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【介護社会】

<百万遍の南無阿弥陀仏>(6) 悪夢の記憶が引き金

2010年1月31日

台所には立つことがないのに、母親は事件当日も手押し車とつえを頼りに、食材を買いに出た=富山県氷見市で

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 事件の1週間前、予兆のような出来事が起きていた。

 「母親から『お金を貸して』と電話があった。突然、息子が出て『すいません、間違えました』と、電話を切ってしまった」(自営業の知人=供述調書より)

 心に深く刺さったトゲ。「ずっと引っ掛かり、つらかった」。息子(57)を苦しめたのは母親=死亡時(80)=が抱えた2度の借金。どちらも30数年前のことだ。

 見慣れない封書が富山県氷見市の自宅に届いた。消費者金融からの督促状。催促の電話が入り、取り立て人が玄関の戸をたたいた。「学習塾が軌道に乗り始めた時だった」

 負債は10社近くに上った。心配して集まった両家の親類に母親は背を向けた。何一つ説明せず、あろうことか、家を出ていった。

 息子は初めて父親の涙を見た。迷うことなく、貯金を崩した。

 「母親が重ねた借金を父親や息子、親類らで返済した。母親は突然家出し、2週間後に戻ってきた」(親類=同)

 二度としないと約束した母親。その数カ月後、今度は母親の知人や遠縁の親類らが「金を返せ」と来た。見覚えのない生命保険の契約書が親類縁者に届いたのも、このころだ。

 「保険外交員だった母親は成績を上げるために架空の契約書を作った。その保険金を払うための借金だったと思う」(叔父=同)

 再び取り乱した父親をなだめ、貯金をはたいた。「自信を持って英語を教えたい」と思い描いた語学留学の資金が消えた。360冊の英会話テキストは今も自室に残る。

 進学など人生の節目で主導権を握ったのはいつも母親だった。「おふくろに頼り、120パーセント信頼した。時にはおやじの悪口にもうなずいた。なのに2度も裏切られ、どん底に落ちた」

 忘れようと努めてきた苦い記憶は、食事を捨てられたり、喫煙でもめるたびに頭をもたげ、こらえ切れなくなってくる。

 「息子は声を張り上げて『この人(母親)に夢つぶされた』と訴えたことがあった」(ケアマネジャー=同)

 事件の2、3日前になると、悪夢の記憶は「打ち消しても打ち消しても、すぐに浮かんだ」。

 2004年、お盆すぎの夕方、何もかも忘れてしまいたくなり、コンビニでウオツカを買った。日ごろ酒を飲まないのに、目をつぶり瓶ごとがぶ飲みした。夜、目が覚め、母の部屋を見ると、すり下ろしたリンゴ、漬物、ウズラの卵をのせた山かけうどんとおかゆが、手つかずで放置されていた。怒りや悔しさが一気に噴き出し、拳を振り下ろしていた。

 警察から事情を聴かれた親類は、次のように供述している。

 「まじめでおとなしい息子が何でこんなことをしたのか、正直驚いている。真相を明らかにしてほしい」

 事件半年後の05年2月。傷害致死罪に問われた息子に、富山地裁高岡支部は懲役4年6月(求刑懲役6年)を言い渡した。

 「食事せず、たばこをやめない母親をわがままに感じていた。短絡的かつ身勝手な犯行というほかない」

 母親の認知症について語られぬまま、法廷の扉は閉められた。

 

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