ルポ:グアテマラの輸出の10%を担う1万人の韓国人(下)

 2度の失敗と友人の死後も、キム社長はあきらめなかった。再び現地の会社で工場長を務め、コツコツと金を貯めた。08年、23万ドル(約2000万円)の資金を元手に現在の工場を建てた。「従業員は400人ほどで、縫製工場としては決して大きな方ではない。それでもこの経済危機の中で、工場がストップせずに稼働しているためホッとしている」

 グアテマラの縫製業は生産性が高いことで有名だ。理由は、同地の人たちはマヤ族の後えいで、手先が器用だからだ。縫製業界の関係者は、「東南アジアの二つの工場で行う作業を、ここでは一つの工場で賄える」と話す。

 キム社長は「もう50歳を過ぎたが、母にほめられる息子になりたい。必ず成功して、母に誇らしいと言われる息子になりたい」と語った。

銃にも負けない韓国人の教育熱

 グアテマラのハングル学校で会ったイ・ウンドク校長(55)は6日、「わたしも7年前に銃で顔と手を撃たれた」と語った。イ校長の左のほほ骨には40個のボルトが埋め込まれている。

 イ校長は「それでもここでボランティア活動をする理由は、“どれだけ安全か”よりも、“何を学ぶべきか”に価値があるからだ。子どもたちに学ぶ機会を与えるのが大切」と話す。

 毎週土曜日に運営されるこの学校では、国語と音楽を中心に、韓国の教育課程を子どもたちに履修させている。本国からの支援は、年間1万ドル(約89万円)と教材がすべて。子どもたちが支払う、1学期当たり300ドル(約2万6000円)の授業料が主な収入源だ。

 25人の教師は全員ボランティアで、毎週約170人の子どもたちが通っている。一軒家を改築した学校で、教室が狭いため、倉庫や屋上で授業をしているが、それでも子どもたちはハングルの本を離さない。

 イ・ジョンオク先生(39)は「治安が悪く教室も狭いが、出席率は95%を超える。今朝、腕を骨折した3歳の子がギブスをして登校した」と話した。

 レンギョウ組のペク・スンミンくん(5)に、「なぜみんなは休みの土曜日でも学校へ来るのか」と聞いたところ、「お母さんが“一生懸命勉強しなければならない”と言うから」と答えた。

 この組を担任するチャン・ユボク先生(49)は、「子どもたちは主にスペイン語を話すため、“わたしの母”ではなく、“わたしの物の母”という風に表現するときがある。それでも絵日記を書いている姿はとてもかわいらしい」と話した。

グアテマラシティ=趙儀俊(チョ・ウィジュン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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