第2次世界大戦が終わった1945年8月に旧満州(中国東北部)で旧ソ連軍の捕虜となった旧日本兵約58万人が、その後の数年間、厳寒の異国の凍土でいかに過酷な労働生活を強いられたのかを知ってもらおうという「シベリア抑留展」が18日、鹿児島市山下町の鹿児島県文化センター(宝山ホール)で始まった。無料、24日まで。
政府に元抑留者への補償を求め、法廷闘争も続けている「棄兵棄民政策による国家賠償を勝ち取る会」の主催で、鹿児島県での開催は初めて。
会場には、厳寒と過労、感染症や栄養失調で「死」が間近にあった捕虜生活を描いたスケッチをはじめ、当時の工具や衣類など、約200点の資料を展示している。
鹿児島県シベリア抑留会代表の高崎弥生さん(86)=鹿児島市荒田=によると、県出身の抑留者は約2万2千人。「高齢化で生存者は年々減っている」という。
高崎さん自身も約3年間、氷点下45度にもなったシベリアや中央アジアの奥地で、森林の伐採や土地の造成、鉄道敷設の重労働を強いられた。「1日の食事が一切れのパンのこともあり、仲間が次々と死んでいった」と証言する。
現地で死亡した抑留者は推定約6万人。帰国できた元抑留者も「ソ連に洗脳されているのでは」と疑われ、なかなか就職できないという苦難を受けた。
勝ち取る会代表で元抑留者の林明治さん(85)=京都市=は「私たちは戦争が終わっても国のいけにえとなった。この問題は終わっていない」と話す。高崎さんも「悲惨な戦争と戦争直後があり、今の平和につながっていることを、展覧会で若い人にも知ってもらえれば」と望んでいる。
=2010/02/19付 西日本新聞朝刊=