高木マニア堂

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070:世界三強とは誰か?~国際プロレスとスパイダーマン

ノンセクション2010年02月16日 09:00 | フォルダ : テレビ

関連キーワード :プロレステレビおバカ

     <2007年3月=東スポ携帯サイトより>

 最近発売されたDVD━BOX「不滅の国際プロレス 1974~1981」が面白い。

 東京12チャンネルで放送されていた「国際プロレスアワー」からの収録。良くも悪くもショーアップ化が進んだ現代のプロレスと比較すると何とも泥臭く、無骨で垢抜けないが、逆にそれが新鮮に感じられ魅力的なのだ。

 この時代のエースは「金網デスマッチの鬼」と呼ばれたラッシャー木村(引退)。後に「マイクの鬼」となった木村だが、この頃はパンチパーマ姿で怖かった。1981年に国際プロが崩壊し、アントニオ猪木率いる新日本プロレスに殴り込んだ際に、マイクを握るや「こんばんわ」と挨拶したことは、今や伝説化している(この頃、ビートたけしがよくネタにしていたことも拍車をかけた)

 このDVDにも、後の「こんばんわ事件」を予感させる場面が多数、見受けられる。

 1975年1月6日の後楽園ホール大会。マイティ井上と組んで、ダニー&ブッチャーのリンチ兄弟と対戦した木村だったが、自分の右足がロープにかかっているにも関わらず、レフェリーに3カウントを数えられてしまう。これに激高した木村はレフェリーのみならず、収拾に入った吉原功社長をも突き飛ばし、暴行を働いてしまう。

 レフェリーの誤審を認めた吉原社長は「ただいまの試合は私の権限によりまして、勝敗預かりの無効試合といたします」と宣言。とりあえず木村のメンツも守られた。

 これが猪木ワールドや大仁田FMWなら、社長に暴行を加えた木村と、社長を護衛する一派との一大抗争へとつながったことだろう。だが国際プロにそんな俗っぽさや、商売っ気はない。

 続けてマイクを握った木村は「社長すみません」と吉原社長に謝ってしまうのである。怒りの鎮火が早過ぎだよ!

 初対面の人にはキチンと挨拶をする。悪いことをしたら謝る。国際プロレスは社会生活、いや人間として大切なことを教えてくれるプロレス団体だった。

 そんな国際プロの面々は、しばしば12チャンネル系の番組にゲスト出演することが多かったものだ。大抵はヤクザや用心棒役だったが…。

 中でも忘れられないのが東映と米・マーベル社の提携によって誕生した特撮版・スパイダーマン(1978年)の第17話「プロレスラー サムソンの涙」という話だ。

 丹古母鬼馬二扮するサムソンは、試合中のケガが原因で現役生活を断念した兄・中田(八名信夫)のコーチでプロレスラーとなるために修行中。だが、いかんせん弱い。強さへのコンプレックスが募るサムソンは「強くなりたいよ、兄さん。力道山やラッシャー木村、スパイダーマンのように…」とこぼすのだった。

 12チャンネル以外では考えられないセリフである。

 そんなサムソンはある日「スパイダーマンに会わせてやる」と悪の組織・鉄十字軍に騙され、マシーンベムへと改造されてしまう。すでに人間の心を失っていたサムソンは、松葉杖の兄をトラックで轢き殺し(道路は青汁でなく真っ赤な血で染まる)、最後は巨大化するもスパイダーマンが操るロボット・レオパルドンに退治されてしまうのだった。

 悪役商会のツートップ・八名と丹古母によるコワモテ兄弟に負けじと、この回には国際プロから、この年に長女(浜口京子)が誕生したばかりのアニマル浜口、大位山勝三、デビル・ムラサキらがゲスト出演(セリフはほとんどなし!)。

 彼らもこの時期、力道山やラッシャー木村、スパイダーマンのように強くなるため、血の汗を流して修行していたのだろう。

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高木圭介のプロフィル 昭和44(1969)年6月4日、神奈川県川崎市生まれ。かつてジャイアント馬場さんも暮らした新丸子の街
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