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【介護社会】百万遍の南無阿弥陀仏・番外編(上) 話し相手欲しかった2010年2月1日
富山県氷見市で2004年8月、元学習塾講師の男性(57)が介護していた母親=死亡時(80)=を暴行して死なせた傷害致死事件。懲役4年6月の実刑判決を受けた男性は服役後の09年12月、裁判資料を取り寄せ、初めて母親の不可解な言動は認知症が原因だったと知った。認知症の家族を抱える介護者を救うためには何が必要か。「自分をさらけ出すことで事件が減るのなら」と重い口を開いた。 「おふくろの言動がどうしても理解できなかった。おかゆの残飯を廊下に隠したり、火のついたたばこをティッシュに包んだり。何度もやめるよう注意したけど聞かんかった。わがままな態度やった。『子どもに戻った』と受け止める余裕があればよかった。認知症を疑うなんて全く思い浮かばなかった」 介護に専念後、精神的に追い込まれていくまでの心境を語った。 「塾をやめたのは介護と両方は無理やと思ったから。肉体的でなく、精神的にきつかった。介護は2年余りやったけど、3カ月で限界に近かった」 「いつも責任を背負っている感じ。『みんなやっとる。これが普通や』と思い込もうとした。ほぼ寝たきりのおふくろを目にするたび、掃除や洗濯、食事の用意をせかされているような気持ちになった。夜に『何とか一日が終わった』と息をついた次の瞬間には翌日の献立を考えていた。スーパーでも自分の部屋でも心が休まることはなかった」 手抜きできない性格が、介護ではマイナスに働いたとも悔やむ。 「ちゃらんぽらんが許せない性格で、パーフェクト主義。受験指導はそれがよかった。だから、塾で長年やってきたことを介護にも当てはめてしまった。だけど、どんなに尽くしてもおふくろは悪くなる一方。割り切ってわがままを聞いてやったり、適当に手を抜くことができなかった」 助けを求めることができなかった苦しさも口にした。 「苦しさを打ち明けられる人がおらんかった。お茶を飲んでしゃべったり、冗談を言ったりする相手が必要やった。散歩で近所の人に会っても悩みは言えなかった。外見は何ともなかったと思う。苦しさを気づかれんよう、あいさつし笑顔をつくった。心の中では『どうしよう、どうしよう』と悩んでいた」 「介護に参ってしまう男の人はいると思う。おやじは一度も台所に立たんかったし、部屋の掃除もしたことない。『男は台所に口出しするな』という家庭で育った。だから、家事も介護も自分がするなんて思ってもみなかった。人ごとだった」 唇をかみ、時には沈黙しながらも、慎重に受け答えを続けた男性は最後に苦しげなまなざしを向け、訴えた。 「すべてをさらけ出すことでこんな事件が少しでも減るのなら、本望やと思う。二度と自分みたいなばかな人間を出してほしくない。それだけなんです」
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