検証/「参政権要求運動」(1)

日本当局の在日朝鮮人政策


 最近、日本に長期在留する在日外国人の「参政権」についての論議や動きが盛んである。しかし、「参政権」を主張する人々の中に、何よりも日本当局の在日朝鮮人政策の本質を軽視あるいは看過している点が多分にあると思われる。

 在日朝鮮人問題がある意味では特殊な民族問題、社会問題のひとつであることを考慮するならば、「参政権」問題についても歴史的、運動論的な、あるいは同胞の生活領域までも含めて多角的に考慮する必要がある。日本当局の在日朝鮮人政策に限って検討する。

 

"煮て食おうと自由"

 朝鮮が解放された1945年8月15日から今日までの日本当局の在日朝鮮人政策は、一貫していると言える。

 日本敗戦直後、GHQ(連合国軍総司令部)は在日朝鮮人を「解放民族」と呼びながらも「敵国民」扱いした。日本当局は米軍の指令のもと朝鮮人を時には「外国人」(例えば「登録令」)、時には「日本人」(例えば納税、配給の時)扱いをするというご都合主義で、その政策の基本は弾圧と同化であった。

 日本単独講和を前後しては、在日朝鮮人規制法とも言える「外国人登録法」(52年4月28日)と「出入国管理令」(51年10月4日)の2大治安立法を施行し、その動向を掌握・統制した。

 65年の「韓日条約」締結を契機に、日本当局は在日朝鮮人政策を一層強化させた。

 例えば、朝鮮国籍は「符号」という政府統一見解、民族教育を否定する文部次官通達、「外国人学校法案」や「出入国管理法」の制定企図などだ。

 内閣調査室が編集する「調査月報」(65年7月号)は「わが国に永住する異民族が、何時までも異民族としてとどまることは…深刻な社会問題となることは明らかである。彼我双方の将来における生活の安定と幸福のために、これらの人たちに対する同化政策が強調されるゆえんである。すなわち、大いに帰化してもらうことである」としている。「韓日条約」後の「地位協定」以後の入管行政について、当時の法務省池上参事官は、外国人は「煮て食おうと焼いて食おうと自由」とまで言い切っている。

 70年代、「椎名メモ」で日本当局は、朝鮮総聯と在日朝鮮人の取締を南朝鮮当局と「外交文書」レベルで確約している。

 そして法務省の坂中事務官(当時)は、「外人登録」誌(76年5月号〜77年8月号連載)の論文で「在日朝鮮人は、今日、法律上は『外国人』であるが事実上は『準日本人』ともいうべき存在となっていることが認められる」とし、「日本政府としてできることは…すすんで日本国籍を選択したいという気持ちが在日朝鮮人の間に自然と盛り上がってくるような社会環境づくりに努めること」、そして政府が率先して「帰化」「同化」のための国民世論を喚起すべきとまで書いている。

 80年代以降、とくに東西冷戦が崩壊し、国際情勢の変化が著しい今日に至っても、日本当局の在日朝鮮人政策は根本において変わっていない。

 今も、共和国の「核疑惑」を口実にした制裁を公言し、極東有事=朝鮮半島有事を想定した一文を盛り込む(「新防衛大綱」)など、共和国に対する敵視政策を背景とした在日朝鮮人政策を実行している。

 

同化政策への迎合

 日本当局の在日朝鮮人政策の本質は、規制と弾圧である。植民地時代は言うまでもなく、解放直後から今日に至るまで日本当局が在日朝鮮人に対する処遇を自らすすんで改善しようとしたことは皆無と言ってよい。

 日本当局は在日朝鮮人問題を治安問題化して、究極的には帰化、同化させようとしている。このような政策があるにもかかわらず、日本の政治に参加することを望む「参政権」運動とは何なのか。

 差別があるから、それをなくすために「参政権」が必要と言う人もいる。歴史的経験から見ても日本当局が在日朝鮮人の処遇を改善するための権利を自ら与えるはずがない。それは日本当局への幻想にすぎない。日本当局の在日朝鮮人政策が根本的に是正されないままで「参政権」をもらい何かを獲得しようとするのは「社会的戯画」であろう。「参政権」運動は日本当局の帰化・同化政策に迎合、追従する危険な動きである。(祥)[朝鮮新報96/5/28]

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