五輪スピード:モ・テボム「基礎が一番重要だ」

驚くべき自己管理能力

 モ・テボムは18日、バンクーバー冬季五輪男子スピードスケート1000メートルの試合が終わった直後、ドーピング検査室で京畿道抱川市の自宅に電話をかけた。「母さん、すごく悔しいよ。もうちょっとうまくやれば金メダルが取れたのに…」。笑顔でメダル授与式に臨んだときとは違った率直な気持ちを、母のチョン・ヨンファさん(50)には打ち明けたのだ。

 モ・テボムのミニホームページには、「おもしろ写真」がたくさん掲載されている。バンクーバー五輪で世界のトップに立った後、太極旗(韓国国旗)をはおり、小躍りして表彰台に上がったこの「新世代」の若者には、知られざる別の顔がある。

 モ・テボムの携帯電話の待ち受け画面には、「他人と同じことをしていては成功できない」と書かれている。父のモ・ヨンヨルさん(52)は「テボムは小さいころから、どんなに疲れていても練習で満足できなかったことを日記に書いていた。わんぱくな子だったが、スケートに対してだけは真剣だった」と話す。少年時代の恩師、チョン・プンソン・コーチの勧めで小学5年生のころから書き始めた日記帳には、特に「肝に銘じろ」「成功しよう」「可能性はある」といった子供らしからぬ言葉が多い。

 だが、こうしたモ・テボムにも、スケートをやめたいと思った反抗期があったという。中学3年生のとき、モ・テボムは突然「やめる」と言い出し、20日間スケートをはかなかった。ある日、息子がちゃんと学校に行っているのかベランダから見ていた母は、ショックを受けた。息子がバイクに乗り登校していたのだ。「短気なテボムがバイクに乗ったら、何が起きるか分からない」と気が気でなかった母は、チョン・コーチに「息子の気を引き締めてほしい」と頼んだ。

 中3のモ・テボムが打ち明けた反抗の理由はユニークだった。「長い間お金をためて、バイクを買ったけれども、練習時間が長すぎて乗れないのが不満」というのだ。チョン・コーチは、自分がスケート選手だったころ経験した迷いや後悔を話して聞かせたという。コーチ自身も一時、バイクに乗り回したと話し、しからず温かい励ましを送ることで、モ・テボムを再びリンクへと導いた。

 モ・テボムの自宅には、小さいころに使っていたスケート靴やユニホームがほとんどない。昔使っていた手袋・スケート靴・ジャンパーをほしがる後輩たちにあげてしまったからだ。友人たちはモ・テボムの人柄について、「人情や義理がなかったらモ・テボムではない」と胸を張って語った。

2009年1月22日、モ・テボムの日記

ソク・ナムジュン記者

【ニュース特集】バンクーバーオリンピック

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
関連記事 記事リスト

このページのトップに戻る