多臓器不全のため8日、62歳で死去した作家の立松和平さん。文学の世界にとどまらず、出身地栃木なまりの温かい人柄で「わっぺい」と呼ばれて親しまれた。
先月中旬、急に体調を崩して東京都内の病院に入院。一時、病状は持ち直したが、容体が急変したという。現役のまま迎えた、突然の最期だった。
一躍、お茶の間で知られるようになったのは86年から出演したテレビ朝日系「ニュースステーション」。世界の雄大な自然を訪ねる「こころと感動の旅」のコーナーでは、「いい滝だ。この水の流れのずうっと上の森の豊かさを感じさせる滝だねえ。素晴らしい滝だ。水の量も、多いよねえ」など、独特の語り口で表現した。
NHK出身のフリーキャスター、松平定知氏とも親交が厚かった。松平氏は、昨年12月24日都内で最後に会ったという。
「JTB文化賞の選考で顔を合わせました。控えめだけど、肝心なときに主張する方でした。ふだんからタクシーを使わないというので、電車で帰りました。しかも、座席が空いていたにもかかわらず、降車駅までずっと立っておられた」と元気だっただけに突然の訃報に驚いた。
「『その時歴史が動いた』には2回出ていただいた。足尾銅山の鉱毒の被害を明治天皇に直訴した田中正造のときで、立松さんは、被害地になった渡良瀬川流域に植樹活動をされていると聞きました」と松平氏。
美空ひばりプロ社長の加藤和也氏(38)は、ボクシングジムで同門だった。
「私が中学生だったころ、ホーク風間ジムで ひとつしかない鏡で並んでシャドーをしました。夕方4時くらい、最初にやってくるのが先生。息が上がるからだんだん無口になっていくんです。あるとき先生のモノマネをしたら、『そんな話し方してるつもりないんだけどね…』と話す言葉が栃木なまりで、笑い合ったこともありました」
朴訥としたキャラクターは万人に好かれた。
後日、しのぶ会が開かれる。