検証/「参政権要求運動」(5)
納税義務とは別物
巷では「日本国民と同様に納税義務を果たしているので、義務に対する権利として参政権をもらって当然」という一部の人々の主張が流れているが、果たしてそうであろうか。そこには飛躍がある。
教育、福祉での還元
議会制度の歴史を紐とくと、当初、「参政権」が与えられたのは高額納税者、すなわち富裕層であって、非納税者、低額納税者は除外されていた。
まさに近代社会初期において「参政権制度」は差別制度であり、納税の状況が「参政権」の権利状況にそのまま反映されていたと言える。このような制約をなくすことを求める民主主義の高まりにより、「国民に平等」が叫ばれるなか、納税義務との関連が薄まるのである。
この歴史的プロセスを考えると、納税義務を「参政権」にそのまま結び付けるのには無理がある。現に日本の「公職選挙法」では禁治産者などを除いて選挙権は20歳以上の成人に、被選挙権は各議会別に定めた年齢の者に与えられている。
しかも、非課税者や生活保護者にも「参政権」は付与されているのである。
一方で、「参政権は外国人住民の納税義務に対する反対給付」「参政権がないのなら外国人に納税義務はないのでは」といった意見があるが、これらは外国人に「治外法権」を認めることになり、どの国家も許容することができるはずがない。
一般に納税義務とは「国家と地方公共団体などの目的と諸般の活動の結果として、国民と滞在者が亨有する各種の社会的サービスに対する代価」と解釈されている。換言すると、国民と外国人滞在者は自らの福利と生活を守るために納税義務を負っていると言える。「義務に対する権利」という図式で考えるのなら、納税の「反対給付」、「見返り」として、社会的奉仕、サービスを求めるべきである。
すなわち現在、在日同胞の納税義務に対する「反対給付」「見返り」がどのようになされているのかという点をこそ問うべきなのである。
相変わらず続く不況のなか、税金の還付や還元が、あらゆる場面で行われて久しいが、「国際化」「内外人平等」の見地から、社会的奉仕、サービスが在日朝鮮人に対しても教育、福祉などで当然のこととして施されなければならない。
だが、現実には朝鮮学校に対する助成金は日本学校の10分の1にすぎず、同胞の高齢者や障害者に対する福祉手当面でも差別がある。とりわけ朝鮮学校への補助は日本政府の国庫補助は一つもなく、一部地方自治体の自主的判断によるもののみとなっている。しかも、同胞商工人の朝鮮学校への寄付金は「損金」として認められていない。このような税金の還元における差別的格差と不公平を解消し、「内外人平等」を実現すると言うならまず、教育、福祉分野において還元すべきである。
法的、行政的差別解消
一部の人々は、在日同胞に対する「参政権」の付与を、人権の普遍性論議でつくろっているが、きわめて国家の政策的な問題であるので慎重を要する。
外国人に対する「参政権」は、普遍的な人権として世界的に確立した権利とは言えない。
「参政権運動」の提唱者たちは、都合のよい部分のみ引用しているが、国際人権規約も「市民」「住民」という表現でなく、「国民」との表現を使用し、外国人の「参政権」に対する否定的見解を明らかにしているのである。
外国人に「参政権」を認めている欧州の5ヵ国の場合においても、外国人を国内社会に統合していく最後の手段として付与しているのが特徴である。日本の抑圧、同化政策と違い、外国人の民族性を認め尊重し、差別的法制度を是正する政策を先行させ、その土台の上で 「参政権」を付与している。
在日同胞にとって重要なことは、日本の地方自治体、行政当局に在日朝鮮人の歴史的特殊事情と生活実態を考慮し、彼らの民族性を尊重し、あらゆる法的、制度的、行政的抑圧と差別をなくすようにより強く要求していくことなのである。そうすることで、地方自治においての在日朝鮮人の民族性を尊重、かん養する特別条例の制定や就職、入居差別等に対する行政指導の強化体制が確立されるようにするべきだ。
何よりもまず、「民族性を認めた上での、各種処遇の保障ありき」なのである。(一)[朝鮮新報96/6/11]