【コラム】卒業式の全裸騒動、一人の親として考える(上)

 中学校の卒業式の直後、全裸で人間ピラミッドを作ったり、一部の女子生徒が陰部を隠して立ったりして、その様子を撮影した動画を見れば、「子どものやることだから、十分あり得る」という人は決していないだろう。むしろ、大人としての義務や責任感を、今更ながら自覚するのではないか。

 そのため、各メディアは今、当惑やため息を交えながら、「卒業パン」(卒業式後に全裸で行う打ち上げ)を連日報じているが、これをきっかけに、「限度を超えた校内暴力」の問題点に言及する動きもある。専門家たちは、「校内暴力はより大胆かつ知能的なものになった」との見方を示した。増加の一途をたどる校内暴力の統計を持ち出し、一部の生徒たちを「犯罪予備軍」という目で見ようとしている。

 これほどまでに世間を騒がせている以上、治安の維持に責任を持つ警察としては、何らかの実績を作らなければならないのだろう。旧正月(旧暦1月1日、今年は2月14日)の連休が終わって間もなく、京畿道一山警察署は動き出した。「社会的に物議を醸した」生徒たちを呼び、事情聴取を行って、調書を作成した。

 「携帯電話のショートメッセージで、“卒業パン” に出て来い、と言われて…」「参加しないことで、後で先輩たちからひどい目に遭うのが怖かった」「昨年の“卒業パン”では、先輩が後輩の服を脱がせても、すぐに毛布をかぶせ、銭湯に連れていったが、今年はひどすぎた」「毎年伝統行事としてやってきたことだ」-。事情聴取が終わった生徒たちは、「裸になった大胆さはどこへ行ったのか」と思えるほどおびえた様子で、報道陣を避け、足早に立ち去った。保護者である親の手を握って…。

 単なる「普通の生徒」とされている彼らは、「被害者」と「加害者」に分けられた。だが、取調室のプラスチック製のいすに座った瞬間、皆が心に傷を負ったに違いない。当初、生徒たちにとって「卒業パン」とは、このようなものではなかった。多少の強制と、好奇心や解放感が入り混じった、やや度を超えた「いたずら」にすぎなかった。「われわれが知らぬ間に、これほどまでに風紀が乱れてしまったのか」と、世間の大人たちを驚かせ、「犯罪」に問われるとは想像もしなかっただろう。ついには大統領までが、「社会の病弊だ」とコメントした。

 厳しい世論に押され、警察の捜査実務の責任者(50代)はついに、「もう少し時間をかけて捜査を行い、共同暴行容疑で刑事訴追することを検討する」と述べたが、内心では「公権力がこのような問題にまで介入するのが適切なのか」という思いを抱いていたという。

 実際、該当の生徒たちが全裸になり、恥ずかしがりながらクスクス笑っていたとき、近くの別の学校でも「卒業パン」は行われていた。だが、その学校では、インターネットに動画がアップされなかったため、物議を醸すこともなく、何のおとがめもなかった。これは公平さを欠くのではないだろうか。ネット上ででも罪を問い、処罰すべきではないだろうか。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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