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サブリナ |
2月15日(月)
やっぱりジミー鈴木はしょっぱかった。先日「山本さん、何かおいしいもの食べたくない?」「なんだ、いきなり」「御馳走しますよ」「じゃあ、久し振りにしゃぶしゃぶなんかいいねえ」「もっと豪勢なものを食べさせますよ・・・」
彼はアメリカに住んでいる。だがこの話はドタキャンされた。よくよく聞いてみると、なんでもタニマチをみつけたようだ。
あのねえ、お前が身銭をきって食事に誘うんだったらそれは美しい話だよ。ごっつあん精神でオレを招待しようとしたのか。
オレは食事のレベルよりもお話をする方が大、大、大、大好きなのだ。それをお前は何もわかっていない。
しかもキャンセルは私の友人経由で伝えてきた。そういうのは自分で知らせるもんだよ。ダブルしょっぱさだ。
もう次はないと思え。何も信用しないからな。わかったな。こういうことをやられると人生のツキが逃げるんだよおおおおお。
この日、終日、雨。雨は金のないものにとって一番こたえる。2月にはいって3日に1回は最高気温が6度以下になっているそうだ。
何が地球温暖化だ。地球の温度はすべて太陽活動に支配されているのだ。温暖化問題にかこつけてやれエコだといっているのは、あれはすべてフェイクなのだ。
地球の命は太陽。それ以外の真実なんてないのだ。あとは森だ。森が第二の命だ。そして水か。
これからはせこせこ生きるしかないか
ある友人に家を捨てることになったオレは、これからどうすればいいのか相談した。そうしたら「お金がはいってきたら手元にある督促状や支払通知書を全部、コンビニに持って行って払ってこい」と命令された。
ハイ、わかりました。今日、年金の振り込みがあったのでコンビニに行ったら残ったお金は2万円ちょっと。アチャーだ。
「それでいい。お前はお金があるとみんな競馬に使ってしまうからな・・・」
ウワー、区民税やら健康保険や電気代にケイタイのお金などなどだ。いやあ、ずいぶん気持ちがすっきりした。
これからはせこせこ生きるしかないか。でもすべては命あっての物種だ。欲をかいたらそんなことはないからな。
細く、長く、ゆっくりと。そして1週間に最低3回は銭湯に行く。これだ。午後1時からテレビのBS2で私の大好きな監督、ビリー・ワイルダーの「麗しのサブリナ」を見る。
オードリー・ヘップバーンの美しさはもはや人間業ではない。共演はハンフリー・ボガードとウィリアム・ホールデン。
人間の性(さが)と業(ごう)を見つめながら最後は善意の方に・・・
人の心には善と悪がある。聖と俗がある。そして社会的存在としては身分の違いや階級の違いがある。
善と悪、聖と俗なるものはひとりの人間の中にいつも同居して存在している。完全な善人とか完全な悪人はいないのだ。
聖と俗もそうだ。要はどちらに足を置くかである。そのことをわかっているものがコメディ映画を作ることができるのだ。
人間の性(さが)と業(ごう)を見つめながら最後は善意の方に軍配を上げる。それがビリー・ワイルダーの映画である。
途中経過においては限りなく人間による人間の人間臭さを、これでもかとギャグで描いていく。
しかしラストでは必ず善意の心が世界をうまくまとめてくれる。サブリナ(オードリー・ヘップバーン)は、ある企業の社長の運転手を父に持つ娘。
その娘と社長には弟がいてその兄弟とのからみを中心に展開する上品なラブロマンスである。
下品と上品。ビリー・ワイルダーはこの下品をいいスパイスにしてコメディを作っているのだ。
下品は多数派。上品は少数派。
そこでも少数派が勝利するのだ。運転手の娘と社長。身分を超えた恋愛。
一種のシンデレラストーリー。彼女の前には王子様が出現した。ウワー、ムチャクチャ、普遍的なストーリーだ。
女性にとってこれはあこがれの映画かも。今日の“四字熟語”はサブリナにする。
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