第4イスラエル研究会



神様からのメッセージ
HOME > 神様からのメッセージ その1

■ あなたを深く愛している神様から、あなたへのメッセージ

 今日、あなたに私(神)が心の中にあることを語ろうとすれば、溢れて余りある心情で、とても長くなってしまうので、その中でも特に重要ないくつかの点に触れることにします。この話は、今まであなたが心から信じ奉仕してきた教会が、何らかの理由で、もはや、自分の所属する教会とは思えず、そしてこれ以上ついて行けないと思っているあなたに対してのものです。

 まず第一に知ってほしいことは、たとえあなたが、教会や組織の活動に参加しないで心の中で距離を感じているとしても、それは神から離れたということではありません。又、私(神)があなたから去ったということでもありません。私は、あなたの活動の内容によって、近くなったり、遠くなったりする存在ではありません。

 例えば、酒場の片隅で酔いつぶれている一人の男性がいるとしましょう。私の思いはその男性に対しても、又、あなたとあなたの教会のリーダーに対しても、まったく変わりなく近く感じているのです。ですから、あなたが私に対して、何か距離を感じるとすれば、それは私のせいというより、あなたの意識がどこにあって、どこに心が向いていて、どこに人生の焦点をおいているかなどによって、あなたがそう思いこんでいるからなのです。

 その酒場にいる男性は、仕事の失敗か上司に対しての不満か、家庭内のいさかいかその理由はいずれにせよ、自らの苦しみを酒によって和らげ忘れようとしているのです。彼も、私の目からみれば、かけがえのない一人の息子です。あなたが、子供を持った親であれば、愛をもって育てた子供が苦しみもがくのを見て心を痛めるでしょう。そんな哀しい人生を歩むのを見て、じっとしてはいられないはずです。それとも、“何というみっともない落ちぶれた子供だろうが”と目をそむけて、関わり合うこともしないのでしょうか。もし、神である私がその様にあなたを見ているとしたならば、あなた方は、到底私の声を聞き愛を受けることなど出来ないでしょう。

 人間の歴史を見れば、ほとんどの人々が、私の愛と光からかけ離れ、戦争と憎しみと偏見で審判しあいながら、“悪の世界”を展開してきました。しかし、私はあなた方から決して歩み去ることも、背を向けることもしませんでした。その“悪のはびこった世界”を見ながら、私はいつもあなた方一人一人と共にいたのです。

 人間の魂にいつか、あるひらめきの瞬間が訪れて、心も精神も覚醒されて、神を自覚し私と共に生き始めてくれることを願いながら、長い間、忍耐強く忍耐強く待ってきたのです。それが、再会ということであり、再び一つになる(神人合一)ということの意味です。

 今日が、まさにその絶好の時です。直接主管圏の中で、神と共に愛と喜びの中で、自由に生きる世界だということを、あなたも知るでしょう。そして、そこに到るのに必要な条件についても学んでいます。これらの言葉も解釈も、間違ってはいませんが、私はあなたが現時点からどこへ向かって行けば良いのか、もっとはっきりその方向性を知ることができる様に、ここで新しい観点を紹介致しましょう。

 まず最初にも言いましたが、私は今まで、あなたといつも一緒におりました。そしてこれからも共にいることを強調します。あなたは、神があなたをたずねる為には、沢山の条件を満たさなければならないと教えられているけれども、そうでしょうか?

 実際のところ、私は今まであなたから離れてどこか遠くに行った事もないし、これからもその様なことはありません。だから、あなたが立てた多くの条件や、捧げた供え物は、遠くにいる私を呼び寄せてくれる為のものではなく、むしろ、それらによって、自分の意識をあるレベルまで高めたり、深めたりする為にあったと解釈したら良いでしょう。つまり、その開かれた意識と目によって、“ああ、神は私と共にずっといらして下さったのだ。私が、あちこちさまよっていただけだ”と、悟る為にです。

 ここで、これから、話すことに良く注目して下さい。あなたの毎日の生活は、沢山の条件を満たす事で追われていましたが、その生活を繰り返していくと、どうなるかということです。

 例えば、ある要求事項を、期限までに全て果たせなかったとしましょう。つまり、献金の額が半分しかできなかったとしたら、あなたは、どう思いますか?「神様が真に私に求めていらっしゃるのに半分しか捧げられなかった」といって、自分を激しく責めるでしょう。そして「神も私を裁くだろう」と思うかもしれません。

 又「私の失敗故に、神様は私と私の家庭を祝福できず、訪ねても下さらないだろう」と失望して、「最後の一円を達成するまでは、神様は私を愛して下さらないだろう」と思いこんでしまうかもしれません。

 ここで、私は声を大にして言います。この様なあなたの考えは間違っておりますし、真理とは何の関係もありません。あなたが条件を果たそうと果たすまいと、みじめに失敗しようとしまいと、私はあなたと共にいてどこにも行かず、あなたを愛し続けます。今も共にいて愛しているのです。どこへも行かないし、行こうとも思いません。

 はっきり言っておきますが、私は恐れや不安をもって、人を動かしたり要求したりする神ではありません。私の創造の理想の中には、子供が恐れをもって親に対しなければならないなどという真理はどこにもありません。

 長い歴史の中で、人間は愛の中に神がいつも共にいて下さることを忘れてしまいました。その現実からくる不安と恐れの中から、自分を中心にして見たときに、神は怒りの神であり、審判の神であると決めつけたのです。そして神の怒りにふれない為に、審判をのがれて地獄へ行かない為に、人間は「善をする」のだと、こういう虚偽の上に、信仰形態を作って何世代もくり返してきたのです。

 正直に自分に聞いてごらんなさい。神が怖いと思うのに、その神と本当に喜んで一体化したいのですか?

 何回もくり返し言います。私が、創造の始めから今まで、一番最初に願ってきたことは、あなたが、赤ちゃんとしてお母さんのおなかに宿ったその瞬間から、そしてこの世に生まれたその時から、私の愛を、まず体験して欲しいということでした。考えてみてください。神が私を本当に愛してくれていると実感できた時、その理解と感動が動機となって、天国を築く勇気とカがあふれでてきます。かたや一方では、条件を満たさないと、神の愛は私を訪ねて下さらないという恐れで、来る日も来る日も、働き続けるとしたらどうでしょうか?

 どちらが建設的で、真に力強いでしょうか? もしあなたが、“充分にお金を捧げ、全ての条件を満たしたならば、いつか将来、神から愛をもらえるだろう”と、思いながら生きているとしたら、“その生命”には遭遇できないでしょう。神の愛は、そのような偽りの真理からは体験できないからです。

 真理は簡単です。“神は今のあなたを完全に受け入れ、ありのままのあなたを愛している”のです。ですから、「あなたは充分に働かなかった、充分に献金しなかつた、充分に仕えなかった、神はあなたが、これこれを果たした後にのみ受け入れて下さるだろう」などと、まことしやかに教える宗教の指導者やその教えは、まるで、馬の鼻の先に人参をぶらさげた棒をくくりつけて、その人参目当てに馬が働く様にさせるという例えと、同じではないでしょうか。

 その人参の様に、愛をちらつかせる神が私でしょうか? 私の愛とは、そんな安っぽいものでしょうか? では、あなたに質問致しましょう。「その様に頑張って、いったいいつになったら神様が、受け入れてくれる時が来るのですか?四〇才の時? 五〇才? 七〇才になった時ですか?」考えてみて下さい。

 こう見てくると、宗教は重大な過ちを犯していることに気づくはずです。「恐れ」というものが、如何に悪用されてきたかがわかるでしょう。言葉をかえて言えば、「真の善というものは、恐れからは決して生まれない」のです。神の怒りを恐れて積むいずれの条件も本物にはなりません。

 私は、あなたに、真の知識、頭だけで知る知識ではなく、心情で知る知識を求めて下さる様に願います。それは、決して難しいことではなく気づきさえすれば、すぐに自分のものにすることができる知識です。

 このように話しますと、あなたは「もし、私が神の愛に満たされて、あまりある幸福感に浸ったならば、人の為に仕事をしたいと思わず、ただ座って自分の事だけ考えて喜んでいるかもしれない。」と思うかもしれません。

 しかし、その様に懸念する人がいるとすれば、彼らは、私の愛を全く知らず、無知という悲劇の現実の中に住んでいるのです。私の愛を誤解している証拠です。神の愛によってあなたの心が満たされると、あなたは自分、家族、隣人、全世界、自然に対しても、今までとは全く違った目で見る様になります。そして、全く違った心で感じる様になるのです。人に言われなくても、心の底から、ふつふつと湧き上がる思いで他の人に何か良いものを与えたいと思うのです。それは私(神)の目で見る様になり、私の心で感ずるようになるからです。

 その愛で、隣の飢えている人に、お米一袋を持っていってあげたとしましょう。神の愛を実感して、深い愛ゆえにおこした行動と、そうしなければ審かれるという恐れの動機で、全市民に対して何か善行をしたのと比べて見て下さい。どちらが、真に意義ある生き方と言えるでしょうか?

 「愛」と「恐れ」というものは、共存できないのです。真の愛のあるところに恐れは存在しません。だから、過去の聖人たちは愛を持って死をも恐れず尽していったのです。愛を沢山の仕事をした後の報酬として、ふりかざす人も沢山いますが、私はそれよりも、あなたとの心のつながりをまず見るのです。だから、これからは、あなたも「私は、神の愛を素直に受ける心を持っているだろうか」と、自分自身に問いかける習慣をつけて下さい。

 今、私は世界のあちこちで、私の声を素直に聞こうとする心の持ち主達を通して、覚醒運動をしております。真の天国は、お金や、奇跡、又は豪華な建物によって作られるものではなく、一人一人の心が神との出会いによって変わる事によってのみなされるのです。

 それと、もうひとつのポイントは、今は“条件の時代”、“象徴の時代”ではありません。 “無条件の愛の時代”です。神と人間が無条件に愛し合う時代です。ここで、無条件というのは「心から直接に」という意味です。そしてこれが、あなた方が教えられた「直接主管圏」の意味です。私があなたを所有して、主管するだけでなく、あなたも私を所有して、主管するのです。愛故に、お互いにそれができるのです。何回も繰り返して言いますが、私はあなたから離れてどこかへ行ってしまうことなどできません。私の名を悪用して、権力を振り回す様な指導者達を苦痛の目で見ながら、彼らが自らの心を開いて私と正直に向き合い、真の自分を発見してくれるその時まで、じっと待っているのです。又、あなたが私と真っ正面から向き合うことができるようになるまで、私は私の努力を怠ることはないでしょう。

 過去における、今までの様々な不満や怒りは、私に持ってきて、全てうち明けなさい。あなたが私と語り合う中で、それらは自然と癒されて解決されていく事でしょう。あなたには、愛と喜びが共存する、素晴らしい意義ある人生が待っているのです。命令を待って、恐れが動機となる生活には、もうさようならをしましょう。そして、神様と共に愛し合う中で、自分の人生のすべてに輝きを与える生活を求めましょう。

 最後に、この言葉は、誰かを通してあなたに届けられていますが、最も大切な神との会話は、あなたの心の中で起こるのだということを、今一度、しっかり心に刻んで下さい。

あなたを愛する神より

連絡はこちらから
 
<< 戻る
▲トップへ


HOMEメッセージ連絡先サイトマップ

Copyright (C) 2009 第4イスラエル研究会  All Rights Reserved.