昔の私は子供があまり好きではなかった。
むしろ嫌いだった。
しかし、5年前に姪っ子ができて、その子のことを心の底からかわいく思うようになってからは逆になった。
そして、仕事で子供に空手を教えるようになってからはさらに子供が好きになった。
経済的安定に安定しておらず、また、いまだに幼稚な今の自分に子供を育てる資格はないと思うが、欲しいと思うことは多々ある。
男の子というのはとにかくいたずらや悪ふざけが好きで、油断すると収拾がつかなくなることが多い。
私は図体が大きいこともあって、少しぐらいは子供から怖がられそうな気もするのだが、子供は人間の本質を見抜くというか、私が他人に甘い人間だということを察知して(私は「自分に甘く、他人に甘い」というのがモットーなのだ!)、全く恐れているふうに感じない…。
というか、ナメられているのかもしれない(笑)。
あまりに酷い時には厳しく注意をしなくては収まらない(昔は、「学級崩壊なんてありえん…」と思っていたけど今ならわかる?)。
他人の子供さんだからといって注意をしないようでは教育にならないから、本当はしたくなくてもしなければならないのだ。
とはいえ、怒られて一瞬だけ静かになっても、その直後にいたずらを始めたりするものなのだが、これがやっかいでもあり、かわいくもある…(笑)。
女の子は甘えん坊でベタベタしてくるけど、そのくせにおませさんだからとてもかわいい。
でも、甘えてくるからそのことでケジメがないことも多いのだが、怒るに怒れないし、そういう気力が起きないこともある。
でも、これも同様でちゃんと注意をしないと教育にならないからしなくてはならない…。
とはいえ、男の子よりは大人なのでケジメをつけるところではケジメをつけてくれるというか聞きわけが良いから助かる。
「一姫二太郎」が良いというのにも納得である。
もちろん、男の子にも女の子にも「いい子」はいる。
いい子というのは本人にとってどうかはともかくこちらからするととても扱いやすい。
いたずらっ子や甘えてくる子もかわいければ、いい子もいい子でかわいいものである。
ただ、「いたずらをする男の子も、ベタベタしてくる女の子も、いい子も皆自分に関心を持って欲しいのだろうな…」と、幼い頃の自分の記憶を振り返ってそう思う。
だから、一人一人の子供が発するサインを無視することなく、かといって一人に肩入れすることなく平等に接したいと思っている。
特にいい子というのは放置しがちになるが、もしかしたら彼らこそ一生懸命にやることで自己主張をしたいのかもしれないし、褒めるべきところをきちんと褒めなかったら伸びないと思うから、彼らにこそ愛を持って接しなければならないとも強く思う。
5歳ぐらいの子供から中学生まで教えているが、当然ながら年代別の接し方について考えさせられることも多い。
仕事をしながら本当に良い勉強をさせてもらっていると思う。
とはいえ最近は、私の力量不足なせいか、夏休みなせいかはわからないけど、出席率が猛烈に下がっていることがとても残念なのではあるのだけどれも…(涙)。