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エレベーター  5F


「俺はやめないからな」
 首筋に触れていた唇が、なでるように動いた。浅黒く厚い胸板がわたしの胸をぺしゃんこに押し潰していた。
「うん、いいよ」
 わたしは余裕ぶって高塚に応じてやった。 もっとも、すでに息も絶え絶えだったけどね。 目を閉じて、熱を帯びた首に腕を回した。
「藤井」
 再び、狼の捕食が始まった。

 高塚。
 高塚がわたしに触れてる。
 こんなにそばにいる。
 隙間もないほど、こんなにそばに。

  本当の気持ちを悟られずに済んだことを安堵するべきか、自分の想いを伝えられない不甲斐なさを嘆くべきか、熱に浮かれた頭ではまともな考え事なんてできなかった。

 高塚の行為は、最初から激しかった。
 唇も、舌も、指も、触れ合っている肌も、なにもかもが熱かった。 容赦なく、高塚は指と舌だけで何度も何度もわたしを追い詰めた。 熱と酸欠で意識がもうろうとし始めた頃、ようやく、高塚がわたしの中に踏み込んできた。
 その瞬間、爆竹がはぜたように頭の中が真っ白になった。

 荒々しくて、まるで動物だった。 獣に貪られている心地だった。
 わたしにだって、片手くらいの経験はある。 でも、あんなに深く、抉られるような熱を感じたのは高塚が初めてだった。
 苦痛と紙一重の快感は、わたしの身も心もすみずみまで焼き尽くしてしまうようだった。

「直海、直海、お前かわいいなぁ」
 高塚は、救いようもなくだらしない顔をしていた。 いやらしくて、そのくせすごく優しい眼差しだった。 気分を盛り上げるための戯言とわかっていても、女の温度が上がらずにはいられなかった。
「高塚、ねぇ」
 わたしが首を伸ばすと、高塚はひどく嬉しそうな笑みを浮かべた。 そしてすぐさま、捕食のキスでわたしの唇を塞いだ。
「俺の名前、呼んでくれよ」
「名前?」
「まさか知らない?」
 わざとらしく眉尻を下げて高塚が言った。
 獰猛な狼に甘えられているようで、なんだかおかしかった。
「けんじ?」
 高塚のとがった鼻先をぺろっと舐めた。 しょっぱかった。
「うん」
 わたしの頬を両手ではさんで、高塚は酔っ払ったみたいに目を細めた。
「健志、健志」
 高塚は一層激しくわたしに迫った。
 欲望にかすれた声で、直海、と呼ばれるたび、わたしの体温が1度上がっていくようだった。 わたしはすぐさま、焼け切れるほどの熱と震えで満たされた。 何度目かわからない熱の津波の後、わたしの中で暴れ回っていたけものが動きを止めた。

 このときわたしは、かなり重篤な酸素欠乏症に陥っていた。 なのに、わたしに覆いかぶさっていた捕食動物は、情け容赦なくわたしの唇に噛みついた。
「やめて。 息できない」
「うん、ごめんな」
 このときもこの後もずっと、高塚の謝罪は口先だけだった。

 かかえられるように連れて行かれたバスルームで、メイクを落とし、髪と身体を洗ってもらった。 だっこされて浴槽につかり、そこでもう1回した。 もちろん、髪を乾かしてベッドに戻ってからも、何回も。
 発情期のサルだってここまでしないよね。

 でも、いっそのこと、おサルさんならよかった。
 わたしたちは、いがみ合いながら仕事をさばく同僚で、常に腹に一物かかえる大人で、複雑怪奇な感情に振り回される人間だ。
 もっと自分の気持ちのままに、素直に生きられる生き物ならよかった。

 人生が安全なエレベーターなら、絶対にこんな事態にハマったりしなかったはず。
 いくらわたしだって、こんな業突くばりな暴挙になんて出なかったはず。
 好きな人に捨て身で迫って関係をもつなんて、軽率な行為に走ったりしなかったはず。
 そうした自分の一連の軽挙妄動をすべて鮮明に覚えていて、後悔と羞恥で消えてなくなりたいと絶望することもなかったはず。

 どうしよう。
 どうしたら、この状況から抜け出せるんだろう。
 どうしたら、引き剥がすには温かすぎる高塚の腕から飛び出せるだろう。
 どうしたら、息ができなくなるほど甘い200回のキスを忘れられるだろう。
 どうしたら、高塚への気持ちをなくせるんだろう。

 どうしたらいいんだろう。

「やっぱり、遅すぎたよな」
 重苦しい沈黙を破ったのは、高塚の小さなつぶやきだった。
「え?」
「わかってたけど。 でも、昨夜は飲みに誘ったらサシなのについてきたし、普通に俺としゃべるし、結構笑うし、もしかしたら大丈夫なのかなって、思ったんだよ」
 わたしを抱きかかえていた高塚の腕の力が強まった。 肩と腰に回された手が、わたしの動きを封じこむ。
「なに言ってるの?」
「お前さ、なんで酔った振りなんかしたんだよ」
 血の気が引いた。
 まっすぐわたしを見つめる高塚の眼差しは、あまりにも真剣で、悲しげで、寂しげだった。 目をそらすことなんて、できなかった。

「なぁ、答えろよ。 なんで酔った振りして俺を誘ったりしたんだよ」


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