ベビーブーム世代:「高望みしていないのに250戦全敗」(上)

3人の「人生第2幕」挑戦記

メーカーを名誉退職したイ・ソンヒョさん(53)

「これまでずっと管理職だったのに、わたしを求める企業はほとんどない。技術でもあれば…」

デザイン会社を退職したシム・インボさん(48)

「50歳近くなると企業の態度が変わる。40代半ばだったなら…」

元銀行員のキム・ミョンスさん(55)

11年間で名誉退職の勧奨5回、今度ばかりはどうもできず…最善を尽くしたため悔いはない

 昨年1月に事務用品メーカーJ社を名誉退職した「1957年酉年生まれ」、ベビーブーム世代のイ・ソンヒョさん(53)は、これまで1年に及ぶ再就職活動で「250戦250敗」という結果に終わった。メーカーの管理職はもちろん、宅配業の運転手やコミュニティーバスの運転手に至るまで、250カ所の門をたたいたが、ことごとく失敗した。

イ・ソンヒョさんはこれまで1年間、毎日2-3時間はインターネットの就職サイトで企業を検索し、仕事を探し続けた。しかし、結果は250戦250敗。イさんは「一人で山に登り、涙をぬぐう日も多かった」と語った。/写真=キム・ヨングク記者

■挫折250回

 イさんは高校卒業後、海兵隊での服務を経て、創立メンバーとしてJ社に入社した。23年間、会社が地歩を固め業務を拡大する間、イさんも3人の子供を育て、仁川市延寿区に時価3億ウォン(現在のレートで約2350万円、以下同)のマンションも購入した。

 アジア通貨危機が起こった際も、イさんは生き残った。しかし2008年、会社は日本の取引先との単価交渉で失敗し、輸出の70%を失った。このため社員70人のうち、イさん含む50人が会社をリストラされた。

 イさんは「管理職だが、これまでやったことのない業務はなく、すぐに再就職できると信じていた」と語った。イさんは、就職サイトや知人を通じ、履歴書を送り始めた。

 J社では年俸4000万ウォン(約313万円)を手にしていたが、希望年収を引き下げ、今では同2400万ウォン(約188万円)の仕事も探し、希望職種も「管理職」から徐々に幅を広げ、運転手にまで至っている。配達用トラックの運転手でもやろうと思い、特殊車両免許、貨物運送(配達)運転手資格証、大型車免許も取得した。しかし、これまで履歴書を送った250カ所のうち、面接したいと連絡してきたところは、わずか2、3カ所に過ぎない。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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