面最新鋭機種の国産計画がないということは、このブランクが今後に新技術開発の遅れ影響が出そうですね。C-X生産と欧米旅客機の部品下請け生産で息をつなぐだけでは情けないです。

 

日替わりメモ20100129番

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HOME  「表紙絵69] 国産次期輸送機XC-2 初飛行
N713 ニュースフラッシュ 2010/01/26 国産次期輸送機XC-2 初飛行

○ 国産次期輸送機XC-2 初飛行

時事通信の記事より

 川崎重工業は26日、航空自衛隊の次期輸送機試作1号機XC2の初飛行を空自岐阜基地(で行い、成功した。XC2はC1輸送機の後継として2001年度に開発が始まったが、強度不足などが判明し、07年9月の予定だった初飛行が大幅に延期されていた。
 防衛省は「1時間余り飛行し、結果は良好との報告を受けた」としている。今後、同社や同省が飛行試験を重ね、量産化に向けた予算要求をする。
 XC2は全長、全幅各約44メートル、高さ約14メートルで最大積載量はC1の約4倍の約30トン。航続距離は12トン搭載時で6500キロ(C1は2.6トン搭載で1700キロ)など輸送力が大幅に向上する。 

 苦節10年というと語弊がありますが、試作1号機がXP-2と同時に完成披露されながら、XP-2の初飛行に遅れること2年4ヶ月、26日の初飛行成功に川重も空自関係者もほろ苦い祝杯をあげたことでしょう。目のするどいマニアが翼端の小部品を落してきたらしいのを見つけるというおまけはありましたが。

 さて、防衛省は少々のことは目をつむってでも制式採用して量産体制にもっていきたいでしょうし、川重も早く開発費のもとをとって、できうれば旅客機タイプの開発をと考えているのでしょうか?

 26日の株価は、初飛行成功の速報が流れた直後に大きく上げましたが、すぐに落ちてしまいました。その筋の方たちの見方は、あまり芳しくないようであります。

 

日替わりメモ20100128番

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展示機の現役時の写真アップ
A1023 航空史探検博物館  北海道美幌町 陸上自衛隊美幌駐屯地 UH-1B
A1024 航空史探検博物館  北海道函館市 陸上自衛隊函館駐屯地 UH-1B
A4514 航空史探検博物館  静岡県御殿場市 陸上自衛滝ヶ原駐屯地 UH-1B
A4610 航空史探検博物館 愛知県豊川市  陸上自衛隊豊川駐屯地 UH-1B

A4514  航空史探検博物館  広島県世羅町 せらにし青少年旅行村 UH-1B

○ もろもろ

・ 埼玉県比企郡吉見町が、三菱十三式艦攻のプロペラをインターネット公売に出していました。価格を18万円と設定していましたが、見つけたBUUさんは、高いのか安いのか分からないといっています。既に落札者なしで終わっていますが、関心のある人は吉見町役場へ行って値切ってみては如何ですか。
http://koubai.auctions.yahoo.co.jp/auction/auctionpid=sai_yoshimi_town&oid=1259566019932360&aid=i11206673

 日本海軍艦上攻撃機の元祖ともいうべき傑作機のプロペラで、廣航第38(広海軍工廠航空機部で生産との記録あり)などの刻印も明瞭に残っています。役場が公売するということは、差押物件なのでしょうが、埼玉県でこんな貴重な資料を保存していた人は海軍関係者でしょうか、さだめし無念だろうとお察しします。

 せめて写真を写させてもらって航空史探検博物館に収納させてほしいです。どなたかお願いします。 


・  岐阜県のWさんから「青燕」のDVDが今月発売されたとの連絡を受けました。調査研究コーナーR60 『この飛行機のことを知りませんか?(韓国映画“青燕”関連の機体と判明! )』で取上げたパク キョンゴン(朴敬元)さんのヒコーキ生涯を画いた映画です。

 主演女優(チャン ジニョン)は、昨年、結婚したヵ月後に胃がんで生涯を閉じたそうです。35歳の若さでした。この映画では、立派な演技でした。また、監督は、全体に立川の飛行学校や飛行シーンや当時の日本の生活様式などを細かに考証して撮影しており、航空映画としては上等の部類に入ると思うのです。

 ところが、韓国でも日本でもあまりうけませんでした。韓国民がそっぽを向いた理由はお察しのとおりですが、日本人には、政治的なフィクションを入れ過ぎてしまったために、目をそむけるようなシーンがあり後味がわるいものになりました。DVDには、そのあたりもノーカットで入っているのですかね。

 

日替わりメモ20100127番

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R105 調査研究コーナー ロッキードT-33Aの防眩(艶消し)塗装について チップタンク内側のクローズアップ写真を追加
展示機の現役時の写真アップ
A1014 航空史探検博物館  北海道滝川市 陸上自衛隊滝川駐屯地 UH-1B

○ チップタンク内側のクローズアップ写真を追加しましたが‥‥

 ねずみ色のように見えます。ダークグリーン色が退化しているのかどうか、インターネット上の写真では判断できませんね。模型でT-33Aの艶消し塗料として指定されているGSIクレオスの309番の色見本をネットで見ることもできますが、当方のパソコン画面では真黒にしか映りません。

 しかし、色は別としてチップタンクの給油口がやや斜め上向きに設けられているところなど、普段はあまり関心をひかない翼端の内側がよくわかります。世傑新版の元整備員の回想によりますと、新人隊員が「給油を完了しました」と報告するとポカリと鉄拳が飛んできたそうです。気温か何かの関係で満タンに見えても、2割くらいの余裕ができてくるので、じっくり構えてやらなければいけないそうです。(このあたり立読みで記憶は不正確)

 ちなみに、T33Aの給油口は両主翼表面に2個ずつ、両チップタンクに1個ずつ計6か所もありますので、やさしそうに見える燃料補給も実は大変な作業なのですね。

 

日替わりメモ20100126番

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1-05 航空史探検(思い出) 人間航空史5 Casablanca 追穂 宝塚歌劇団公演のことなど
展示機の現役時の写真アップ
A3113 航空史探検博物館  栃木県宇都宮市 陸上自衛隊宇都宮駐屯地 UH-1B
A3304 航空史探検博物館  埼玉県所沢市 所沢航空発祥記念館 UH-1B

○ Casablanca 

 東京宝塚劇場で宝塚の宙組(そらぐみと読むのですか?)がカサブランカを公演しているとは、なんというタイミングのよさでしょう、と言いたいところですが、どうもねえ? そのあたりの事情は人間航空史5の方を読んで頂きましょう。

 ヒコーキの映画と言えば、私は下記の3冊の本を持っています。
   キネマ旬報編集 ヒコーキ!飛行機! 華麗なる”翼”への招待 1969年刊キネマ旬報社
   航空情報5月号臨時増刊 ヒコーキ映画大全集 1976年刊酣燈社 
   季刊映画宝庫 大空の美しき者たちに捧ぐ ヒコーキ・戦争映画 1977年刊芳賀書店

 いずれも絶版で、今では貴重本となっていますが、これらのなかに「カサブランカ」が一言も触れられていないのが、玉にキズ、いいや大いなる欠点であります。

 カサブランカを航空映画というには無理かもしれませんが、あのラストシーンがなかったらヒコーキマニアの大部分、つまり、イングリット バークマンやハンフリー ボガートのファンを除いては、こうまで関心が寄せられなかったでしょうし、映画そのものもあのエレクトラの離陸シーンで深い余韻を残していることを、編集者たちが見逃しているからです。

 これ独断と偏見でしょうか。 

 

日替わりメモ20100125番

本日のページ更新

N702 ニュースフラッシュ ANAモヒカンジェット復活 追加 2010年01月 羽田にて
A2106 航空史探検博物館 青森県五所川原市 青森県立芦野公園 T-2の現状 説明板を更新
R105 調査研究コーナー ロッキードT-33Aの防眩(艶消し)塗装について ダークグリーンに決定 
展示機の現役時の写真アップ
A1030 航空史探検博物館 北海道名寄市 陸上自衛隊名寄駐屯地 UH-1B

○ 青森県立芦野公園 T-2の現状 説明板を更新

  芦野公園の三菱T-2は、コックピット内が覗けるように立派な見学台が備えてありますが、計器が全部なくなって穴だらけのパネルを見ることになるのだそうです。残念ですね。

 ただ、説明板が新しくなっており、掲載したサイズが小さくて申し訳ありませんが、新旧をよく読んでみてください。設置した当時の金木町の田中勇次町長の面目躍如たる説明文と、恐らく合併後の五所川原市の考えと思われる現在の説明文の対比が実に興味深いです。公園管理者の県からクレームでもあったのか、内容がドライになっているからです。

 まあ、今の説明板が普通でしょうが、進軍ラッパのような勇ましさが消えてしまったのは淋しいし、五所川原市が「です体」と「である体」を混用してしまっているのは不満です。

 

日替わりメモ20100124番

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HOME 「表紙絵68] 金賞「紫電改と二人」 (航空ファン月例写真コンテスト3月号落選作品)
1-05 航空史探検(思い出) 人間航空史5 Casablanca ロッキードL-10エレクトラとイングリッド バーグマン
R105 調査研究コーナー ロッキードT-33Aの防眩(艶消し)塗装について 新 OD色との結論に反対 ダークグリーンです 

○ 金賞 「紫電改と二人」 (航空ファン月例写真コンテスト3月号落選作品)

 お笑いの一席
 ニュースフラッシュの「N709イルミネーションロード くれ の紫電改」にも出さないで、入賞間違いなしと自信をもって四つ切にプリントして送りだしたコンテスト応募作品が、航空ファン3月号を見ますと入賞どころか最終選考作品にも残っておらず、無念残念。
 きらめく星空をバックにしたようなイルミネーションの紫電改の前で、若い男女が何を話し合っているのか、大変にイマジネーションを働かせてくれるショットなのに、選外とは? 
 実物のヒコーキでないとだめなのかねえ? 
 銀賞以下入賞作品は、いずれも凝った撮影ではあるものの、多くの人が狙ってきた古典的なテーマばかりで、マンネリを感じてしまいますのに。
 よってパロディとしてインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の金賞とする次第であります。

 

○ 続 映画「カサブランカ」のラストシーンでも使われたDC-3」とは???

 ラストシーンはDC-3ではない、ビーチクラフトのCだDだの抗議も、物笑いになってしまいました。なんとダグラスDC-2に対抗してロッキード社が開発したエレクトラでした。よって昨日の書込みはすべて取り消し、人間航空史に項目を立てました。

○ ロッキードT-33Aチップタンクの色について 

  「OD色との結論に反対 ダークグリーンです」との意見が寄せられました。カサブランカと同様、議論が二転三転するのがインターネット航空雑誌ヒコーキ雲のいいところです。邪馬台国論争ほどではないにしても、航空史にも疑問符はいたる所にころがっております。うっかり結論を出した途端に反撃をくらった、これまた面白からずやではありませんか。

 昨日、航空ファンを買いに行ったついでに、世傑新版のF-80/T-33シュ―ティングスターを見てきました。記事も写真も旧版の面目を一新しています。

 その中で、櫻井定和さんが「1955年1月20日、MSA協定による第1回供与航空機として、築城基地にてT-33Aを8機受領している」という一節(p94)がありました。確かに最初のT-33Aによる航空自衛隊乗員訓練は築城で行われたのですが、航空情報1955年 3月号によりますと「1955年1月20日、立川ファンカム基地でMSA協定による59機の貸与式が行われ、T-33A:8機、C-46:16機、T-6G:35機 〜 T-33は今後整備と米軍教官の関係上、福岡の築城おいて操縦訓練するという」という解説があり、TR-086の米軍ナンバーで日の丸付きの機体と上村航空幕僚長が操縦席を見ている写真も載っています。

 どこで受領しようが日付に間違いがなければいいじゃないかと言われそうですが、権威ある航空ファン世傑の記事が何を根拠にして書かれたかとなると、話は別です。ちょっとした齟齬のために全体が信用を失ってしまう恐れもあるのですから、櫻井さんの説明が欲しいですね。

 

日替わりメモ20100123番

本日のページ更新

R105 調査研究コーナー ロッキードT-33Aの防眩(艶消し)塗装について 画像追加
展示機の現役時の写真アップ
A2113
 航空史探検博物館  青森県八戸市 陸上自衛隊八戸駐屯地 L-19
A2602 航空史探検博物館  福島県楢葉町 オールドカーセンター L-19

○ ロッキードT-33Aの蛍光塗装について

 日本の古本屋サイトを通じて入手した1975年の「世界の傑作機63 特集F-80/T-33シューティングスター」を封筒から取り出して表紙を見てうれしくなりました。チップタンクの半分が蛍光テープなしで飛ばしていたというのを証拠づける写真がばっちりとカラ―印刷されています。

 サンサンの特徴をうまくとらえたアングルといい、表紙全体の納まりといい、撮影者(京都の北川喜平さん)と編集者(岩田尚さん)の非凡な才能を感じさせます。
 早速、現編集長の三井さんに転載の許可をお願いしたところ、手間を掛けて撮影が北川喜平さんであることを突き止めてOKをとってくれました
 なぜ手間を掛けて探したかというと、岩田編集者は、この表紙写真の説明をどこにも書いていないため、誌面の中の類似の写真から推定して、ご本人に当ったところ自分が提供したものに間違いないと返事があったということです。非凡な才能の編集者にも穴がありますな。まあ、いずれにしても34年前の古本が大変に役に立ちました。文林堂さん、ありがとうございます。


 ‥と、上のように文林堂さんにお礼を言いましたら、別に意識している訳ではありませんが、次のようなメールも来ているので紹介しておきます。

○ 映画「カサブランカ」のラストシーンでも使われたDC-3」とは??? 

取消 1-05 航空史探検(思い出) 人間航空史5 Casablanca ロッキードL-10エレクトラとイングリッド バーグマン へ転記

 

 

 

日替わりメモ091231番

○ 2009年の回顧
  評価は他人がしてくれるものだということを百も承知のうえで、敢えて申し上げますが、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が立てている各項目に関する限りにおいて、他の追従を許さないほど充実したものとなりました。既にホームページの試行錯誤の域を脱して、インターネット航空雑誌としての独自のスタイルが確立し、それを多くの皆さんから認知されているものと信じています。

また、しゃべり始めたなと腹を立てないで、以下、掃除の手を休めた時にでも読んでくださいな。

雑誌なら編集後記、単行本なら序文やあとがきを読むと大よその傾向が掴めるように、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲も日替わりメモが日々更新の「イントロダクション」であると同時に「私の主張」でもあります。そこで、今年1年間の日替わりメモを読み返してみました。

休んだのはわずかに24日、稼働率は93.4%、我ながら驚くべき精勤でした。

@ 書き手と読み手の喜怒哀楽のからみ合い
 これほど続いてくると、日替わりメモを書きながら、お顔も知らないのに、読み手の反応がほぼ予測できるようになります。うなずく人、驚く人、あわてる人、立腹する人、あざ笑う人‥‥。

実は、佐伯の辛口評論を秘かに期待しているという人が少なからずおられます。逆に、辛口が過ぎるとヒコーキ雲ファンを逃がしてしまうから程々にという忠告もあり、実際に逃げて行った人もおりますし、今年は、他のサイトで手ひどい批判を書かれたこともありました。書き手の喜怒哀楽と読み手の喜怒哀楽がからみ合っていることを実感します。

お腹立ちの人を量産するのは得策にあらずで、例えば、本年半ばから政治向きの発言を控えたりしています。身の程も弁えずにとの冷笑を招かない程度に節度をもたなければいけませんね。
 しかし、
一納税者として、行政の問題点には是々非々を貫ぬきます。見て見ぬ振りをするのが大人であるというような誤った考えに迎合する気は毛頭ありません。

A 稼働率93.4の原動力
 さて、稼働率93.4%の原動力を考えてみました。
 1番に、全国各地の皆さんから「日々の更新ご苦労様です」との言葉を添えて、絶間なく情報が寄せられる、それを早く発表したいという心理が働くこと
 2番に、若い頃からのジャーナリスト志向が、死ぬまで治まりそうにないこと
 3番に、朝早く起き出してパソコンに向かうことが、生活として定着していること

1番と2番はつながりますが、何といっても2番が最大の原動力です。若い時に新聞社も放送局も二次試験で落ちて公務員にならざるを得なかったトラウマを引きずっているのかもしれません。その心理不安定症候群がこのホームページで治癒される訳ではありませんが、どんな場面でもジャーナリスチックなセンスを駆り立てられてしまいます。
 
本年1月1日の日替わりメモで、容量が300MGに達したら廃刊にするかもしれないと予告しました。しかるに今日現在350MGを超えてしまいました。経済的負担は苦しいですが、やっぱり、ジャーナリスト志向の誘惑には負けてしまうのですねえ。

ジャーナリストのセンスとは、旺盛な野次馬根性と抜け駆けの精神です。他人と同じことをやっていては読者に相手にされません。良質の情報を如何にうまく見つけ出すか、関連情報と併せて如何にうまく整理するか、如何に早く発表するかの勝負です。当然、間違いも起きますから素直に訂正するのも大切な心掛けです。
 ヒコーキの専門知識は皆さんにご教授願っていますが、編集者としては「
試行錯誤の域を脱して、独自のスタイルを確立できた」という所以であります。

B これからどうするか
 
さて、これからどうするかですが、老朽化したパソコンやスキャナなどを買い替えるメド(家内の許し)はたちませんし、加齢による目の疲れに加えて、今年は右手人差し指の腱鞘炎に苦しみ、右肩のインナーマッスル(深層筋)が時折強烈な痛みを発するなど、いつパソコン禁止を宣言されてもおかしくない状況にあります。

 旺盛な野次馬根性と抜け駆けの精神がこれらの外(害?)的要因に打ち勝つかどうかの勝負です。その分かれ目は、読み手の喜怒哀楽が私の予測に合っているか確認できるかどうかです。
 叱責であろうとなんであろうと一言でもメールがあると元気が違ってきます。いちいち返事が出来ないのがつらいのですが、どうぞよろしくお願いします。

では、お健やかにお正月をお迎えください。                          佐伯邦昭

日替わりメモ090613

私事 : 最近、あとで読み返してみると誤表記が目立つようになりました。また、皆さまからのメールの文章をしっかり読んでいないことによるミスも多発し大変申し訳ないと思っております。文章は、私の生命の一部なので実に情けない次第です。身内の入院等で疲れ気味のためかもしれませんが、精一杯努力してみますのでどうかご容認くださいますようお願いします。

 

○ 呉市海事歴史科学館大和ミュージアムに関する疑義が完了しました。お暇な時にじっくり読んでいただいて感想をお聞かせください。

第1章 零式艦上戦闘機に関する疑義
第2章 呉市側から仕掛けてきた戦艦大和の歴史捏造問題に関する疑義
第3章 戦艦大和以外のもろもろ
第4章 呉市役所の体質など