「最終講義」で邪馬台国について語る佐賀女子短大の高島忠平学長=佐賀市
約20年前の吉野ケ里遺跡発掘を指揮し、邪馬台国・九州説の牽引(けんいん)役だった佐賀女子短大(佐賀市)の高島忠平学長(70)が13日、3月末の退任を前に学長としての「最終講義」を行った。同市であった学生の卒業研究発表会で「邪馬台国は国際性豊か。北部九州は中国や朝鮮との交流が盛んだったが、近畿は貧弱」と最後まで九州説を力説した。
「昨年、奈良県の纏向(まきむく)遺跡が卑弥呼の宮殿ではという発表があり、私のところに関西のマスコミが『刺客』としてやって来た」
「30分でわかる九州邪馬台国説」と題した講義でこう切り出し、学生や市民の笑いを誘った。畿内説を勢いづかせる同遺跡の大型建物跡は「卑弥呼の時代より1世紀後の建物」とバッサリ切り捨てた。
福岡県飯塚市出身。高校で郷土部に入り考古学に出あうが、「考古学は趣味にし、将来は教師に」と熊本大学法文学部に進学した。しかし、卒論のために訪れた飯塚市の立岩遺跡で当時としては珍しい漢式鏡を発掘してしまい、「抜き差しならない状況に」。卒業後は奈良国立文化財研究所に就職し、10年後に「九州で仕事がしたい」と佐賀県教委へ。1988年、発掘を手がけた吉野ケ里が弥生時代最大の環濠(かんごう)集落跡と判明し、邪馬台国の「クニ」論争に火を付けた。
「弥生時代の社会がそのまま出てきた。遺物を手にするたび、しみこんでくるような感動があった。こんなことがあるのか、と」。工業団地予定地だった吉野ケ里は一転、国営公園になった。
99年に退職後、佐賀女子短大教授になり、04年に学長に。3月に退任した後は、九州の邪馬台国研究者の交流組織をつくりたいという「ミスター吉野ケ里」は、映画で卑弥呼に扮した女優の吉永小百合さんをパワーポイントに映し出し、「卑弥呼がこんな美人だったらいいなあ」と「ロマン」で結んだ。