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特集ワイド:ボク、首相のスピーチライター 居酒屋大好き、松井孝治官房副長官

 ◇霞が関文学ではダメ。大ビジョン語らないと。

 あの型破りな鳩山由紀夫さんの施政方針演説を執筆したのは官房副長官の松井孝治さん(49)だった。首相のスピーチライターとはどんな人物か? 下町居酒屋めぐりがお好きと聞き、一夜、杯を傾けながら、素顔を拝見した。【鈴木琢磨】

 冷たい雨が降る。11日の夕暮れ、東京はJR埼京線十条駅そばの「斎藤酒場」は祝日とはいえ、常連らでにぎわっていた。酔いどれ作家、中島らもさんに引っ越してきたいとまで言わしめた居酒屋である。そこへスーツ姿の松井さん、電車でやってきた。席につくなり、生ビールにポテトサラダを注文。ただ、せっかくの休日も仕事モード、ビールわきに置いた携帯電話が時折、震える。ちょうど鳩山さんの63歳の誕生日だった。

 「まあ、いろいろありましたけどね。いよいよ反転攻勢に出るぞって感じですか。やはり行政刷新担当相にした枝野(幸男)さんの人事は大きかった。総理はずっとやりたかったんですよ。タイミングを見ておられましたから」

 ぐーっとジョッキのビールを飲み干した。官邸の雰囲気がちょっと伝わってくる。「たる酒いきますか。それと煮込みを」。お気に入りの居酒屋らしい。いかにも勝手を知ったテンポである。「30代半ばかなあ、いきつけの飲み屋の主人らとで居酒屋探訪の同好会をつくったんです。神田のオーセンティック(正統派)な居酒屋から、泪(なみだ)橋の超ディープな縄のれんまで、ずいぶんと飲み歩きましたよ」

 京都の老舗旅館の次男坊で、東大教養学部を出て、通産省(現経済産業省)に入る。日米半導体交渉で汗を流し、出向した官邸で行革に本腰を入れていた橋本龍太郎首相の演説原稿を書く。「でも天下り先まで保証されている官僚に疑問を抱いていました。私は行政で施しを与える人、私は施しを受ける人、そんな考えをひっくり返したかった。新しい公共の概念が必要じゃないかって」。17年の霞が関暮らしにピリオドを打ち、01年の参院選に民主党から出馬(京都選挙区)し、当選した。

  ■

 鳩山さんとの付き合いは民主党の代表選から。思いのほか長くない。官僚時代に磨いた腕を見込まれ、演説原稿を頼まれた。首相に就任するや、官房副長官に指名された。

 「従来は〓七夕〓演説でした。各省庁が盛り込んでほしい政策を短冊にしてちりばめた感じ。それを説得力ある文章に練り上げるのには苦労するんですが、一国の総理がそんな演説でいいのかって思いでした。霞が関文学ではダメ。大きなビジョンを語らないと。年頭の施政方針演説はなおさら。鳩山さんは僕のモチーフ、新しい公共の概念に共感してくれているんです」

 その施政方針演説で、鳩山さんは呼びかけた。<いのちを、守りたい。いのちを守りたい、と願うのです。生まれてくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい>。まるで一編の詩。議場からやじが飛ぶ。ガンジーの七つの社会的大罪として「労働なき富」を口にすると、やじは一段と大きくなった。母親から月1500万円の「子ども手当」をもらっていたとあっては、格好の攻撃材料である。

 「もちろん、わかっていました。インドから帰ってきた総理はガンジー廟(びょう)で見たあの言葉にいたくこだわりがあった。何度も言いました。批判されますよって。文案を長官(平野博文官房長官)に上げたときも、ちゃかされるぞと言われたんですが、それでもガンジーの言葉には真実がある、ぜひ使いたい、と譲らない。頑固なところがあって」

 冒頭の<いのち>のくだりは内閣官房参与になった劇作家、平田オリザさん(47)のアイデアだったとか。「そうです。まずA3用紙1枚にキーワードを並べ、総理がどこに反応されるか、僕と平田さんで診断したんです。2時間かけて。そのメモをもとに僕がだーっと原案を書き、総理や平田さんに見てもらい、推敲(すいこう)を重ねた。演説はつかみと締め。<いのち>で始めたなら<いのち>で終わりたい。どうするか、悩みましたね」

 結びは1月17日、阪神大震災15周年の追悼式典でのひとコマだった。ガレキの下敷きになった息子を亡くした父親の悲痛な声を引用した。<ごめんな。助けてやれなかったな。痛かったやろ、苦しかったやろな>。鳩山さん、ぎこちない関西弁で読んだ。「スピーチライターは、その人がぐっときた言葉をとらえ、文字に落とし込んでいく仕事です。あの日、僕はインフルエンザで休んでいましたが、秘書官からメールが入った。遺族からこんな話があり、総理は泣いていました、と。これしかない!と決めました」

  ■

 たる酒が少し回ってきたせいか、松井さん、顔がぽーっと赤らんできた。「年ですかね、このごろ涙もろくて。母は兄貴を出産後、もう産めんよと産婦人科の先生に宣告されました。そんな母から、お前は神さんからのもらいもんや、神さんにご恩返しせなあかんよ、と言われて育ちました」。居酒屋のみならず、せっせと寄席にも通い、クラシック音楽も聴く。官僚時代、3日の休暇を利用してシカゴに飛び、朝比奈隆さん指揮のシカゴ交響楽団のコンサートに駆けつけた。朝比奈さんが他界した際の追悼文がある。

 <私は、政治家として、人間として、朝比奈さんの百分の一でいい、人の心をうち震わせることのできる人生を送りたい、と願ってやみません>(ホームページから)

 ほかに先輩官僚の死を悼む文もあって、文学青年の片りんがうかがえる。「国語少年ってところですよ。中学生のころは中島敦の『名人伝』なんか好きでした。文章の手本なら、梶井基次郎の『冬の蠅(はえ)』かな。無駄をそぎ落とした文章、ああいう文章を書きたいなあ」。理系首相とまるで感性が違う。たまに鳩山さんを居酒屋に誘うのはギャップを埋めるため? 「まあね。いろんな体験をしてもらわないと演説に魂がこもらないですし。総理はせっかくの感動を流してしまうことがあるんですよ。宇宙人ですから。それが強みであり、弱みかな」

 ところで、といささか酔った勢いで問うてみた。小沢一郎民主党幹事長のスピーチライターはできます? 「書けないなあ。主張を貫き通す偉大な政治家だとは思いますが、書くべき人物ではないですよ、僕は」。それなら、とあと1問。いずれは台本書きから主役の首相に? 「僕はタイプじゃない。気恥ずかしくて」

 まんざらでもない表情の松井さん、「反転攻勢、反転攻勢」と音の漏れてきた携帯電話を胸にしまい、雨の中、駅へと走った。政治学者と会うらしい。鳩山政権の支持率下落に歯止めはかかるだろうか。

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t.yukan@mainichi.co.jp

ファクス 03・3212・0279

毎日新聞 2010年2月17日 東京夕刊

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