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2010/02/16 17:08 KST
ベール脱ぐ「熊本農場」、日本のコメ収奪実態明らかに
【群山16日聯合ニュース】日本植民地時代の韓国最大の穀物農場であり、日本によるコメ収奪の象徴的存在だった熊本農場の実態が、近く明らかになる見通しだ。

 全羅北道群山市は16日、群山看護隊がこれまで保管してきた熊本農場の決算書や営業報告書など遺物75点を寄贈したことから、日本植民地時代に収奪されたコメの収穫高や小作農の生活実態などを把握できるようになったと明らかにした。

 日本の大地主だった熊本利平は1930〜1940年、1200万坪余りに達する広大な土地を所有し、3000世帯余りの小作農を使っていた。こうした農地の管理とコメ輸出を引き受けていた熊本農場があった場所は、現在は群山看護隊の用地として使用されている。

 寄贈された遺物には1935年から1945年までの熊本農場の決算書10点と個人決算表、営業報告書、土地台帳、地籍図などが含まれており、当時の経営方式や会計方法などを研究する上で大きく役立つ見通しだ。

熊本農場の決算書(群山市庁提供)=16日、群山(聯合ニュース)

 あわせて、熊本農場が持っていた中国の唐・宋時代の冊子40冊余り、古書画、日本式の衣装だんすなども寄贈され、当時の生活実態などを垣間見ることができそうだ。

 群山市関係者は、寄贈された資料は日本植民地時代のコメ収奪過程などを詳しく追跡できる貴重な資料だと説明している。市は学芸員や書類翻訳家らとともに当時の熊本農場の経営実態や小作農の生活実態などを分析し、これを公開する予定だ。

japanese@yna.co.kr