第1部
 第25章 三大楽しみのU おしゃべり
 お喋りこそが文化
 私にとっての最大の楽しみの一つは、ホームページで探求しなくても決まっている。おしゃべりなのだ。ところが同時に最大の障害が、おしゃべりを聞いてくれる人がいないと言うことなのだ。少し前までは、どんな話題でも聞いてくれる人(複数)がいた。それも単に相づちを打つと言うだけではなく、相互通行が可能な人がいた。対等な関係であれ、こちらが教わる関係であれ、こっちが教える関係であれ。しかも女性のおしゃべり相手がいた時期もあったのだ。何という幸せであったのか。
 自分は他人とのおしゃべりの過程で、自分の考えをまとめたり、進化させたり、新しい知識や発想を手に入れたりする方である。だからおしゃべり相手がいないと言うことは、自分の知的感情的進化が停滞するということなのだ。自分の生命力が退化してしまうという恐怖に襲われるのだ。

 お喋り相手の確保が難しい
 しかし今は話し相手に事欠いてしまう。例えば、アニメのヴァンドレッドに感激したとして、誰とその話題をしゃべればいいのだろうか。自分の回りにはヴァンドレッドなど見ている人はいない。せいぜいアニメに詳しいという人がいるだけである。さらに、超常現象やら輪廻転生やら「永遠の女性」など相手にしてくれる人はなかなかいない。心理学だのカウンセリングだの遺伝子理論だの進化論だの、若しくはSFだのと、小林よしのり論でさえも。
 話題だけの問題ではない。私は酒もたばこもやらない。コーヒー1杯で2時間しゃべる男である。そんなおしゃべり男の相手をしてくれる人は滅多にいない。行きつけのサテンのマスターも、いかに仕事が暇であってもこっちの相手をしてくれるわけではない。逆にこっちがマスターの好きそうな話題を気を遣って探さなければならない。たっぷり金をかければ、接客業で聞いてくれる人がいるのかもしれない。しかしそれは金の桁が違うのではなかろうか。

 職業の問題か
 職業を間違えたと言うこともできるだろう。例えば、学校の先生ならば、たとえそれがただの高校中学であったとしても(大学、研究所でなくても)、授業中の余談として自分の好きな話題を持ち出しても平気だろう。生徒は一応教師対生徒という立場に応じてまじめに聞くだろう。感想を聞くこともできるかもしれない。事実そうして自分の好きな話題、好きな思想問題を授業で取り上げてレポートを書かせている教員もいる(いわゆるサヨク思想的教員)。若しくは、中小企業などの管理職であれば、部下は心の中では「また始まった」と思っていても、酒飲み話・世間話の中でこっちの好きな話題で熱心に聞くだろう。

 少数派の存在
 ここで誤解をさけるために言っておきたい。別にこっちが相手の話を聞こうとしないで一方的にしゃべっているから話し相手がいないのではない。これははっきり言っておきたい。なぜいないのかというと、まず第1に、最近ではお茶1杯で何時間でもしゃべるような元気のあるおしゃべりのできる人間が少ないこと、第2に、それだけの豊かな話題を持っている人が少ないこと、そして第3に、私と共通の話題を持っている人がなかなか自分の回りにいないこと、である。つまり自分はマイナーな話題を持っていること、多くの人の話題はスポーツ新聞か仕事職場の話題で終わっていること、である。

 生命エネルギーの低下
 さらに、自分の若い頃に比べると、人間の対話するエネルギーが落ちているのではないか。その上、人間の話題が軽薄短小になっているのではないか。これもSF日本民族弱体化計画の効果なのだろうか。昔時間の経つのを忘れておしゃべりしたあのころの人たちはどこへ行ってしまったのだろう。みんな家庭や仕事が忙しくて、ただのおばさんの井戸端会議か職場の愚痴飲み会になってしまっているのだろうか。

 ネットで探せるのか
 こういう話をネットですると、おそらく「ネットで探せばいい」と言うことになるだろう。確かに掲示板に書き込んだりチャットするのでよければネットで相手は探せるだろう。だが自分は古い人間なのか、どうも直接でないと安定してしゃべれない。勿論、議論をするというのであれば、ネットの方が時間をかけて文章を考えて伝えるのだから、直接よりいいのかもしれない。だが私は議論をしたいわけでもない。議論でもないよりましだが・・・。その内ネットでレスの交換に慣れてくると、それが楽しくなるのかもしれない。そう思ってネットで少しづつ書き込みすることにしている。 
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