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主水復活ならず…藤田まことさん急死

 09年5月、主水にかける役者人生の凄みをにじませる藤田まことさん=松竹京都撮影所
 09年5月、主水にかける役者人生の凄みをにじませる藤田まことさん=松竹京都撮影所

 コメディードラマ「てなもんや三度笠」、時代劇「必殺」シリーズなどで親しまれた俳優の藤田まこと(本名・原田真)さんが、17日午前7時25分に大動脈からの出血のため、大阪府吹田市の大阪大病院で死去していたことが18日、わかった。76歳だった。16日には自宅で元気に家族と夕食を食べ、その直後に容体が急変。そのまま帰らぬ人となった。08年5月に食道がんの手術を受け、10月に仕事復帰したものの昨年11月、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため、出演していたドラマを降板。しかし、以後もリハビリを重ね復帰を目指していた矢先の急死。突然の訃報(ふほう)に関係者は言葉を失った。

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 時には喜劇王として、時にはシリアスで渋い演技の俳優として、日本中を魅了し続けてきた名優が、急ぎ足で逝った。

 所属事務所によると、藤田さんは16日夜、自宅で家族らと夕食をともにした後、くつろいでいるところで突然、倒れた。異変に気づいた家族が救急車を呼び、大阪大病院へ搬送。倒れたときから意識はなかったが、家族の呼びかけには反応を示した。しかし、周囲の祈りは通じなかった。最期は家族にみとられながら、穏やかな表情で、息を引き取ったという。

 数々の当たり役で活躍する一方、若いころは「キタの(南都)雄二、ミナミの藤田(まこと)、東西南北藤山寛美」と大阪の繁華街で称されるほど遊び、それを芸の肥やしにした。が、晩年は病気との闘いだった。

 08年5月に食道がんを公表し、手術。10月に「必殺仕事人2009」の撮影で復帰し、会見では「絶対にもう一度帰ってくるという信念で頑張ってきました」と話した。ところが、撮影関係者によると、すでにがんは進行し、切除できる状態ではなかったという。

 「必殺-」の撮影中、楽屋には酸素吸入器を持ち込んだ。体力も低下。撮影の合間には、自宅近くのリハビリセンターに通い、ウオーキングや筋力トレーニングを繰り返すなど、ギリギリの状態で撮影を続けていた。

 昨年5月、デイリースポーツの取材には「90歳近い森光子さんがあれだけ頑張っている。私もぜひ90歳まで頑張りたい」と語った。手術のため降板した舞台「剣客商売」の再演にも意欲を見せた。昨年11月に慢性閉塞性肺疾患で入院後も、復活への意思は全く衰えなかった。

 1月には大阪で番組ナレーションの収録をし、「3月にはドラマの撮影もあるし、現場に戻りたい」と発言。2月中は早期復帰のため、熱心にリハビリを行い、倒れた当日も日課の筋トレにいそしんでいたという。関係者によると、絶命した17日には新しい「必殺仕事人」の台本が自宅に届いていた。台本はひつぎの中に収められたという。






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