検証/「参政権要求運動」(6)

在日同胞の総意ではない


 現在、日本の各地方自治体議会に「定住外国人の地方参政権付与」の決議を求める動きが見られるが、それを看過することは出来ない。なぜならそれは、あたかも定住外国人、とくに在日同胞の総意を代弁しているかのように装っているからである。

 

トリック的手法

 各地の地方議員によれば、「参政権要求」が在日同胞のコンセンサス、総意を反映したものであると思い、朝鮮植民地支配という過去に対するしょく罪の意識、あるいは善意から「良いこと」と考え意見書採択に賛成したという。

 共和国と総聯に好意的な議員などは「朝鮮総聯も当然、同じ意見だと思っていた」と驚きを隠せないでいる。

 事実、民団が各議会に提出した意見書では、いろいろなスタイルを用いている。例えば、人権問題や外国人の処遇改善などを前面に掲げながら、さりげなく「地方レベルでの政治参与」などの言葉を挿入、額面どおりならば誰もが「良いことではないか」と錯覚し、抵抗なく受け入れられるようトリック的な手法を用いてる。

 95年6月現在、在日外国人は135万人、そのうち在日同胞数は約67万人だが、はたして民団の意見書が定住外国人の総意、とくに在日同胞の総意、コンセンサスに基づいたものと言えるだろうか。決してそうとは言えない。

 それは定住外国人別にその主張、立場の違いを見れば明らかだ。現在、「参政権要求」をしていると言えるのは、民団の一部幹部と、これに賛同する人および「参政権」を主張する「在日論」者、日本に長く住むごく少数の欧米人である。

 民団参加の同胞の大多数も、「参政権」に懐疑的である。

 もちろんのこと、在日中国人(華僑)は問題にもしていないし、総聯とその傘下の同胞は要求していない。

 実態としては、それぞれの立場と考えに基づいて「参政権」問題をとらえている。つまりすべての「定住外国人」が求めているわけではなく、上述の通り、「参政権」を要求する外国人の数はむしろ少数と言える。

 とくに在日同胞の場合、その所属団体を問わず、過去の歴史を通じて、「参政権」が同胞の生活改善に寄与しないばかりか、過去、日本の植民地統治による犠牲を強いられた苦難の教訓から多くが 「参政権」を否定しているのである。

 

不純な動機

 では、なぜ今日、「参政権」問題がクローズアップされ始め、定住外国人、在日同胞の総意を反映しているかの如く、ふれまわられているのか。

 ここに、「参政権」を唱える人たちの不純な動機、政治的な思惑が見え隠れする。

 民団の一部幹部が進める「参政権要求運動」を見ると、80年代末までは、民団の民族的な人士らの中ですら、この問題が同化を促すということで反対意見が続出し、本格化しなかった。 だが、91年1月の「在日韓国人の法的地位及び待遇に関する覚書」が「韓」日間で交わされ、そこに「地方自治体選挙権について、大韓民国政府から要望が表明された」とのくだりが明記された後から様相が変わってきた。

 とりわけ民団・現執行部のソウル・青互台訪問を機に青互台の 「北吸収統一」方針に基づき、「総聯を吸収統合」するため「参政権運動」に力を入れるようになったのである。

 彼らはまさに、この「参政権運動」を手段にして、自主的な民族権利擁護運動自体を否定、妨害し、総聯組織自体をなくしてしまおうと、その対決姿勢をあらわにしている。真の狙いは、ここにある。 在日同胞は自らの生活改善のためにならない「参政権」には何ら幻想を抱いてはいない。まして、「参政権」が同胞の既得権を侵害し、権利擁護と、獲得に弊害をもたらすことが明白なことから、その付与に反対しているのだ。

 あえて在日同胞の「総意」を唱えるならば、根本的には、朝鮮人年手のアイデンティティーを踏みにじられる生き方を否定し、日本で外国人として、朝鮮人として何ら差別のない、尊厳ある生き方を保障する制度的、社会的システムの構築こそ求めるべきである。(建)[朝鮮新報96/6/18]

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