【コラム】女優脱がせて視聴率ダウン…『推奴』のいただけない手法

 ヤマ場を迎える瞬間、静まりかえり、さらに緊迫した臨場感を出すアクションシーン、当時の最下層民を主人公にした逆転的な発想、奇抜なセリフと役に入り込んだ俳優たちの完ぺきなアンサンブル…。KBS第2の時代劇『推奴(チュノ)』はどの切り口から見ても一流と言える作品だ。ところが、最近はさまざまな「雑音」に悩まされている。それは「扇情性」論争だ。その核心は、ヒロインを演じるイ・ダヘの露出。スタート当初は奴婢(下男・下女)階層に生まれた13歳の少女が年を取った男の寝床にはべるシーンや、女旅芸人の売春に関する具体的な描写などが視聴者をギョッとさせた。そして、先月27日放送の第7話と28日放送の第8話に登場したイ・ダヘがチョゴリ(韓服の上衣)を脱ぐシーンも、最初は「ぼかし」を入れておきながら、2回目はぼかしを外したまま放映されるなど、混乱が深まっている。

 制作スタッフは「『それなりの安全装置』としてぼかしを入れたが、一部の視聴者から『不自然だし、かえって妄想させてしまいもっといやらしい』と非難されたため、2回目はそのまま放送した」と話す。ただ、はっきり言えるのは、ドラマの流れ上、不可欠とは言えない状況なのにもかかわらず、イ・ダヘがチョゴリを脱いだということだ。

 作品の性格を考えると、こうしたシーンが登場することはだいたい見当がつく。『推奴』はこれまでの韓国ドラマでも最も男らしさを強調している作品だ。大義、権力、あるいは自尊心のために繰り広げられる命がけの闘いは、太古から続く男たちのファンタジーだ。彫刻像のような見事な筋肉を持つ主人公たちが、毎回男らしさをかけ剣と矛を手に、躍動的かつ優雅に一戦を交えれば、視聴者のテストステロン(男性ホルモンの一種)は活性化する。このプロセスに、女が割り込むすきはまったくない。数えるほどしかいない女優たちは、この作品の中では男たちが愛する対象、または守ってやる対象として存在しているのに過ぎない。たけだけしい男たちのはざまで、右に左に押し流される『推奴』の女たちに、自主的な決断はほとんどない。そして、こうした女たちは、画面の外でも同様の方法で消耗される。つまり、ある種の「目の保養」扱いをされているということだ。野宿をしながらも顔にはきれいにおしろいを塗り、すぐに肌を見せるイ・ダヘを見た視聴者が感じる不快感は、本来持つ力や役割を発揮できずに消耗されていく女優に対する無念の思いへとつながる。

 商業的な目的から見ても、『推奴』のこうした面は賢明さに欠ける。映画では、女優の大胆な露出やベッドシーンが話題になれば、口コミでさらに多くの観客を集めることもできる。しかし、テレビドラマは状況が違う。家族単位の視聴者が多いテレビドラマでは、赤面シーンが登場するとチャンネルを変えるのが普通だ。そして、そのドラマが放送される時間になると、リモコンを持つ大人たちは慎重になる。事実、『推奴』はイ・ダヘの露出シーンが2話連続で騒動になり、右肩上がりだった視聴率の勢いが衰えた。AGBニールセン・メディア・リサーチによると、27日の第7話は自己最高視聴率の34%をマークしたが、翌28日の第8話は31.9%に後退した。

 このドラマの脚本家は、映画『7級公務員』を昨年ヒットさせたハリマオ・ピクチャーズのチョン・ソンイル代表だ。映画的な習慣のせいだろうか。しかし、さらに大きな成功を夢見ているのなら、これ以上の扇情性論争は避けるべきだろう。目が血走っている「野獣男」(韓国で最近人気のワイルドな男性)の闘いだけでも、視聴者たちは夢中になっている。

チェ・スンヒョン記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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