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【スポーツ】

国母選手が尽力重病克服 信じる仲間 『最高の滑りを』

2010年2月18日 朝刊

骨髄移植の手術が成功した荒井善正さん(左)を見舞いに訪れた国母和宏選手=08年7月、都内の病院で

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 「最高の滑りを見たい」。公式服の着こなしや記者会見の態度が批判の対象となったスノーボード男子ハーフパイプの国母和宏選手(21)が、十七日(日本時間十八日)に登場。その国母選手の活躍を願っている一人のボーダーがいる。

 骨髄移植で重い血液病を克服した千葉県我孫子市の荒井善正さん(30)。移植を受けられたのは、国母選手ら仲間が寄付を呼び掛けるリストバンドを作り、治療費用を集めたからだ。

 出会いは十年前、ニュージーランドのスキー場だった。国母選手は十一歳。楽しそうに滑る姿にひかれ、誘われるまま冬場は北海道で一緒に滑るようになった。

 荒井さんを二〇〇六年、病が襲った。最初は足がうまく動かなくなる程度だったが次第に症状が重くなり、気を失って救急車で運ばれた。診断は「慢性活動性EBウイルス感染症」。死亡の恐れもある重い血液病だ。担当医は「助かる可能性は四人に一人」と言った。

 骨髄移植が必要だったが、費用が足りない。そんな荒井さんを支えたのはスノーボード仲間だった。中でも国母選手は熱心に寄付金集めに奔走、五カ月後には全国から数百万円が集まった。

 〇八年の夏。東京の病院の無菌室にいた荒井さんを国母選手が見舞ったのは、手術の一週間前だった。「これから外国で滑るんだ」。国母選手がするのはスノーボードの話ばかり。「それが彼の優しさ。早く元気になって、ボードをしたくなった」と荒井さん。「彼と出会っていなければ、病気に負けて死んでいたかもしれない」

 手術は成功。昨年から練習を再開し、今月六日には札幌の大会で競技に復帰した。結果は予選落ちだったが、国母選手からは「大会を楽しんでね。おれも(五輪を)楽しんでくるよ」とメールが来た。

 その直後に起きた「腰パン」「反省してまーす」問題。荒井さんは「あの記者会見の態度は怒られるだろうなと思う。やっちゃったな、という感じ」と突き放す。「ただ大事なのはこれから。楽しんで滑れば、結果はついてくるはず」。国母選手を、やっぱり信じている。(バンクーバー、共同)

 

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