2010年02月12日
外にあっては理解されないこと
昨日、元共産党員の方からメールあり。こちらでキンピー氏が述べている2009/7/12のコメント
本来共産党はそのような組織ではありません。
を読んで、うーんと唸られたとか。共産党が経済成長によらなくとも持続可能な共生社会の実現に立ち上がらないのはなぜか?という質問の答えである。
マスコミやリベラルを支持する人たちは、今の共産党を社会民主主義的な政党だと勘違いしている人が多いのではないか?そしてその勘違いが多くの左翼ブロガーの主張を痛いものにしているとお考えだ。
まぁそうだろうなと思いつつ本日新聞記者の方と話していて「理解されない職場の状況」の話題で妙に盛り上がったw
言うまでもないが新聞記者は多忙な仕事である。朝出ていったままその日のうちに帰ってこれないことも多い。でもって配偶者が多忙を理解できなくて、浮気しているんじゃないかとか、夫、あるいは妻としてどうよ?ということで、離婚率が高いそうな。
ぼくちんの以前の職場も多忙で知られていて、同じような状況だったんで「おお、同志よw!」というわけ。これって、上記勘違いと同じだと思うのだ。
使い古された言葉だけど、人は自分の経験の範囲、あるいは器量の範囲からものを見る。すると、その範囲から外れたものを見る時、正確な評価ができない。たとえば死刑執行を日本の刑務所が一般公開するなんて言ったら、左な人たち(右もか?)は青くなって反対するだろう。
しかし死刑執行の公開など昔にはよくあって、かなりの集客力のある見せ物だった。死刑執行が見せ物だった時代に生きた人から見れば、現代の日本で死刑の公開がされないなんてなんで?あんな面白い見せ物はないのに・・・てなもんだろう。
多くの左派の思考の範疇には、暴力革命と言う文字はない。自分たちの経験や器量の範囲を超えているからだ。これに対し「敵の出方論」に代表される共産党の論理は、暴力革命も思考の範疇に入っている。だから「日本共産党」の名前に固執するのだ。
しかし、現代の日本において暴力革命など起こりようがないから、日本共産党も社民的な政策提案をするしかなくなっている。すると左派の人たちは日本共産党を仲間と勘違いする。
日本共産党に仲間と思って近づき、一緒に選挙を戦おうとして裏切られるパターンが昨今の左翼共闘で目立つのは、そうした勘違いにある。
しかも厄介なことに党の大衆化が進んでいるので、当の日本共産党員でさえ最近は共産主義について知らない人が多い。まだ少しは共産主義に対する関心が残っている人でも、不破経由でしかマルクスを読まなくなってきているから、ますます考え方が共産主義から遊離する。残しているのは民主集中制など暴力革命を前提とした体質だけである。
そんなことをつらつら考えていると、上記メールを下さった元党員の方のこのフレーズが、やたら説得力を持つ。
共産党が社会民主主義的な政党に変わるということと、共産党が消滅することは同じこと
党改革の努力は、徒労かも知れない。
本来共産党はそのような組織ではありません。
を読んで、うーんと唸られたとか。共産党が経済成長によらなくとも持続可能な共生社会の実現に立ち上がらないのはなぜか?という質問の答えである。
マスコミやリベラルを支持する人たちは、今の共産党を社会民主主義的な政党だと勘違いしている人が多いのではないか?そしてその勘違いが多くの左翼ブロガーの主張を痛いものにしているとお考えだ。
まぁそうだろうなと思いつつ本日新聞記者の方と話していて「理解されない職場の状況」の話題で妙に盛り上がったw
言うまでもないが新聞記者は多忙な仕事である。朝出ていったままその日のうちに帰ってこれないことも多い。でもって配偶者が多忙を理解できなくて、浮気しているんじゃないかとか、夫、あるいは妻としてどうよ?ということで、離婚率が高いそうな。
ぼくちんの以前の職場も多忙で知られていて、同じような状況だったんで「おお、同志よw!」というわけ。これって、上記勘違いと同じだと思うのだ。
使い古された言葉だけど、人は自分の経験の範囲、あるいは器量の範囲からものを見る。すると、その範囲から外れたものを見る時、正確な評価ができない。たとえば死刑執行を日本の刑務所が一般公開するなんて言ったら、左な人たち(右もか?)は青くなって反対するだろう。
しかし死刑執行の公開など昔にはよくあって、かなりの集客力のある見せ物だった。死刑執行が見せ物だった時代に生きた人から見れば、現代の日本で死刑の公開がされないなんてなんで?あんな面白い見せ物はないのに・・・てなもんだろう。
多くの左派の思考の範疇には、暴力革命と言う文字はない。自分たちの経験や器量の範囲を超えているからだ。これに対し「敵の出方論」に代表される共産党の論理は、暴力革命も思考の範疇に入っている。だから「日本共産党」の名前に固執するのだ。
しかし、現代の日本において暴力革命など起こりようがないから、日本共産党も社民的な政策提案をするしかなくなっている。すると左派の人たちは日本共産党を仲間と勘違いする。
日本共産党に仲間と思って近づき、一緒に選挙を戦おうとして裏切られるパターンが昨今の左翼共闘で目立つのは、そうした勘違いにある。
しかも厄介なことに党の大衆化が進んでいるので、当の日本共産党員でさえ最近は共産主義について知らない人が多い。まだ少しは共産主義に対する関心が残っている人でも、不破経由でしかマルクスを読まなくなってきているから、ますます考え方が共産主義から遊離する。残しているのは民主集中制など暴力革命を前提とした体質だけである。
そんなことをつらつら考えていると、上記メールを下さった元党員の方のこのフレーズが、やたら説得力を持つ。
共産党が社会民主主義的な政党に変わるということと、共産党が消滅することは同じこと
党改革の努力は、徒労かも知れない。
トラックバックURL
この記事へのコメント
1. Posted by 静御前 2010年02月13日 07:41
「地獄への階段」サイトに
「権力と闘わない共産党は、ネズミを捕らない猫、便所の100W、クリープを入れないコーヒーだ!」
というフレーズがあり思わず笑ったが、官僚制打破を如何にするかをテーマに民主党の苦闘を眺めているが、自民党と一緒になって戦後政治の米国癒着官僚制(私は天皇制だと思っているが)温存に足場をおいているのが共産党だと捕らえている。
難しいことは分からないが、政党ではない、と考えている。
「権力と闘わない共産党は、ネズミを捕らない猫、便所の100W、クリープを入れないコーヒーだ!」
というフレーズがあり思わず笑ったが、官僚制打破を如何にするかをテーマに民主党の苦闘を眺めているが、自民党と一緒になって戦後政治の米国癒着官僚制(私は天皇制だと思っているが)温存に足場をおいているのが共産党だと捕らえている。
難しいことは分からないが、政党ではない、と考えている。
2. Posted by todo 2010年02月13日 08:42
共産主義の目指すものズバリは”生産関係からの解脱”でしょう。”指導する者”と”指導される者”の区別は”略奪する者”と”略奪される者”の区別だと言ってもいい。
もしかして真正共産主義者が大衆を見る目は、もしかして我々が家畜を見る目に近いのかも。
かっての共産国では、囚人労働が重要な生産の一翼を担っていたのだそうですが、これはもう奴隷制の復活だね。
もしかして真正共産主義者が大衆を見る目は、もしかして我々が家畜を見る目に近いのかも。
かっての共産国では、囚人労働が重要な生産の一翼を担っていたのだそうですが、これはもう奴隷制の復活だね。
3. Posted by cb 2010年02月13日 08:57
>人は自分の経験の範囲、あるいは器量の範囲からものを見る。
なるほど「はてサ」や「共産党」が善悪に例外を持ち出す理由がよく分かりました。
そもそも差別と不正こそが彼らの本質だったのですね。
なるほど「はてサ」や「共産党」が善悪に例外を持ち出す理由がよく分かりました。
そもそも差別と不正こそが彼らの本質だったのですね。
4. Posted by todo 2010年02月13日 10:40
人口の三分の一が収容所の住民なんてホントの話ですかね?
http://www.mcg-j.org/mcgtext/bungaku/russia/russia11.htm
http://www.mcg-j.org/mcgtext/bungaku/russia/russia11.htm
5. Posted by TAMO2 2010年02月13日 10:57
かつて、樺太にいて逃げ遅れた日本人が三人、日本への帰国前に三人寄って世間話をしていたら、「三人集まることは謀議を企てている反革命の証拠である」と言われ、シベリア送りになりました。
そういう国ですからね。
ただ、ソルジェニーツィンもまた牽強付会な解釈が多いと思いますので、注意が必要ですね。
(中核派の機関紙を読むとソルたんを思い出すことが多いです。ちなみに、ソルたんは「スターリンはレーニンから逸脱しているのではないか?」と手紙に書いて、それで当局にしょっ引かれた人ですね。当たり前のことを言って逮捕される国家って一体??)
そういう国ですからね。
ただ、ソルジェニーツィンもまた牽強付会な解釈が多いと思いますので、注意が必要ですね。
(中核派の機関紙を読むとソルたんを思い出すことが多いです。ちなみに、ソルたんは「スターリンはレーニンから逸脱しているのではないか?」と手紙に書いて、それで当局にしょっ引かれた人ですね。当たり前のことを言って逮捕される国家って一体??)
6. Posted by TAMO2 2010年02月13日 11:00
cg様、ご本尊マルクス・エンゲルスからして物凄い差別主義者だと小生は考えています。
Jewish Nigger!
とかね。
小生の言説をもって、小生をネウヨ呼ばわりする党派(爆笑)もありますが、しかし、ヨーロッパではマルクス主義はレイシズムを正当化させかねない理論として一定警戒をもたれているのも事実です。
http://www.ne.jp/asahi/hyo/tadaon/book-ool.html
Jewish Nigger!
とかね。
小生の言説をもって、小生をネウヨ呼ばわりする党派(爆笑)もありますが、しかし、ヨーロッパではマルクス主義はレイシズムを正当化させかねない理論として一定警戒をもたれているのも事実です。
http://www.ne.jp/asahi/hyo/tadaon/book-ool.html
7. Posted by TAMO2 2010年02月13日 11:07
さて、本文について。
純粋に理論的な問題を考えるならば、政治・経済論としての社会主義への展望という問題については小生は共産党にかなり寄り添っている部分があるんですよね。
共産党系の論者が今やあからさまに言うように、市場経済の弊害を民主的にコントロールしつつ、市場経済を主とするしかもう選択肢はないです。計画経済は不可能ではないが、様々な創意工夫や新規商品を組み込むことが非常に困難であり、そんなことでは持続可能な共生社会は物凄い耐乏生活にならざるを得ないでしょう。これは技術の開発の現場にいる者としての実感です。
すなわち、考えられるべき社会主義・共産主義像は、かつて信じられたような計画経済にあるわけではない、と。不破さんの本なんかを走り読みしてても、そういうことを感じます。
それならばそれに照応した、民主的な、横断的な組織運営(支部に情報や人を固着させるのではない運営)が望まれるのですが、それをすると今トップにいる人間の地位が脅かされかねないからしないんですけどね。
勿体無い話です、日本の勤労大衆にとって。
純粋に理論的な問題を考えるならば、政治・経済論としての社会主義への展望という問題については小生は共産党にかなり寄り添っている部分があるんですよね。
共産党系の論者が今やあからさまに言うように、市場経済の弊害を民主的にコントロールしつつ、市場経済を主とするしかもう選択肢はないです。計画経済は不可能ではないが、様々な創意工夫や新規商品を組み込むことが非常に困難であり、そんなことでは持続可能な共生社会は物凄い耐乏生活にならざるを得ないでしょう。これは技術の開発の現場にいる者としての実感です。
すなわち、考えられるべき社会主義・共産主義像は、かつて信じられたような計画経済にあるわけではない、と。不破さんの本なんかを走り読みしてても、そういうことを感じます。
それならばそれに照応した、民主的な、横断的な組織運営(支部に情報や人を固着させるのではない運営)が望まれるのですが、それをすると今トップにいる人間の地位が脅かされかねないからしないんですけどね。
勿体無い話です、日本の勤労大衆にとって。
8. Posted by TAMO2 2010年02月13日 11:22
「マルクス主義 差別」でググると、自前ブログがトップの近くに来ていました。
http://red.ap.teacup.com/tamo2/602.html
http://red.ap.teacup.com/tamo2/602.html
9. Posted by 道草クー太郎 2010年02月13日 13:07
経済において「市場」が持つ多元性や民主的要素を肯定しつつも党の組織原理が管理統制型になっているのはTAMO2さんご指摘の通り、トップ保身が主な動機だと思うのですが、トップ保身を裏返せば「党内民意を信用していない」ことでもあり、思想の根底において「市場」の機能を否定していると言えます。
党指導部が「党員を信用していない」ということは、党員は利用の対象と見なされているということです。この一点において、党が掲げる政策や革命路線がどこまで党指導部の「本音」なのかはなかなか見極めがつきません。党内の「自覚的部分」には規約の文面とは別の「暗黙の誓約」があるように、党の政治路線も綱領の文面とは別の何かがあると想像することに無理はないと思います。
何を考えてるか分からない怪しい一派が牛耳る組織、それが私の共産党観であり、大衆の共産党観ではないかと。
党指導部が「党員を信用していない」ということは、党員は利用の対象と見なされているということです。この一点において、党が掲げる政策や革命路線がどこまで党指導部の「本音」なのかはなかなか見極めがつきません。党内の「自覚的部分」には規約の文面とは別の「暗黙の誓約」があるように、党の政治路線も綱領の文面とは別の何かがあると想像することに無理はないと思います。
何を考えてるか分からない怪しい一派が牛耳る組織、それが私の共産党観であり、大衆の共産党観ではないかと。