林田力

 急加速やブレーキが利かなくなるなどトヨタ車の欠陥に起因するアメリカ社会のトヨタ・バッシングに対し、一部には米国による普天間問題への報復ではないかとの見方が出ている。

 歴史的な政権交代を果たした鳩山連立政権は、従前の自民党政権が米国と合意した米海兵隊普天間飛行場(普天間基地)の辺野古(キャンプ・シュワブ沿岸部)移設について判断を先送りした。これに対する報復として、米国が日本の代表的企業であるトヨタ自動車をバッシングするように誘導しているとの見方である。

 私は報復説をうがった見方であると考える。鳩山政権が成立し、辺野古移設見直しが唱えられる前から米国ではトヨタ車の欠陥が問題になっていた。自動車と同じく高級財であるマンションが問題になった耐震強度偽装事件を思い出せば、トヨタ問題の過熱報道は理解できる。むしろ日本のメディアや消費者がトヨタに遠慮している方が異常である。

 マンションは自動車以上に高額で一生に一度あるかないかの買い物であり、欠陥品であった場合の一般購入者の打撃は甚大である。しかし、トヨタ車の欠陥では現実に事故が起き、何人もの死者が出ている。2009年8月28日にはサンディエゴ郊外でカリフォルニア州高速警察隊員マーク・セイラー氏の運転するレクサスが暴走し、乗員全員(4人)が即死する事件が起きた。事故直前に「アクセルが戻らない」と悲痛な訴えをした交信記録は痛ましい。死者や遺族の無念への共感力があれば、耐震強度偽装事件以上に過熱することも納得できる。

 耐震強度偽装事件は時間の経過によって風化してしまったが、それは歴史性に欠ける日本社会の短所を物語るものであり、消費者にとって不幸である。過去を水に流し、焼け野原から経済大国にしてしまう前に進むことしかできない国民性と、リメンバー・パールハーバーの国民性は異なる。米国社会がトヨタ・バッシングを継続することはアメリカの消費者の健全性を示す指標になる。

 より重要な報復説への反論はトヨタ・バッシングが日本と対立するものではないという点である。トヨタ車の欠陥が明らかになることは日本の消費者にとっても利益である。トヨタは下請け叩きや派遣切りなど日本国内で大きな問題を抱えている(「トヨタ自動車の大量リコールとコスト削減」-JanJanニュース)。賢明な日本人にとってトヨタ・バッシングは歓迎すべきことであって、日本への報復にはならない。以上の通り、報復説は説得力に欠けると考えるが、あえて普天間とトヨタ問題を結びつけて検討したい。

 イエス・キリストは「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と述べた。日常的に騒音被害や墜落の危険に晒される世界一危険な普天間基地の即時閉鎖や、貴重な自然を破壊する辺野古への移設反対が沖縄の民意ならば、海兵隊は撤収し、土地を沖縄に返すことが解決策になる。

 一方、トヨタ問題ではトヨタの米国法人が情報も権限も有していなかったことが対応遅れの制度的要因とされる。米国でビジネスする以上、米国法人に責任ある体制を求めることは国民感情として自然である。これは切実さでは比較にならないものの、日本の公権力が及ばない在日米軍の横暴に心を痛ませている日本人にも共感できる問題である。ここでもトヨタ本社に集中させていた権限や情報を現地に返すことが解決策になる。

 戦後日本はアメリカの植民地であると揶揄されるが、日米関係は戦前の日本が植民地や侵略地域を搾取したような一方的に収奪する関係ではなかった。日本は米国に従属する代わりに米国市場で金儲けができた。そのような従属意識を引きずっているならばトヨタ・バッシングは報復に映る。

 これに対して、鳩山由紀夫首相は「日本は米国に依存しすぎていた」と語り、新たな日米関係を志向する。普天間問題もトヨタ問題も新たな日米関係を占う上で、ふさわしいテーマである。トヨタ問題を報復と受け止めて萎縮するのではなく、トヨタを生贄にするくらいの思いで、普天間問題では沖縄の民意を貫くべきである。それが健全な日米関係を築くことになる。

 関連記事:トヨタ自動車の大量リコールとコスト削減-JanJanニュース
 http://www.janjannews.jp/archives/2601273.html


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