■ハウステンボス “千年都市”理念は揺るがず |
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2.現況 (その1) エコロジーとエコノミー共存都市 ○人が実際に暮らす都市づくりを目指した事業 ハウステンボス=「HUIS TEN BOSCH」…オランダ語で「森の家」を意味する。 この町のコンセプトや建設デザイン、施設とそのサービス等は、これまで有りとあらゆる専門誌、旅行誌、情報誌、ウェブサイトで取り上げられてきた。レジャー&エンターテイメントの詳細を知りたければ、そうしたメディアをチェックしてみれば目当ての情報はすぐに見つかるはずだ。 しかし、本誌の読者のみなさんには、ぜひ「ハウステンボスは約10,000人が実際に生活する、"雰囲気は違うけどふつうの町"づくりを目指して始まった」ことを認識してもらいたい。 ○環境マネジメントでISOの認定、環境会計も発表 そして、スクラップ&ビルド的、遊休地再利用的、暫定利用経費獲得的開発事業では、「行政の仕事」になるのが環境の保全と維持である。投資や調整が必要となるこの環境サイクルを、開発者のハウステンボスが理念を持って自ら整備したことも忘れてはならない。 その結果、テーマパーク初のISOの環境マネジメントへの認定や、環境会計の公表など、環境未来都市として具体的な成果を積み重ねていることからしても、単なるテーマパークではないことがおわかりだろう。 町づくりのゴールのイメージは、「世界中から訪れる観光客の消費が地域経済を支え、そこでたくさんの人が暮らすことのできる、パリやローマのような、あるいはモナコやニースのような観光の町」である。町としての名声と歴史を得るのは、1,000年を覚悟する長大なプロジェクトでもある。 なお、自立的に形成された歴史を持つこれらの町と異なるのは、市民の意志ではなく、ハウステンボス(株)という企業が町の成長を促す役割を果たすことにある。 (1)デザインテーマ なぜオランダなのか?これには以下の理由がある。 まず、地元・長崎とオランダの関係である。江戸時代の鎖国後、海外との交流は長崎・出島に集約され、交易を許されたのはオランダと中国に限られた。また、出島ができるまでオランダは商館を平戸に抱えており、400年に及ぶ長崎県との関係は緊密だった歴史のメモリーから。 鎖国時代、西洋の情報はオランダ経由で出島に入り、また日本の情報は出島からオランダ経由で世界に発信されたように、ハウステンボスが出島となって、その都市コンセプト「エコロジー&エコノミーの共存」が、世界に発信できるようにとの願いから。 ハウステンボスの前身となった事業が、テーマパーク「長崎オランダ村」であり、観光拠点として周知が進んでいたことから。 そして、創業者の神近にとって至上の命題だった、風光明媚な大村湾の環境を壊すことなく集客拠点整備を行うには、自然との調和でエコロジカルな都市環境を創造したオランダに学ぶ必要があったこと。 (2)コンセプト 公式ガイドブックを引用する。 「エコロジーとエコノミーの共存」?豊かな自然環境を守り育てることを前提に、文化・芸術施設、店舗・商業施設、宿泊施設、スポーツ施設、交通システムなどあらゆる都市機能を整備。自然の息づかいを肌で感じながら、現代人が快適に過ごすことのできる新しい住空間が誕生しました。 |
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