歴史的に見ても賞味期限が切れた小沢一郎(その2)=御厨貴中央公論2月12日(金) 14時24分配信 / 国内 - 政治今回の件は、門外漢から見ても、今のところは巨悪をただちに暴き出すような捜査ではない。だから小沢氏側からすれば、昨年の西松建設違法献金事件に続き、なぜ形式犯的なもので自分ばかりが狙われるのかということになるのだろう。 一方で、政権交代以後の小沢氏のあり方はやはり目に余るものがあったと言わざるを得ない。記憶に新しいが、昨年十二月、民主党議員一〇〇名以上を引き連れて訪中し、胡錦濤国家主席に一人ひとり握手させ、自分が真ん中に座って写真撮影をするなど、あからさまに権力のありようを誇示した。 その直後には、訪日した中国副主席と天皇陛下の会見が急遽実現することになった。天皇の政治利用にあたるのではないかとの批判を受けて開いた記者会見では、宮内庁長官を厳しく批判して傲岸不遜な印象を与える態度を見せた。 予算案の決定においては、官邸に乗り込んでガソリン税の暫定税率維持や子ども手当への所得制限導入など重点要望を申し入れ、原案を撤回させて自身の方針どおりに決めさせた。検察も「異例」だが、小沢氏の権力行使のあり方もまた「異例」であろう。 昨年末、私がキャスターを務める『時事放談』(TBS系)に元衆議院副議長の渡部恒三氏が出演し、「小沢君がこれだけ政治の前面に出てくることは異常だ」と発言した。なぜ小沢氏はこれほど権力を人々に見せつけるのか、力量のある政治家ならば、むしろ手柄は人に譲って自分は後ろにいるというのが普通なのではないか、小沢氏が前面に出てきているこの政治状況は異常と言わざるを得ない、という趣旨である。果たせるかな、検察を挑発し、結果として彼らによる政治への介入を招く結果になってしまった。 もっとも、小沢氏が前面に出ざるを得なくなった事情は理解できなくもない。民主党政権が成立した際、国民の大多数は「とにかく最初の一〇〇日、三ヵ月で何らかの成果を出してほしい」と期待したが、振り返ってみて華々しい成果はほとんどなかった。 唯一あったとすれば、パフォーマンスの面で一番評価された事業仕分けだけである。それ以外に強いて挙げるとすれば事務次官会議の廃止や政務三役の設置などだが、制度改革はなべて緒に就いているとは言いがたい。変えることを国民に約束したにもかかわらず、国民生活がこのように変わった、あるいは変わる方向性が見えたという成果は全くと言ってよいほどないのだ。 成果が出ない事態には小沢氏も気づいていたはずだ。すべてを小沢氏の権力誇示に帰着しようとするのはフェアな見方ではない。「原則」でうまくいかぬときは「変則」もあり得るという意思表示でもある。米軍普天間飛行場の移設問題などで日米同盟危うしとなったので日中関係を改善しようとしたのであろうし、予算についても、内閣では大きな政策に優先順位をつけることができない事態に業を煮やして、暫定税率維持などを決めてしまったのであろう。 おそらく小沢氏としては、政権成立から三ヵ月近く経ち、時間がないところに何をしているのだという、彼なりの怒りがあったのではないか。加えて、民主党の多くの議員はこれまで政権を担当したことがなく、小沢氏をはじめごく一部の、自民党田中派の流れを受け継ぐ人々だけが政権運営とはどういうものかを知っていた。だから、小沢氏が前面に出ざるを得なかったのではないか。幹事長職で前面に出てきた、ただし幹事長以上のことをやっていると言わざるを得ないが−−そういう状況である。 いずれにせよ、政権交代を選んだ国民が期待したのは、民主党政権によるあらゆる方面での“改革”だったはずだが、小沢氏と検察の戦いで“改革”が阻まれる状況になっている。小沢氏と宮内庁の衝突もそうだが、これは「場外乱闘」にすぎず、政治の本質をはずれていると言わざるを得ない。 変革の時代は我慢が必要 ところで、小沢氏の周辺捜査から今に至るまで、民主党内から小沢氏に対する表向きの批判が一切出ない状況が続いているのも「異例」である。民主党には党内民主主義があるのかと疑われても仕方がない。昨年五月、西松建設違法献金事件で小沢氏が民主党代表を辞任したケースに鑑みれば、小沢氏自身から進退などについて何らかの発言がない限り、おそらく党内からは当分何らの動きも出てこないだろう。 逆に民主党内からも検察を批判する声が上がり、研究会のようなものが多く作られている。これは小沢氏を批判するのは面倒だが、検察批判は官僚批判に通ずる行為として許されるとの反応である。小沢氏に全面的に賛成というわけでもなく、何かをやっていなければ気が済まないという党内の不安を反映しているに相違ない。 民主党を少し擁護して言えば、仕方のない側面もある。自民党はさすがに五〇年も続いた政党で、何回もスキャンダルや危機に見舞われているため、どのようにしてそれらを乗り越えていくかというノウハウを自然に持っている。一方、民主党は、寄せ集めの人材で何とか恰好をつけた政党にすぎない。紆余曲折を経て一〇年、ようやく政権交代を果たしたばかりだ。これまで政権を取ったことがないため、今回のような事態が生じた際に政権党としてどのように振る舞えば危機を最小限にとどめられるか、全く訓練されていない。 おそらく、小沢氏を批判したいという気持ちがあったとしても、どういう形で意見表明をしたらよいのかわからないのではないか。まことに情けない状況ではある。誰が一声を上げるのか、皆ひっそりとして待っているのだから。 ただし、今回の事件から、民主党政権がダメだと結論を下すのは短絡的である。大きな変革の時代には混乱がつきもので、われわれもある程度は我慢しなければならないと考えるからだ。 例えば明治維新や戦後の占領期改革にしても、改革は一挙に直線的に進んだわけではない。明治維新で幕府が倒れて薩長政権になったらたちどころに近代化が進んだ、というのはとんでもない思い違いである。維新の初期には何度も制度変更があり、組織も人事も猫の目のように変わっている。その間、改革は進まず、地方は疲弊した。さらに当時は欧米列強の進出で国防への危機感は募るばかりだった。このような状況で、明治政府による最初の制度改革である廃藩置県の実施まで四年もかかっている。戦後の占領期改革のときも、中道左派連立政権などさまざまな試行錯誤を経て、吉田茂が盤石な政権を樹立して安定するのが一九四九年。やはり四年かかっている。 どのような改革にしても、わずか三〜四ヵ月、あるいは一年程度で立派な組織や制度ができあがり、日本の政治がよくなることはあり得ない。これまで、自民党政権の運用の妙に慣らされ、「変わらない」体制に慣れきってしまったために、変革は必ず混乱をともなうという事実を国民の多くが忘れているのではないか。現在の状況は産みの苦しみと見るべきである。 かつてのままの自民党政権には戻らない あまりの混乱のため、明治維新の直後には、今に薩長が政権を去って“公方様の時代がもう一度やって来るのではないか”と言われたりもしたが、現実に逆戻りすることはなかった。同じように、初動期の民主党政権が失敗したとしても、かつてのままの自民党政権が戻ってくることはない。官僚や財界人のなかには、これまでの民主党政権のもたつきから、「それ見たことか」「やはり自民党政権のほうがよかった」、あるいは「小沢がいなくなったら民主党政権はばらばらになって、もう一度政界再編成があるだろう」という見方が強い。だが、それは知らず知らずの間に陥る旧体制信仰と言うべきものだ。 昨年の総選挙の際に国民が選択したのは、小沢一郎でも、鳩山由紀夫でもない。もっと広い意味で、これまで何も変えなかった体制から、何かを変えていく体制への転換を選択したわけであり、その担い手の顔ぶれは代わるとしても、この「変える」という方向性については不可逆的に続いていく。一時的な混乱に直面して慌てる必要はなく、変化を前提に、冷静にものを考えていくべきではないか。 民主党にも自民党にも必要なのは、変化を前提として今後の新しい政治の担い手を育てていくことである。民主党でいえば、現在第一線にいる鳩山氏、菅氏、小沢氏の世代がいつ退くかということにかかっている。二番手につけている中堅の大臣・副大臣・政務官クラスの政治家が成長しなければならない。彼らには若すぎる、頼りない、といった批判があるが、政治家とはひとつひとつ仕事をこなしていくことによって成長していく職業なのだ。 一方、自民党にはその年代の若手がいないのが欠点で、その次の世代を引き入れるように考えなければ再生できないのではないか。 つまり、自民党と民主党とは全く異なる状況に置かれているように見えながら、大きな流れのなかで見れば、変化を前提として若い政治家をどれだけ育てられるかがカギになるという点では共通している。そのような政治家が多く出てきて、はじめて保守対リベラルといったイデオロギーや政策を対立軸とした政界再編もあり得るが、単なる数合わせに終始するような政界再編ならば労力の無駄にすぎない。要は人材育成をいかに成し遂げるかなのだ。 現在の状況は、むろん鳩山政権にとっては危機的だが、大きな流れとしては政権交代の指し示している方向に変わりはなく、混乱をともないながらも今後も“改革”を進めていかねばならない。 小沢氏は「闇将軍」にならない ここで今後の短期的な見通しの議論に戻ると、会見では幹事長続投を表明したものの、小沢氏は辞任のタイミングを見はからっているのではないかと思う。 一月末の時点で内閣支持率は四〇パーセント台にまで下がり、不支持率と拮抗しはじめている状況にあり、幹事長を続投すれば支持率がさらに低下の一途をたどることは、賢明な小沢氏にはとっくにお見通しのはずである。私は、小沢氏は幹事長を辞任しても議員辞職までする可能性は低いと思う。そうすると、役職に就かぬまま一三〇人の「小沢チルドレン」を引き連れて、党内にうごめく状態になる。それは悪夢の再現である。かつて田中角栄が「目白の闇将軍」と呼ばれていたのに倣って「深沢の闇将軍」化することだからだ。 ただ、小沢氏も民主党も、何かを変えようという目的は共通している。小沢氏がそれを妨げてまで「闇将軍」でありつづけるか、その小沢氏に一三〇人のチルドレンが追随しつづけるかと言えば、それが長期にわたる可能性は低いのではないか。 これまでの数々のスキャンダルでは、例えば昭電疑獄をはじめとして、首相クラスの大物政治家が有罪になって収監されたケースはないに等しい。その間に本人が社会的制裁を受け、政治生命を絶たれればそれでいいというのが、おおむね検察の政治的対応である。つまり、最終的に有罪になるかどうかはさして問題ではなく、そのころには確固たる次の政治体制が決まってしまっていて、彼はもはや過去の人にすぎない。今後、そのような流れに持ち込む状況になれば、検察の政治的意図は達せられたと見るべきで、実は裁判闘争に巻き込まれること自体が、政治家にとっては致命的と言える。 小沢氏は賞味期限が切れた このように見てくると、小沢氏はすでに賞味期限をすぎていると言わざるを得ない。さまざまな点で未熟さを残す民主党がここまで伸びたのは、確かに小沢氏の貢献が大きい。しかし、小沢氏の政策のアイディアもほとんど出尽くしたのではないか。そこから先は、変革を担っていく若い政治家が勉強しながら進めていくべきであろう。冷徹に歴史の文脈のなかで考えてみれば、小沢氏は今や着地点に降り立ちつつあると言える。 冒頭に、小沢氏には自己矛盾があるのではないかと指摘した。すなわち、手法としては星亨、原敬、田中角栄の流れを汲む古いものを駆使しながら、政治改革を成し遂げようとしている矛盾である。目的のためには手段も合理化されると小沢氏が思っているか否か。少なくともこれを小沢氏は矛盾と思っていないがゆえに、しばらくはあがきつづけることになるかもしれない。その期間が長ければ長いほど、民主党へのダメージは大きい。 小沢氏は政権交代まで“小沢塾”を開いていた。参加者の声を聞くと、ここでの小沢氏は実に魅力的で、男女を問わず、人を引きつける何かを感じさせたという。これに鑑みるに、小沢氏に残された役割は、政治を語り、政治を教え、人材養成をはかることにあるのではないか。彼の余りある情熱を、「変える」人材を創ることに集中すべきなのではないか。小沢チルドレンも、おそらくはそうした小沢氏の側面に意味を見出したから、これまでついてきたのではなかったか。 小沢氏が後景に退くことは、土木国家というあり方を終わらせ、政党政治とカネが訣別する証しとしての象徴的な意味を持つことになるだろう。小沢氏の政治的役割の転換が進めば、近代政党政治史は新たな段階を迎えることにもなる。したがって、検察の意図していることとは全く別の形で、歴史のひとつの転換点になるのではないか。 (了) みくりやたかし(東京大学教授) |
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