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耀姫の日記    このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-02-09

はてなブックマークの悪用について。ネット社会に巣食うモンスター科学評論家達

 未科学非科学ニセ科学の区別がつかない人々、もしくはそう装った人々が、歪んだ認識を擦り付ける誹謗中傷行為を目的として、ブックマークコメント欄を悪用しているようです。

 科学者は、未開拓の領域を科学的視点から解明していくのが仕事です。とうぜん、最先端研究を活発にしている人ほど、他の人から見ると未知の科学領域の情報が盛んに書き込まれていくことになります。これに対して明確な根拠を示すことなく、ニセ科学とかトンデモという認識を擦り付けるレッテル張りの誹謗中傷行為を働けば、科学知識を取り扱う基本的なルールマナーを無視した、科学の発達を妨げる妄言を流布していることになります。

 他人から見て、科学知識としてまだ定着していないと感じる、未知の科学領域のことを、一般人向けのブログに書くことは、非難に値する行為でしょうか? 学術論文は、一応の審査があるものの、十分な検証を経ているわけではなく、学会誌などに発表された状態のままでは、まだ未検証のものがほとんどです。発表されたものが本当に正しいかどうかを、他の多くの研究者が同じ筋道から考えて、問題点がないか慎重にチェックしたり、検証実験を試みたお互いの結果を見比べて、はじめてその研究が正しいかどうかが判明します。といっても、仮説の場合はあくまでも仮説で、裏付けとなる現象が発見されるまでは何年もかかることも珍しくありません。では、そういった未検証状態の期間は、似非科学ニセ科学トンデモ理論として扱われるかというと、そんなことはありません。未検証イコール蔑視対象という発想は、科学知識を扱う専門家の間ではタブー視されています。仮説を唱えたり、未検証の情報を提示することは、科学者の正しい知的活動の一環なのです。

 今回、はてなブックマークコメント欄の悪用・誹謗中傷行為と私に断言されてしまった理由は、日記に書き込まれた未科学の領域や未検証の事柄に対して、明確な根拠を示すことなく、ニセ科学とかトンデモという認識を、乱暴に擦り付けてきたからです。学会誌に発表された論文を、まともに内容を検証することなく、ニセ科学トンデモ理論扱いすれば、根拠なく他人の研究誹謗中傷する、妄言を働く悪質な人物とみなされて、非難の対象になります。これは、一般の人向けに書かれたブログの場合も同じです。結論を出すに至る論理の道筋に錯誤があるとか、既知の科学知識に反する内容になっているとか、他の研究グループが行った追試の結果と食い違っていて事実とは認められない、といった明確な問題点を指摘できない限り、書かれていることが正しいか正しくないかまだ分からない、その人にとっては科学知識になりきらない未科学テーマとして扱うのが、正しい科学姿勢です。


 未科学の領域の文章の提示に対して、根拠を示すことなくニセ科学トンデモというレッテルを貼って誹謗中傷するのは、科学知識を扱う基本的なルールに反して科学の発展を妨げる非行です。個々人によって理解できる科学知識は異なるため、未科学の領域も大きく異なることがあります。たとえば、『神社に伝承されている防疫技術、結界について』の冒頭で紹介したように、20世紀中頃までの、西洋科学知識を中心に物事を考えていた人々にとっては、東洋医学未科学の領域でした。科学知識の発達に伴って、評価が変わっていったことを解説したのは、西洋型実証主義に立脚した、異文化を無理解に蔑視する行動の問題点を明らかにするためでした。理解できていない未科学認識領域にある思考様式の体系を、よく調査せずに短絡的にオカルトと妄信するのは、科学的な発想ではありません。科学医療の発達の妨げにしかならないのです。中国東洋医学オカルトと蔑視してゴミ箱に投げ込もうとしていた西洋科学者達は、迷信・誤情報に基づく妄言を流布する社会行動を取って、東洋医学を用いた医療活動を妨げていたことになります。その結果、当時の西洋医学では救えない病気で、東洋医学を用いれば救われる運命にあった人々の命を失わせていたとすれば、極めて有害社会行動を取っていたことになります。こういった歴史反省を踏まえた、適切な判断を促すために、あえて『神社に伝承されている防疫技術、結界について』の冒頭で、西洋型の思考様式に潜む、無理解に蔑視する行動の問題点を指摘しておいたのです。にもかかわらず、短絡的に誹謗中傷を働くグリーファー達が出現したということは、未実証・未検証の情報は即バッシングの対象と判断する、短絡思考の悪習慣から抜け出せない、一種病的な状態に陥っていると判断するのが妥当でしょう。


 私は、日本神社伝承されてきた結界(防疫)の技術は、もともと迷信でないもので骨子が構成されていた事実を解説しました。科学的視点から見て根拠のある、評価できる部分だけが抽出されて、現代の科学技術の中に移植されていることも解説しました。私の父はファーストガンダム世代の人で、「ガンダムを造る」と言って神主の職を放り出して海外留学して、義手義足製作する技術を習得して帰ってきたほどのメカ好きです。さすがに実物大ガンダムは造れないと悟ったのか、小さく現実的に妥協したようですが、それでも私に実用になるものをいろいろ作ってくれています。私がフィトンチッドを散布する装置を作ってってオネダリしたら、大喜びで実用に耐えるものを用意してくれました。学校の校舎に精油の香が行き渡るものとなると、規模も大きいので、父がいなければ簡単に実用化しなかったでしょう。現在では、一般家庭向けのフィトンチッド発生装置が幾つか市販されて普及しています。中国皇室発の「うちわ」にまつわる防疫技術が、現代では新型インフルエンザ対策グッズに生まれ変わって活用されていることは、紛れもない事実です。この事実の提示を受けてもなお、明確な科学的根拠を示さずに似非科学ニセ科学トンデモ情報と罵るのは、妄言以外の何ものでもないでしょう。科学的に裏付けが得られているフィトンチッド発生装置を、理由を明らかにしないまま似非科学呼ばわりしているのと同じことになります。そのような奇妙な情報は、ブックマークコメント欄を乱用しているグリーファー以外発信していないので、明らかにおかしいと判ります。

 似非科学云々得意気に騒ぎ立てる人々は、検証された科学的なデータの提出を求めることが多いのですが、じつは専門家はそういったデータを参考程度にしか見ません。本当に役立つ知識や技術かどうかの判断材料にはならないことがあるのです。人工的な試験管の中(イン・ビトロ)の環境では良好なデータが得られていても、無数の要素が加味される現実医療現場で使おうとすると、まったくダメで、莫大な投資無駄になることも珍しくありません。科学知識の最も信頼できる判定方法は、実際に科学技術に応用してみて、予想されるとおりの良い結果が得られるかどうかなのです。フィトンチッド発生装置は、文句の付けようがない確かな答えを出しています。

 経頭蓋磁気刺激装置も、今では一般の病院に普及しています。私が高校生だった頃は、簡単に入手できるようなものではなくて、父にオネダリして医療用とは異なるハンディタイプ実験用の特殊用途のものを作ってもらいました。私が高校生の頃主催していた電脳研究会(電磁的に脳を刺激した効果を研究する会)が集積したデータノウハウをもとにして、学校の要所に環境磁気発生装置が設置されるところまで進みました。あれから数年経った現在では、磁気を用いて免疫細胞を制御する装置特許申請を行っている人もいます。このような実用化の進展状況があるにもかかわらず、似非科学ニセ科学トンデモ妄言を流布して誹謗中傷行為を働く人々は、科学的に物事を理解する能力故障していると判断するしかありません。実用化されて普及している経頭蓋磁気刺激装置特許出願中の免疫細胞を制御する装置が、似非科学ニセ科学トンデモなどという奇妙な間違った情報も、はてなブックマークコメント欄以外では流通していないようです。したがって、故意グリーファー達によって作られた妄言と判断するのが妥当でしょう。

 私が採り上げた、過去において神社伝承されていた状況では、未科学だった伝統的な技術の体系が、現在では科学知識に裏付けされたハイテク技術の中に移植されています。もちろん、きちんとした一定の評価を与えられた状態になっています。伝承されてきた技術を裏付ける原理を、科学的視点から理解したうえで、古式に則ったライフスタイルの中で使用するのは、ニセ科学でもトンデモでもありません。そのような誹謗中傷には科学的根拠も妥当性もないことは明らかでしょう。

 神道世界伝承されてきた未科学の防疫技術を、科学的視点から評価できるかどうか観察していけば、医療の発展に活用できる要素があることを、一般の人に分かりやすい書き方で紹介しました。『神社に伝承されている技術と迷信の関係』で、「現代の防疫技術では虫歯という伝染病を食い止められていない事実」を指摘して明らかにしたように、現代の西洋医学の防疫技術には、幾つかの大きな穴が開いています。だからこそ、東洋技術を用いて補完する必要があると提案しているわけです。一つのテーマだけでも数千の学術論文が存在し、その応用技術が書かれた特許出願の書類などにも目を通して、その分野の科学知識や技術現在どのようになっているのか把握することは、専門家でも難しくなってきています。さらに産業機密の向こう側の技術がどの程度のレベルにあるか推察できる人となると限られてきます。素人の手に負えるテーマではありません。科学知識の基本的な取り扱い方すら理解していない認識レベルにあるにもかかわらず、素人にすぎない自分専門家よりも遥かに優れた見識を持っていると考える誇大妄想に突き動かされて、まともに理解できていない事柄に対してまで、根拠を明らかに出来ない認識状態のまま、乱暴に、ニセ科学トンデモという誤情報レッテルを貼り付けて回るのは、見苦しい非行以外の何物でもありません。

 これまでの経緯からすでに明らかだと思いますが、西洋型実証主義の発想のなかには、無理解な蔑視的態度で迷信を流布して暴れる人々を生み出す、有害文化的気質が潜在しています。その悪しき気質を踏襲して誕生したグリーファー達が、現代の医療分野のことに口を挟むと、医療の発展を妨げる悪質な迷惑行為になります。今回、はてなブックマークコメント欄を調査してみましたが、信頼できない素人判断のコメントがほとんどを占めているという印象を受けました。ウィキペディアにも認められる傾向ですが、情報処理の衆愚化が生じているのに、この問題を適切に解決できる有効なシステムを有していない、素人作りになっているように見えます。


 私は、西洋医学の、牛痘法の成立を巡るワクチンに関する考え方や、感染症対策には、穴が開いていると指摘しました。否定しようとしても、インフルエンザウイルス感染していく動きを抑え込むことができず、虫歯菌の伝染も食い止めることが出来ないのでは、神社伝承されてきた防疫技術に遥かに劣る、としか言いようがありません。私は普通の人が体験しないような神社に伝わる訓練を受けているので、普通の人よりもかなり嗅覚が発達していて敏感です。我慢できないのは、西洋ファッションにかぶれた人達が、カビが生えて腐って悪臭を放っている状態の動物の遺骸を、一ヶ月一年洗うことなく身に付け続けて、自分の体までカビが生えて腐汁が体内から溢れ出して止まらない、ものすごい悪臭が漂う不潔極まりない状況を招いても、その悪習慣を止めない点です。私は気持ち悪くて、あんな状態になっている動物の遺骸に足を突っ込むことなどとても出来ません。白癬菌繁殖して一年経っても洗わない革靴なんて腐った代物を、好んでファッションとして身に付けるなんて、あまりにも不衛生すぎて、その発想に問題性を感じずにはいられません。足はよく汗をかくので、履物はもっとも雑菌が繁殖しやすく、こまめな管理が必要です。私は外出から帰ったら必ず履物を洗ってから消毒するし、細菌の繁殖を定期的にチェックしています。父の影響で子供の頃からレーシングカートが好きなので、洋服を着てブーツも履きますが、内部の空気が循環する流路がなくて、中にこもって蒸れるような、設計の悪いものは絶対に履きません。

 話を戻して、西洋文化は一見すると衛生的に見えて、錯覚している人が多いようですが、とんでもない不衛生な悪習慣が、盲点のように幾つも存在しています。白癬菌繁殖して腐った動物の遺骸と化している靴の臭いを嗅げば、鼻が曲がるほど臭いので、問題性に気付かないとは思えません。実際に注意して確認すれば、問題の程度がはっきりするものがたくさんあるのです。重大な盲点の部分が見落とされていて、それによって多くの人が感染症にかかったり命を落としている問題を無視できないため、解決しようと情報提供を試みている人物に対して、根拠のないレッテルを貼り付ける誹謗中傷行為を働いて、正常な情報伝達を妨げるのは、人の健康や命の問題を蔑ろにする、悪質な反社会的行為です。はてなの運営サイドが定めたルールや、場合によっては法律違反するような反社会的な非行を働く、有害グリーファーには、社会的制裁を加えて排除していく必要があると思います。

 これは、20世紀に、東洋医学世界西洋医学が短絡的発想で誤認して、蔑視的取り扱いをして、医療活動を妨げていた状態と同じ有害な現象です。科学的な調査が進んだ結果、東洋医学を蔑視する迷信を生み出した非科学的な発想過程の問題性も、すでに明白になっていす。誤情報を流布するのは、いつの時代にも、知識が不足している人々だということは、見誤りようのない事実です。未科学領域の情報の真偽を確かめるには、少なくとも同レベル研究を行って、追試結果などを出して確認する必要があります。そういった科学知識を取り扱ううえで必要な手順を省略するのはルール違反です。科学的手法を用いて正しく情報を取り扱うことが出来ない、非科学的な迷信を流布するモンスター科学評論家達が、情報化社会の中に居着くのは好ましくありません。はてなブックマークが、世の中のルールを無視してネット上で非行を繰り広げるモンスター科学評論家培養する環境を提供しているように見える点は、生命情報を処理するシステム研究する専門家として、非常に残念に思います。


 未科学領域の未検証の情報を提示することは、学会誌論文を発表するという形で、公式に各学会で認められている行為です。科学者ブログに一般の人に分かりやすい形で、未科学で未検証の領域の情報を提供するのも、これに準じる正当な行為です。科学知識や医療技術の発達にとって、必要不可欠のものです。一般の人も、優れたライフスタイルを形成して健康日常生活をおくるために、このような最新の情報供給が受けられる場所が必要です。科学知識を扱う基本的なルールが守れない、有害な誤情報を流布する非行を働くモンスター科学評論家達から、ネット上のこうした有益な情報流通環境を守らなくてはなりません。

mayumi_charronmayumi_charron 2010/02/09 14:43  未科学という言葉は、はっきりと意味が確定した日本語として定着した言葉ではなく、用いられる場面で意味内容が変動するものなので、言葉の定義をはっきりさせておきましょう。

 ブログ本文内でもある程度示しておきましたが、私がこの場で用いている未科学(プロトサイエンス)とは、科学知識として未だに定着していない、科学的プロセスを用いて研究しつつある分野のことです。人によって理解力が異なるので、既知の科学知識の領域と未科学の領域は、個々人によって異なります。未実証の仮説も未科学の中に含まれます。また、科学知識を持った人々が、未だ科学的視点から十分な検討が加えられていないと認識しているジャンルを取り扱う場合も、未科学に分類します。

 未科学領域のことを科学的視点から書くのは、科学知識を持った人間なら当然のことです。科学的プロセスを用いて研究しつつある分野のことを書いているブログに対して、「なら科学的などと書かねばよい」と指摘するのは、論理的に破綻しています。明らかに私が用いている言葉の意味を取り違えた指摘を行って、墓穴、科学の僭称と指摘して、非を認めない人物がいます。おそらく、この場で使われている未科学の言葉の意味を知っていながら、故意に分からないフリを装って、荒らしているのだろうと思います。

 他人のプロフィールに対して、嘔吐の擬音を擦り付ける、加害行為を目的としたコメント欄の使用も認められるので、正常なブックマークの使用ではなく、悪意から生まれたストーカー行為に変質していると判断するのが妥当と考えます。

mayumi_charronmayumi_charron 2010/02/09 16:55 「未検証の仮説と未科学は違います。」とコメントを付けている人がいますが、身勝手な自分のルールを他人のテーブルの上で披露して、個人的な認識を押し付け、錯誤を誘発するのは好ましくありません。未科学を未検証の仮説と同義と捉える人は少なくありません。この事実を無視した言説を、さも正しい事柄であるかのように、相手のテーブル上で強弁した時点でアウトです。故意に、相手が用いている言葉の意味・定義を捻じ曲げる、ルール違反を働いて、無知な人々を騙して惑わすに等しい情報操作と判断します。

 つぎに、未科学は、プロトサイエンスという言葉から生まれてきたという認識を示す人々がいます。私もその一人です。プロトには祖型の意味もありますが、プロトタイプという言葉が定着しているので、この面から意味を考えるのが一般的でしょう。新技術や新機構の検証を目的として、量産前に問題点を洗い出すために仮組みした試作機のことですよね。同じように、プロトサイエンスには、問題点を洗い出すために仮組みの形で提示している説、つまり本命視していない、本当は正しくない可能性もあるような仮説も含まれるのです。未だ科学的手法として定着していない、疑問点が残る検証方法なども、科学の領域ではなく未科学の領域に含まれるとみなします。これは見做し(フレーム)の問題なので、個々人で境界が異なります。

 「研究者が仮説について言及する事は未科学ではありません。」というコメントも、私の言葉の用法に従うと間違いです。たとえば、地動説という仮説は着目点が良いと評価された時代がありましたが、今日の視点から見ると、太陽系は銀河を中心に動いているので、正しいとは言い難い過去の遺物です。こういった先人達の古びた遺産も、私達から見ると、科学が未発達だった時代の不完全な科学知識、すなわち未科学の領域の仮説に分類されるのです。私だけでなく、錬金術をオカルトや疑似科学ではなくプロトサイエンスに分類する考え方を示す人達がそれなりの数存在します。陰陽師の結界(防疫)技術なども、西洋の錬金術とニュアンスが似ているので、同列に扱って問題はないでしょう。科学知識として定着しきれていない状況にある、真偽を見定めにくいものは、私のブログの上では、未科学の領域にあるとみなします。

mayumi_charronmayumi_charron 2010/02/09 18:24  伝統文化の中に存在する未科学の領域にある対象を、科学技術の中に移植して、科学的評価を加えたあとで、未科学の領域の中に潜んでいた科学的要素を紹介し、再評価を促す。これを科学の僭称とは言えば、明らかな錯誤です。たとえば、植物に含まれるフィトンチッドを用いて殺菌する風習が昔からあり、その有効成分を抽出して殺菌剤を作って科学的に評価してから、昔の風習や先人達の知恵について言及する。こういった手続きを踏んだ解説は、科学的視点から行われている一般的なものです。こう主張することに誤りはなく、科学を僭称する要素は見当たりません。強引に科学の僭称と決め付けて罵っているだけです。

 今回のブックマークのコメント欄の動きを見ていると、上記のような単純なことを理解出来ないふうを装ってみたり、他人が用いている言葉の意味を身勝手に捻じ曲げて、曲解を流布する非行に走る動きを擁護する人が多いようです。今回のテーマは、科学や医療の発達、ライフスタイルの改善を妨げてきた、西洋型の思考様式に含まれる蔑視体質をどうするか、ということにありました。ところが、未科学という言葉の定義がまだ曖昧で、定着していない状況にあるのをいいとこに、他人が用いている言葉の意味を故意に自分の言葉の意味と摩り替えるトリックを用いて批判を加え、蔑視体質を維持し続ける行為が正しいと主張する人々が大勢現れた、と判断するのが正しい情況のようです。やはり、これはマナーや倫理観の問題と思います。

 「キベンファイトはウォッチ対象にしかならない」という指摘もありました。問題点に気付いている人々の多くが、ブックマークしたりコメントを付けることを避けて静観しているため、蔑視体質擁護派の言葉だけが並んでいく情況にあると見るべきでしょう。いずれにしろ、ここまでが、この形式のネットコミュニケーションの限界と見ます。

 すでに紹介したように、中国皇室発の、香木で作られた扇子を用いてフィトンチッドを周囲に散布して風邪の菌への感染を防ぐ、未科学領域の古風なライフスタイルを私はとってきました。しかし、一般の人には、市販のフィトンチッド散布装置を用いるライフスタイルをお勧めします。なぜならば、ノウハウを持たない人々が、ただ扇子で煽いでいても、屋内のフィトンチッドの濃度が有効なレベルに達しないこともあるからです。そうなるとただの迷信にすぎなくなります。ここが、古風で雅な国風文化を踏襲するライフスタイルを、一般の人の視点から観察したときに、未科学と認識される所以でしょう。香木の匂いを嗅げば、私は濃度が十分かどうか判断できるように幼少時にトレーニングを受けましたが、一般の人はまず把握できません。また、精油成分が空中に浮遊する状態は、湿度の影響などを受けるので、そのコントロールも重要になってきます。こういったノウハウが、千年以上伝承されてきたことで経験的に蓄積されて、さまざまなシキタリなどの形で神社に伝わっています。ただし、面倒な風習なので一般の人にはお勧めできません。新型インフルエンザ対策などは、フィトンチッド発生装置を用いるライフスタイルのほうが、安価で簡単で確実です。もちろん、この文章も、科学的視点から書かれたもので、ニセ科学の要素など、どこにも含まれてはいません。

mayumi_charronmayumi_charron 2010/02/11 08:54  「検証を重ねて極めて正確な値を導き出せなければ「科学的に正しい」といえない。」とブックマークのコメント欄にアドバイスを下さった人がいるので、ここに返事を書いておきます。

 私は生命情報学の仕事の面では、「科学的に正しい」事を重視します。科学的実証主義に基づいてキッチリ答えを出していかないと、成り立ちません。しかし、神道の世界に伝承されているものを一般の人向けに紹介していくことに関しては、あまり重視していません。生活の役に立つ技術かどうかが全てといってもいいでしょう。基本的に、神社に伝わる文化は科学ではありません。今回未科学という、まだ意味が確定していない特殊な言葉を持ち出した理由は、伝承している文化は科学知識の領域に属しているわけではないことを、はっきりさせるためです。科学的視点から構成されているわけではなく、神道は独特の精神文化の世界観を持っています。伝承されている技術が、科学的視点からもある程度説明がつくこと、科学技術の中に移植して役立てられることを、具体的に示せればそれで十分と考えます。また、継承している技術の多くが門外不出とされ、重要な神事はどれも原則非公開なので、書けることは限られています。そしてここからが重要なのですが、人類にとって普遍的な、科学知識の体系を凌駕する、もう一つの知識の体系と、密接に関わっています。

 現代人は、科学知識だけが、自分達の生存を支える知的財産だと思っていますが、じつはそうではありません。私達の体や脳(精神)は、生命の誕生から約40億年の進化の過程を通して遺伝子情報系が集積してきた、生存の様式を生成するために必要なデータによって形作られています。このデータは脳の生成や自己組織化、そして深層心理の発達過程や作動状況にまで影響を及ぼしていることが判明しています。生得的真理は科学知識のように生後特別努力して学習する必要がなく、生まれたときから私達の中に存在している情報なので、ただその存在に気付いて悟ればいいものです。たとえば恋愛の心理は学校で学ぶようなものではなく、素敵な異性と出会って胸がキュンとなって自然に存在に気付くものです。深層心理は遺伝子情報系が担っている生得的真理を下敷きにして、脳内に神経回路網として形成されています。また、生得的真理は、科学知識のようにその正しさを実証しなくても、最初から人類にとって普遍的な正しさを備えています。約40億年の歳月をかけて、試行錯誤を繰り返して淘汰されて残っていったものなので、その正しさは実証済みだからこそ真理と呼ばれているわけです。そのほとんどは人類が共通して持っているものなので、種にとって普遍性も備えています。神社に伝わる心の文化は、私達のライフスタイルを深層心理の次元で無意識のうちに下支えしている、生得的真理によって自律的に自己組織化されたものであり、生得的真理のデータベースにアクセスして活用するシステムを有しています。したがって、基本的に科学的に正しさを検証する必要などない、最初から正しいことが自明の存在なのです。

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