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4.売り手の視点――売らぬ存ぜぬ
児童ポルノ法に関して「マイノリティ保護」やら「精神活動の自由」はたまた「民主主義を守る戦い」やらといった権利の問題として捉えることは今までも多くなされてきた。だが、権利や自由などといったものを標榜するのは耳障りはいいが、結局のところその本質は伝わりにくい。この観念的な議論は生活観を感じさせないし、とっつきづらい違う世界の出来事のように聞えてくる。例えば、これまで憲法が議論されても憲法の解釈が変わっても我々の生活は何一つ変わってこなかったからである。児ポ禁法が見なおされたらいったい生活にどのような影響を及ぼすのか、それは結局わからず仕舞いだ。
そろそろこの問題も現実的日常的な観点から考えてみたい。結局、逮捕だの弾圧だのファッショだの騒いだところでそれは煽動の域を越えないし、ほとんどの人には関係無いことでしかない。これはほとんどの反対運動に見られることだが、法案成立(改正)までは煽るだけ煽って、例えば「軍国主義の到来」だとか「自由が死ぬ」だとか散々危機感を煽るが、やはりそれは「政治の問題」にすぎず「日常の問題」ではないから、法案が成立(改正)が済んで「熱さ」が喉元を過ぎた途端に民衆は熱くないことに気付いて興味を失ってしまう。そしてあれほど騒がれた法案も記憶から消えていくのである。果たして、その法案は何ももたらさなかったのか。そんなことはない。「政治の問題」が通りすぎても、最初から誰も見ていなかった「日常の問題」が確実にこの生活に影響を及ぼしているのだ。しかし、今まで誰もそんなことを考えていなかったから、誰もそのことに気付かない。そうして変化は既成事実化し、皆の日常は変化した日常として定着してしまう。
正直、私もここまで様々な危機感を煽ってきた。センセーショナルな見出しを打った方が興味を引きやすいし、そうでもないと誰も関心をもたないからだ。もちろん、技術論的に不可能性を指摘した面は多々あるが、実際問題として極端な事例のみを並べたことは否めない。だが、ここからは本当に懸念される日常レベルの問題である。
おそらく、最も日常の中の実感として捉えられるのはやはり経済(産業・商業・流通)だろう。そして、経済の分野を支配するのは「理論」や「イデオロギー」や「倫理」などではなく、ただ単純に冷徹に徹底的に「損得」の計算である。だからこそ、規制は法の枠すらも飛び越えて自らの意思で広がっていく。この社会で文化(習慣)のありようを決めるのは政府ではなく市場であり、皮肉なことに文化を殺すのもまた市場である。それは産業というよりも流通のレベルの問題である。なんの問題であっても、一番恐ろしいのは政府の規制(圧力)ではなくて、業界自らの自己規制なのだ。
この問題は既に現行児童ポルノ禁止法で発生している。それがかの有名な「紀伊国屋ファクス事件」である。詳しく説明すると、これは児童ポルノ禁止法が施行される直前の1999年10月5日に大手書店である紀伊国屋が各店舗にファクスで通達を出したという出来事である。以下、少々長いがそのファクスの全文を転載する(太字部分)。
標記の件、既に把握されていることと思います。98年より継続審議されていました「児童ポルノ禁止法」(正式名称;児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護に関する法律)が本年5/18衆議院本会議を通過し成立、本年11/1から施行されることとなりました。
この法律の目的は、児童買春、児童ポルノに係る行為を処罰し、児童に対する性的搾取、虐待から児童を保護し児童の権利を擁護することとなっています。 その内容は、欧米並みの厳しいものとなっており、また表現が曖昧なため解釈が難しい(広く該当してしまう)ことも指摘されています。我々に係る内容を要約すると以下の通りです。
1.対象の「児童」とは、18歳未満が該当。
2.「児童ポルノ」とは、写真、ビデオテープその他の物で、
・児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態を視覚的により認識することができる方法により描写したもの。
・他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの。
・衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの。
3.「児童ポルノ」を頒布し、販売し、業として貸与し、又は公然と陳列した者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処す。また、上記の目的で、児童ポルノを製造し、所持し、運搬し、本邦に輸入し、又は本邦から輸出した者も同様とする。
4.法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業員が、その法人又は人の業務に関し、第5条から第7条までの罪を犯したときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対して各本条の罰金刑をかする。
つまり、18歳未満の児童の上記の内容の写真、ビデオテープその他の物を販売した場合は、しかるべき処罰がなされ、その刑事罰は個人ばかりか「法人」に対しても適応される。さらに、これは同業界の製造元の出版社はもちろん、出版物の運搬を行なう取次に対しても同様に適応される。
<施行に伴う注意点/対策>
既に同様の法律が施行されている欧米に比べ、今回初めて施行される日本はその内容の社会的認識と意識が、不慣れなため低い状況です。業界の対応も、出版社、取次ともに迅速に、敏感にという状況にはありません。(トーハンは雑誌の部分で注意していくというスタンスはあるようです)
また、同法律が施行され公安当局がどのように動き出すのか不透明な状況ですが、見せしめのための摘発も充分に考えられ、それが社の大きなイメージダウンに繋がりかねない危険性があります。(店頭での摘発ばかりでなく、性犯罪を起こした犯人の家宅捜索の結果該当商品が押収されその購入経路からの摘発はありえる)何れにしても業界リーディングカンパニーの我社としては、その対応には充分に注意しなければなりません。元々該当しそうな商品を積極的に販売している店舗は無いと思われますし、取次も処罰の対象から当然自主的に注意、規制して行くものと思われますが、「疑わしき物は排除する」を基本方針とし具体的には、下記の点を注意下さい。
1.店頭商品で該当しそうな商品のチェック/返品を実施。
・18歳未満と年齢が表示されて写真、動画が掲載されているもの
・年齢が表示されていなくても明らかに18歳未満と見て取れるもの
・年齢が表示されていなくても学生服等年齢を連想できる姿態のもの
・アニメーション、動画のものも注意する(条文の「その他の物」に係る恐れがある)
2.注意が必要な商品群
コミック;成人もの(成人マークのあるもの)、耽美小説系のもの
攻略本
雑誌;少女コミック、女性向コミック、ゲーム、CD-ROM関連
本誌の内容と全く異なるものが(同法に抵触する内容)別冊、増刊として発売されることがある。
又は本誌の取扱の無いものが突然配本されることもある。
写真集;少女ヌード、芸術系も注意が必要(子供の被写体がないか)
3.店頭販売ばかりか、客注品/通信販売に対しても注意する。
客注を依頼され、入荷したものが該当商品の場合、若しくは受注段階で判断出来るものは、顧客に対し販売しない(できない)。
この場合、顧客とのトラブルにならないように対応は十分に注意する。
例「児童ポルノ禁止法が11/1より施行されました。お客様がご注文された商品は同法に抵触する恐れがありますので私どもではご注文/販売をいたしかねます。誠に恐れ入りますがご了承下さい」
4.描写の程度、基準
判断は難しいと思われますが、法律の条文に触れそうなものは上記の基本方針に従う。あくまで同法の基本主旨を考え判断下さい。
冒頭に法制定の経緯と内容、そして次に注意点と対策として紀伊国屋のスタンスと対応策が記されている。まず、注目されるのは「その刑事罰は個人ばかりか「法人」に対しても適応される」「見せしめのための摘発も充分に考えられ、それが社の大きなイメージダウンに繋がりかねない危険性があります」などのくだりである。このファクスが、児童ポルノ禁止法への協力や単なる順法精神ではなく、この危機感から発信されたものであるのは明らかだ。そしてそれゆえに、以下過剰とも思える対応策が続くのである。
この「紀伊国屋ファクス」では事細かに様々な商品に対して注意を呼びかけている。
「店頭商品で該当しそうな商品のチェック/返品を実施」とあるが、これは写真集などを念頭に置いた記述であろう。もちろん、法律で規制の対象となった商品に対して指示を与えるのは当然であるが、ここで注意したいのは「自己規制」の内容である。「年齢が表示されていなくても明らかに18歳未満と見て取れるもの」「年齢が表示されていなくても学生服等年齢を連想できる姿態のもの」「アニメーション、動画のものも注意する」とまさに「疑わしき物は排除する」の精神である。
「注意が必要な商品群」も同様である。成人ものコミック、耽美小説系、さらに少女コミックから雑誌まで、現行法では絵は規制範囲外であるにもかかわらず、相当の注意を配っていることが読み取れる。
とはいえ、この紀伊国屋の対応を単に暴走、あるいは先走りとは片付けられない。「条文の「その他の物」に係る恐れがある」とわざわざ但し書きがあるように、児ポ禁法の条文自体があいまいで不明瞭であることは本文でも今まで述べたとおりであって、また、公安当局の動きが把握できない当時においては、企業の自衛策としては考えられる範囲のものであるというのもまた事実だろう。
ところが、実際に実施された「自主規制」による「防衛策」は首を傾げたくなるようなものだった。これらの通達によって店頭から撤去された商品は、成年誌、少女ヌードが主であったが、それらに「バカボンド」や「ベルセルク」などの有名コミックも含まれていたのである。理由は児童の性描写があるということらしいが、どの部分かは明らかにされていないため不明である。
結局この撤去騒動は、太田出版の営業が撤去に気づいて他の出版社へ連絡し、商品は元に戻されて一件落着となった。
ネット上ではこの「紀伊国屋ファクス事件」は、紀伊国屋の文化に携わる企業としての責任を放棄した暴挙として糾弾されがちだが、それ以上に多くの示唆に富んだ出来事である。紀伊国屋の責任はひとまず置いておいて、単純に企業としての損得勘定で見た場合、摘発の可能性がある商品を売るわけにはいかないのは事実である。「それが社の大きなイメージダウンに繋がりかねない危険性があります」と恐れているように、特に性関係の事件で摘発された場合のイメージダウンは計り知れないものがある。児童ポルノに抵触する恐れのある商品など、全体の売上から見れば一部分でしかない。一部の危険な商品を切り捨てることでそのリスクを軽減できるものならば、書店側も迷うことなくその選択肢を選ぶだろう。
このような事態を引き起こしたのは児ポ禁法の条文に原因があるのは言うまでも無い。現行法ですら、写真だけ規制しているのか、ポルノ雑誌のみを対象としているのか、芸術目的の少女写真集はどうなのか、非常に判断に迷う。そのグレーゾーンの恐怖が紀伊国屋にこうまでさせたのだろう。ならば、今まで様々指摘したように「絵」という最も判断に困るものが規制された場合、グレーゾーンとそれによる混乱は現在の比ではないということは容易に想像がつくのである。
全部とは言わないまでも、一部の書店では紀伊国屋のような徹底した防衛策を取る可能性もあり、またそこまでは無いにしろ入荷を取りやめたり、取り扱いの規模を縮小したりといったことは行われるだろう。
そして、現代で商業の決定権をもつのは流通である。たとえ消費者が望んだとしても、生産者と消費者を繋げる流通が機能してこそ消費者の手元に製品は届く。生産者も、消費者も、流通という圧倒的に巨大化した存在が介することで存在が許されるのだ。逆にいえば、流通という中間が無くなれば、消費者も生産者も消えてしまうということだ。マンガやゲームなどの流通が断たれれば、マンガ家もゲーム会社も職を失うし、市場に供給が無くなった文化はやがて絶滅するだろう。本当に文化を殺すのは、法律や警察、国家ではなくて、人間自身なのである。
更に付け加えるなら、流通のみならずコミケをはじめとする同人誌即売会も中止が相次ぐだろう。既に、コミケなどに対する警察のガサ入れは古くから囁かれている通りであり、コミケほどの組織が控える大規模イベントならともかく、地方などの小規模イベントなどでは、会場貸しだしに対する風当たりや逮捕の危険もあるとなるならば、あえて危険や苦労を犯さないで中止を選ぶ主催者も多くなるだろう。
こうして「自主規制」によって、表向きは権力が介入したように見えない形で、知らず知らずのうちにこの世界からひとつの文化は消えていく。それが、弾圧や迫害などといった煽動とは違う形で迎える現実問題としての終末なのである。
(この項は以前日本虚業組合様内にありました「紀伊国屋ファクスのページ」のファクス全文を参考にさせていただきました)