人間の尊厳を冒涜する展示はやめよ------「人体の利用」に倫理規定を------
この記事は週刊金曜日2007年2月2日号に掲載されたものです。従って一部現在の情況と異なる部分があります。また、文中の一部にも掲載時と異なる部分があります。
小林 拓矢 こばやし たくや・フリーライター、片岡 伸行 かたおか のぶゆき・本誌編集部
本誌06年9月15日号で取り上げ、各地で批判が高まる「人体の不思議展」。展示は現在、さいたま市で開かれ、今後、高知県でも開催予定だが、複数の市民団体や医学関係者が「人間の尊厳を汚す展示はやめよ」と声を上げる。
国際解剖学会(IFAA)の会報に、抑制されたトーンながら厳しい内容の抗議声明が掲載されたのは2004年12月のことだ。タイトルは「グンター・フォン・ハーゲンス博士の悪名高いボディーワールドショーに関する解剖学会の声明書」。後半部分に次のような記述がある。
国際解剖学会が抗議声明
「解剖学は厳しい倫理コードを尊重しなければならなりません。解剖学的解体は、提供者の書面による同意があってのみ実行しうるものです。……(略)……(このプログラムは)遺体が火葬されるか、埋められるか、あるいは長らく保存して使用されることになるかもしれないかどうかを提供者自身が決めることを認めています。ハーゲンス博士のボディーワールドショーは、これらの解剖学会の原則にことごとく違反します」
本物の死体に樹脂を浸透させて耐久性を持たせ、手で触れることのできるようにしたプラスティネーションと呼ばれる技術を開発したドイツのハーゲンス博士。彼の作製した死体標本は1995年、日本の国立科学博物館で開かれた「人体の世界」で一般公開された。その後、2001年2月にドイツ・ベルリンで「ボディーワールド」として展示され、04年にはアメリカ・ロサンゼルスでも公開された。国際解剖学会・ドイツ解剖学会委員会による冒頭の抗議声明は、このころ出されたものだ。
日本の「人体の不思議展」に展示されている人体標本は、02年まではハーゲンス博士作製のものであったが、03年以降は「プラストミック人体標本」と呼ばれ、ドイツではなく中国で作製されているという。
「死後に見せ物」承諾したのか
抗議声明を訳した末永恵子さん(福島県立医科大学医学部講師・生命倫理専攻)が語る。
「倫理コードに違反する展示だと国際解剖学会で指摘された点は、『人体の不思議展』にそのままあてはまります。献体者が、死後に見せ物になることを承諾したとはとても思えません。標本には胎児もありますが、その意思をどうやって確認したのですか。『厳しい倫理コード』に違反したこのような『ショー』(見せ物)に対して、国内の医学団体がこぞって後援するなどまさに医の倫理に反する行為です。遺伝子解析の分野は今、目に見えないデータをどうやって保護するのかがテーマですが、このような見える展示を医学団体が後援すること自体が矛盾する行為で、患者の信頼を得られませんね」
同展は昨年七月一日から8月27日まで仙台市で開かれた。展示が始まると間もなく、同展に疑問を持つ仙台市民らが「『人体の不思議展』に疑問をもつ会」を発足させ、主催・後援の18団体に公開質問状を出すなど活動を始めた。
代表の刈田啓史郎さん(東北大学元教授・医学博士)が話す。
「公開質問状の要点は、1、人体提供者とご遺族はこのような展示標本となることに書面をもって承諾の意思を示していたのか。また、主催・後援団体はその書面を確認したのか2、死体解剖保存法第二〇条のいう、死者に対する『礼意』を欠いた展示であり、人間の尊厳を冒涜するものではないか――というものです。10団体から回答がありましたが、1、の書面については厳密な確認を取っていないことが明らかになりました。日本アナトミー研究所も主催者として情報公開・説明責任があるのにそれを拒否しました。まさに人間の尊厳を蹂躙する展示ですね」
また、メディアや教育機関の関わり方について問題を提起するのは、同会の一戸富士雄さん(みやぎ近現代史を考える会会長)。
「地元で主催した新聞社は人体標本が具体的にどこから来たのかなどを確認していません。それなのに『説得力 本物ならでは』などの見出しで連載記事を書いてPRしました。学校でもパンフレットを配布して夏休みに子どもに来場するよう推奨しました。一方で、これだけ問題がある展示だとの市民の声はまったく無視で、倫理観が問われますね」
宮城厚生協会前理事長で同会員の村口至さん(医師)は、倫理規定の必要性を指摘する。
「臓器移植には倫理規定がありますが、こうした人体標本の展示には何の倫理規定もありません。メディカルの部分についてのみ展示を認めるなど扱い方について議論すべきです」
一方、「『人体の不思議展』に疑問をもつ埼玉の会」(中里武代表)も発足し、さいたま市に「後援」を取り消すよう要望書を提出。1月4日まで開かれた神戸展に対しても、後援の神戸市に「展示は医学教育ではなく営利が目的ではないか」との質問書を提出するなど各地で批判の声が高まっている。
日赤、看護協会など後援取りやめ
本誌も昨秋に日本赤十字社、日本医学会、日本医師会、日本歯科医学会、日本歯科医師会、日本看護協会の後援6団体に質問書を送付し、後援の経緯や、今後も同展への後援を継続するかどうかなどを聞いた。
その結果、日本赤十字社のみが文書で「今後、後援を継続する予定はありません」と回答し、日本看護協会は口頭で「後援を取りやめました」と回答。埼玉展では地元紙『埼玉新聞』も主催・後援をしていない。ところが、前回の仙台展まで主催団体として明記されていた「日本アナトミー研究所」の名前が消され、主催は「実行委員会」形式に。問題視されたため「裏に隠れた」のだろうか。
日本医学会は高久史麿会長が後援を取り下げる意向を示したが、同展実行委員会に後援続行を強く迫られ、今年度中の後援だけは継続とするなど二転三転している。
日本看護協会は仙台展までは前会長の時代に後援が決定済みであったが、久常節子会長のもと後援・協賛の内部基準を作り見直し、今後は後援・監修をしないことに決めた。しかし、日本歯科医学会などは後援を続行するだけでなく回答さえも拒否したままだ。
「人体の利用」に倫理規定を
宮城学院女子大学教授の富永智津子さんは、最近の先端医療の進歩に伴う新たな「人体の利用」の展開の一環として、この展示を捉えることの必要性を指摘する。
「臓器移植や代理出産、あるいは神経系統の病気治療への中絶胎児の利用といった最先端医療における『人体の利用』の新局面に対しては、法務省や厚生労働省が倫理規定や法整備に向けて動き出しています。これらは、従来の技術では考えられなかった展開であり、法的な規制がなかったからです。人体標本の展示も、新しい技術による『人体の利用』という大きな枠組みの中に位置づけ、まずは法や倫理規定の整備をする必要があるのではないでしょうか。これも、同様に、生命倫理や人間の尊厳に関わる問題なのです。人体を利己的あるいは営利目的で『物』として捉える価値観に、どのような歯止めをかけることができるか。今、それが問われているように思います」
疑問・問題を封じて続く展示
本誌ではこれまで、▼人体標本の献体者は誰で提供元はどこなのか▼「献体」が事実であると証明する書面はあるのか▼主催団体である「日本アナトミー研究所」はなぜ情報公開や質問への回答を拒否するのか――を問うたが、それらは依然として不明である。
今回さらに、▼献体者に死後の展示について承諾を取っているのか▼医学団体やメディア、自治体、教育機関の倫理観の欠如▼死体標本展示に新たな倫理規定・法整備の必要性――などを提起した。
「医学教育」の仮面をかぶった「人体標本見せ物」で金儲けをするイベント業者や、それと一体になって権威づけに一役買う養老孟司・東京大学名誉教授や日本医学会前会長の森亘・東大名誉教授らの監修委員、さらに安易に同展を後援をする諸団体や自治体は、これらの疑問や提起にどう答えるのか。
本誌の試算では、2003年秋から04年1月までの東京展(150日間で75万人来場)の売り上げが8億円(利益約1億円)で、以降2004年〜07年もほぼ同様の来場者があったと仮定すると、この4カ年で売り上げ32億円、利益4億円を上げていることになる。この莫大な収益が真に医学教育向上のために使われているとするならば、実質的な主催団体である(株)日本アナトミー研究所は逃げも隠れもせずに胸を張って情報公開をすればいいのであり、市民団体や本誌の質問への回答を拒否する必要もないはずだ。