ベビーブーム世代:「高望みしていないのに250戦全敗」(下)

■名誉退職の圧迫に5度も耐えたが…

 大手都市銀行の幹部を務めたキム・ミョンスさん(仮名・55)は、98年から09年までの11年間に5回にわたって名誉退職の対象者になったが、ずっと耐えてきた。キムさんが働き始めて18年目に、アジア通貨危機が発生した。当時銀行は一日の猶予を与え、「名誉退職するか、閑職に回れ」と通告した。名誉退職の対象者400人余りのうち、我慢して居残った人はキムさんを含め6人だけだった。

 キムさんは一線の業務から外された。本店の片隅にある事務室で何もしない「窓際職員」として2年を過ごした。キムさんは「つらい仕事をさせられたら、精神的苦痛はそれほどではなかっただろうが、じっと修業しているようだった」と語った。

 00年、再び名誉退職の対象になった。そのときも何とかしのいだが、銀行はキムさんを債権回収業務に回した。キムさんはそこで、7年間耐え抜いたという。キムさんは「準備もできていないうちに退職した先輩たちが、再就職できず仕事がないまま過ごし、自ら起業して退職金すら使い果たしているのを見て、耐えなければと心に決めた」と語った。

 その後も06・07年、2度にわたって名誉退職の対象者に挙げられたが、キムさんはこれも乗り切った。08年、銀行はキムさんを市内の支店に派遣した。一線の業務から除外し、営業目標額(年俸の120%)を一人で達成しなければならなかった。キムさんは歯をくいしばって駆け回り、支店派遣者90人中トップ5に入る実績を挙げた。

 昨年末、キムさんはまたしても名誉退職の対象者となった。今度は「年齢」だった。今度ばかりは、キムさんも「出来が悪くて追い出された、という声はなく、拍手を受けて出ていくことができるため、悔いはない」として受け入れた。

 キムさんは現在、中小企業での仕事を探しているところだ。会社員の娘(27)を嫁に出し、大学生の息子(22)に勉強させるためだ。キムさんは、「子供たちには何も言っていないが、心の中で“自分は立派な父親”だと思っている」と語った。

 労働研究院の房河男(バン・ハナム)首席研究委員は、「韓国社会はこれまで青年の失業問題に偏りすぎて、早期退職現象などによるベビーブーム世代の再就職には鈍感だった」と語った。

■ベビーブーム世代とは

 韓国戦争(朝鮮戦争)直後の1955年から、産児制限政策導入直前の63年までの9年間に生まれた世代。人口全体の14.6%に当たる712万人に達する巨大な人口集団で、最も早い55年生まれが今年満55歳を迎え、集団退職が始まる。教育費の負担や自宅の整備などのため老後の準備が十分にできていない反面、子供からの扶養は期待しにくく、「サンドイッチ世代」とも呼ばれる。

キム・ミンチョル次長待遇

李仁烈(イ・インヨル)記者

金秀恵(キム・スヘ)記者

金慶和(キム・ギョンファ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る