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Floor No. 1  2  3  4  5  6 
エレベーター  4F


 あんまり声高には言いたくないんだけど、我が家は祖父母の代から近所じゃ有名な酒豪一家なのだ。 日本酒1升なんてちょろいもんよ。

 だから、バーを出たときも完璧にしらふだった。
 高塚がわたしの耳元で「うちで飲み直そう」と言ったときも。
 きっとあいつは、わたしが完璧に酔っぱらって前後不覚に陥っていると思い込んでいたんだろう。 だから油断しきって、あんなふうに平然とわたしを誘ったりしたんだ。

「うん、うん、いいねぇ」
 捨て鉢な気分だった。
 一方で、この機会を逃すわけにはいかない、という、したたかで強欲な切迫感も確かにあった。
 わたしは高塚の腕に両腕を絡め、恋人気取りでべったりくっついた。
「藤井の家はどこ?」
「阿佐ヶ谷」
「へぇ、いいところに住んでるんだな」
「高塚もね。 神楽坂ってほんとすてきな街だよね。 いいなぁ」
「だろ? 引っ越してこいよ」
「あはは、いつかね」
「それにしても寒いな。 早く行こう。 風邪引く」
 とんとん拍子の展開が嬉しいのか、高塚はわたしを引き剥がそうともしなかった。
 見たこともないような締まりのない笑顔でわたしを見つめ返した。
 あの程度のお芝居も見抜けないなんて、こいつは案外、女を見る目がないのかもしれない。

 高塚の家は、東西線神楽坂駅から歩いて5分ほどの場所にあった。 ぴかぴかの白い10階建てマンションで、わたしが住んでる住宅街にとけこんだこじんまりしたマンションとはえらい違いだった。
 スタイリッシュなデザイナースホテルのようなエントランスに入っていくときも、オートロックを解除するときも、エレベーターのボタンを押すときも、高塚はわたしの手を離さなかった。
 ちょっとだけ笑いそうになった。
 あんた、実は女日照りなんでしょ。
 大丈夫だって。 わたしはあんたのことが好きだから、逃げたりしないよ。

 エレベーターの扉が開いた。
 ぐい、と、高塚がわたしの手を引いた。
 あいかわらず締まりのない笑顔でわたしを見下ろしていた。

 1、2、3、4、5、6。
 エレベーターはなにものにも邪魔されず上がっていき、6階で停まった。
「つまみはチーズでいいよな?」
「うん、大丈夫だよ」
 どうせ飲まないんだしね、という言葉はどうしてか口に出せなかった。

「どうぞ」
 ドアを開けると、高塚はにっこりとわたしを見つめながら先に中に入るよう促した。
 初めて目の当たりにする高塚の優しく紳士的な態度に、つい頬がほてりそうになった。一方で、自分がしでかそうとしている行動を思うと、時限爆弾のタイマー音を耳元で聞かされているような心地だった。 心臓が暴発しそうだった。
「お邪魔します」
 自動照明が点いた。 広めの玄関と奥行きのある廊下が視界に広がった。
 ここが、高塚が暮らす部屋。

「なに突っ立ってんだよ。 早く上がれよ」
 高塚がわたしの真後ろに立った。 わたしはくるりと振り返った。
 驚いて目を見開いた高塚の首に、わたしは真正面から両腕を回した。 力の限りに抱きついた。 高塚の身体が強張るのがわかった。 短い吸い込んだ呼吸も、ごくりと鳴った喉の音さえ聞こえた。
「おい、藤井」
 焦りのにじんだ声をあげて、高塚がわたしの肩をつかんだ。
 痛かった。 その痛みに刃向かうように、わたしは高塚の唇に自分の唇をぶつけた。
 自分から誘っておいて、なにいまさらびびってるのよ。 そう思ったけど、わたしはそんな軽口ひとつ叩く余裕もなかった。
「お前ふざけんなよ」
 すぐに顔をそらした高塚が、凄むようにわたしを睨んだ。
 怒っていた。 高塚は激怒していた。 怖かった。
 至近距離で睨まれると、さすがに決意が揺らいだ。 でも、消えはしなかった。
 わたしは怒った男に怯んで大人しく引っ込めるほど、かわいい女じゃない。 そんな繊細な神経じゃ、営業職なんてやってらんないっつーの。
 負けてたまるか。 わたしは高塚を睨み返した。
 射殺すような男の視線と冷たく張り詰めた部屋の空気が、ピリピリと痛かった。

「ふざけんなよ」
 高塚がつぶやいた。 けものの唸り声みたいだった。
 2度目のキスは、高塚からだった。

 獲物を貪る狼みたいだった。
 わたしは乱暴にドアに押し付けられた。 後頭部に回された手のひらが、わたしの髪をぐしゃぐしゃに乱した。 ぶつかった肩や背中がひどく痛んだ。 唇を割って無理矢理踏み入ってきた舌が、縮こまっていたわたしの舌を捕まえた。 荒々しい呼吸が漏れた。おしりをつかまれ、腰と腰が密着した。 厚手のカシミア越しに、高塚の欲望を感じた。

 奪い取るように服を脱がし合いながら廊下を進み、わたしたちは寝室に飛び込んだ。
 2人一緒にベッドに沈んだときには、すでにわたしはピアスとネックレス、左手中指の指輪しか身につけていなかった。


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