不正や違法行為、言論弾圧を行う都議・区議に聞き取り聴取を行うことは、理解できるが
自宅の前で大きな声を上げられるのは敵わない。
自分は公明党に投票していないから、彼らを議会に送り出した責任を転嫁されるべきではない、
という指摘です。
ごもっともな主張です。
しかし、区議の邪な策謀によって、最大4年間の懲役刑に処され様としている無実の人間としては
自らの力でこれを回避する努力をしているのです。
その過程において、ほんの10分か15分間大きな声を上げていますが、それが近隣住民にとって
耐えられないほどのものでしょうか。
無実の罪で刑務所へ収監されるかもしれない立場の人に比べれば、許容しては頂けないでしょうか。
人間は皆が健常者ばかりではありません。
眼の見えない人が道路端でウロウロしていたら、長い人生の中でほんの5分間時間を割いて、道案内してあげる余裕はないでしょうか。
これは創価学会による弱い者いじめです。
自分がいじめのターゲットになっていないから知らん振りをしてるに過ぎません。
私は貴方に助けてくれとは頼んでいません。
ただ、私が行う自主防衛行動を阻害する権利はありません。
私には生存権がかかっています。
こういった犯罪者集団を許容した結果、日本という国が公宣流布により
創価学会以外の宗教を認めない池田王国になってもよいというのでしょうか。
公明党議員は自らが出てこないことで、沈黙を守っていますが、これは近隣住民を楯にして創価学会をお守りしているのです。
家の周りで騒ぐ輩を悪者と印象付ける。
結果、自分は被害者の構図を作っているのです。
家の周りで騒ぐ輩を悪者と印象付ける。
結果、自分は被害者の構図を作っているのです。
あなた方ご近所さんは創価学会の防波堤の役目を担わされていることを、誇りに感じているのでしょうか。
貴方の近隣に住むのは創価学会の犯罪者です。
貴方がおとなしくしていれば今のところ直接的な被害を受けないから
のんびりとしているのでしょう。
これが抗争を繰り返す暴力団だったら、ゴミ屋敷だったらどうでしょうか。
自らの安全と清潔な生活を守るために、声を上げる事もあるでしょう。
住民が横断幕や襷をかけて追放・撤去運動をするでしょう。
そんな時に「私は暴力団は好きだ」「ゴミ屋敷は素晴らしい」と感じる人が「うるさい」といったら
貴方は黙りますか。
日本は曲がりなりにも民主主義国家です。
犯罪者議員を議会に送ったのは皆さん方中野区民の選択によるものです。
落選させられなかったのも中野区民の選択によるものです。
すくなくとも選挙で棄権した50%以上の方には責任があるといえるでしょう。
その議員が公明党区議団としての地位と立場を利用して組織的犯罪を遂行しているのです。
私は公明党に投票しなかったから、関係ないというものではないのです。
今、支那人が日本に入り込んで凶悪な犯罪を繰り返しています。
犯罪とは関係ない善良な支那人もいるでしょう。
「私は同じ支那人でも犯行為を行っていないから関係ない」とは言っていられません。
同じ国の人間として、犯罪を食い止めるための努力・働きかけを行うか、
せめては心を痛める立場にあるはずです。
我々は飢餓と貧困、戦乱と殺戮、専制と隷従を強いられるアフリカかどこかの国民とは違います。
おかしい事をおかしいと、間違っている事を間違っていると思考する能力があり、
声を上げる機会も与えられています。
にも拘らず、明日の命を繋ぐ術を考えるのが精一杯の第三世界の民の如く、世の不条理に口をつぐんでいて良いのでしょうか。
この経済大国である豊かな国に生まれ育った我々こそが、声を上げなければならないのです。
これは、そういった機会を与えられた文明国に生まれ育った国民の義務にも等しいのです。
しかし、それを私が近隣住民に強制できるものでもありません。
何もしないのであれば、創価の犯罪者であれ、暴力団事務所であれ、ゴミ屋敷であれ只、黙っていればよいのです。
小市民としては近いし将来の専制政治と他国による隷従にも耐えるしかないでしょう。
因みに、東京都の定めた暴騒音条例ではスピーカーから10メートル離れた場所で80デシベル以上の音量を出してはならない、となっています。
これには新宿駅前とか中野区内とかの地域の指定はないのです。
私は自主的規制によって、これよりもはるかに低量の最低限の音量を発しています。
法律的には更に大きな音量を出しても違法ではないのです。
ただ、迷惑と感じていらっしゃる人々が大多数であることには申し訳なく思っています。
その点についてはお詫び申し上げます。