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歴史的に見ても賞味期限が切れた小沢一郎(その1)=御厨 貴

中央公論2月12日(金) 14時18分配信 / 国内 - 政治
 民主党の小沢幹事長の資金管理団体による土地購入をめぐり、元秘書の石川知裕衆議院議員らが政治資金規正法違反で逮捕された。翌日の民主党大会で、小沢氏は検察当局と「全面的に対決していく」と宣言し、鳩山首相もその姿勢を支持しているようだ。その後、小沢幹事長は検察の事情聴取に応じ、記者会見を開き、ソフト戦術に変えた感もある。だが相変わらず検察のリーク情報とおぼしき記事がメディアに躍り、小沢vs.検察の対決の構図はそのままだ。ここではまず、この事件を歴史的な文脈に位置づけることから始めよう。

「やがて悲しき政党政治」
 小沢氏を近代史の、特に近代の政党政治史の文脈のなかで考えると、彼の先達と言ってもよい人物が三人いることに気づかされる。星亨、原敬、そして田中角栄である。
 星亨(一八五〇〜一九〇一)は、伊藤博文を総裁とする立憲政友会創設時(一九〇〇年)の、旧自由党側の立役者である。一般に政党政治というと板垣退助や大隈重信の名が挙がるが、それまで政権から排除されていた政党を政権内に入れて、むしろ構造的に有力な母体にすることを具体的に考えて実行に移したのが星だった。
 星は江戸の貧しい家の生まれで、明治維新のような改革がなければ到底浮かび上がることはできず、政治家になれるはずもなかったが、次第に頭角を現して政党の有力者となった。ところが、星の活躍にはカネの噂がついて回る。自由党内の星派を効率的に動かしていくためにはやはりカネが必要だったのである。
 当時、東京市には多くの許認可権限があったが、それらをめぐる汚職も少なくなかった。そしてその裏には必ず星がいると言われていた。
 創設直後の政友会を基盤とする第四次伊藤内閣が成立すると、星は逓信大臣となる。逓信省は電気通信と郵便などを管轄する官庁であり、利権が集中する。そこで野党からの厳しい追及にあい、ついに星は辞職に追い込まれ、それから数ヵ月してテロに斃れる。最初に政権政党というものを実現させた星亨が「公盗の巨魁」とまで言われ、金銭スキャンダルにまみれて暗殺されたのは、日本の近代政党発達史の文脈で見ると、不幸な出発だったと言わざるを得ない。
 星の辞職を受けて逓信大臣となったのが原敬(一八五六〜一九二一)である。原は、「白河以北一山百文」と言われたように、明治維新以後は日の目を見なかった東北六藩の盛岡の出身である。薩長土肥の出身者が跋扈する明治政府のなかでは、なかなか思うように出世がかなわなかったが、政党という活躍の場を見出して伸びていく。原は地方への利益誘導を政党の利益に組み込んで政権に働きかけるというシステムを最初に作り上げた。今日の「土木国家」に連なる、われわれがよく見聞きするシステムである。その結果として政友会は大いに伸張し、一九一八年、米騒動の後にわが国初の政党内閣たる原敬内閣が成立する。
 原内閣は一九二一年まで三年間続くが、決して世評は高くなかったことがわかる。原自身は潔白であっても、政党人に常について回る金銭的スキャンダルゆえに原の政治は汚いと言われていたのだ。そして原もまた、東京駅頭で暗殺される。はじめて政権を担い得る政党を作った星亨と、はじめて政党内閣を率いた原敬が、ともにスキャンダルのなかでテロリズムに倒れたことは、日本の政党政治にとってまことに不幸だったと言うほかはない。
 そして戦後の政治家のなかで、星亨や原敬の手法に通ずるものがあり、この国の骨格を作る土木やインフラストラクチュアというものについての天才的な知恵を持っていて、これをシステム化して政治のなかに、同時に政党のなかに鮮やかに組み込んでいったのが、田中角栄(一九一八〜九三)である。“戦後民主主義”的な状況なかりせば、土木業出身の田中が政治家になることはなかっただろう。つまり、この国の民主主義は、維新と敗戦のなかから、政党政治に関わる異能の人物を発見し、育てたのである。
 田中は、それまで誰も顧みなかった建設省と組んで、道路や河川を整備し、また港湾や鉄道の整備など国土計画の分野に介入し、土木事業を大いに政治のなかに組み込んでいく。先般、暫定税率の維持か廃止かで議論となったガソリン税も、田中が作った道路特定財源のひとつである。田中は吉田内閣の時代には「土方代議士」と馬鹿にされたが、「誰もがやらないことを自分はやっている、この国にとって一番大事なのはインフラ整備なのだ」と言い放ち、結局、高度成長の最後の輝きのなか、五十四歳の若さで総理大臣にまで上り詰める。
 ところが田中もやはり金銭関係に問題を生じ、まず立花隆氏らの金脈批判にさらされた結果、田中内閣は意外にも短命に終わり、次いでロッキード疑獄で逮捕され、その後は無罪を勝ち取るために派閥の領袖から退くことなく戦いつづけ、二重権力状況を出現せしめたのは周知のとおりである。田中は何のために戦いつづけたのか。田中にとって、またこの国の政治にとって、「二重権力」は不毛の一語に尽きる。
 そのような田中の姿を見ながら竹下登が政権を奪い、竹下と金丸信の姿を見ながら今度は小沢一郎(一九四二〜 )が党を割って出ていくというところまできた。
 田中角栄は『日本列島改造論』を引っさげて総理になったが、小沢一郎も『日本改造計画』で日本政治に“改革”ののろしを上げた。この二〇年間、小沢氏が第一線で活躍してこられたのは、彼の政策のアイディアもさることながら、その背景にあると思われる「金力」が大きい。小沢氏がいかに否定するとしても、この国を支配してきた「土木国家」のシステムと無縁であったはずがない。つまり、手段や手法としてはこの国の政党政治に伝統的なやり方を洗練かつ純化させながら、目的としてはこの国の“改革”を目指すという矛盾するものを一身に体現しているのが、小沢氏その人なのだ。
 星亨、原敬、田中角栄、そして小沢一郎と見てくると、異能の持ち主ゆえに、政党政治をこの国の政治のなかに埋め込むために尽力した反面、その代償のように金銭のスキャンダルにまみれていったという共通点がある。言い換えれば、日本の政党政治のアキレス腱が常にカネの問題にあることがわかる。戦前の二人はテロリズムで倒され、田中は刑事被告人のまま病に倒れ、政界を去らざるを得なかった。不幸な印象を拭えない。「やがて悲しき政党政治」という思いに至らざるを得ない。
 一方、ここで着目すべきは国民の倫理観である。例えば開発独裁のような国であればカネの流れが表に出ることもない。日本では政治に対するある種の理想があって、金権にまみれた政治であってはならないという倫理観もまた強かったのではないか。だからこそ、カネを無造作に使う政治を批判し、星や原、田中、小沢を糾弾してきたのであった。

政権vs.検察は政vs.官
 小沢氏を歴史的な文脈のなかに置いてみれば、今回の事件はむしろ歴史的必然であるかのような印象を受ける。しかし他方で検察のあり方もすべてが適切とは到底見えない。では政権と検察が正面から対決する事態をどう見ればよいだろうか。
 まず、他の先進国と比較すると、検察が政権と真っ向から対立するのは珍しい。今回のように検察が政権交代前後に、交代の原動力となった最大実力者に捜査の手を伸ばすのは、発展途上国や独裁国ならばともかく、成熟した先進国では聞いたことがない。まことに「異例」の事態が起こっているのだ。
 それではなぜ検察は小沢氏を追及するのか。そもそも、検察とは五〇年以上にわたる自由民主党の一党優位体制にそれなりに適合してきた組織で、旧来型の発想になじんでいる。民主党体制に代わることに対するある種の危険性を感じていることが背景にあるのは間違いない。政治主導と脱官僚、つまり官僚と対決することによって主導権を確保するのが民主党政権の基本的なあり方である。検察は他の行政官庁とは異なり、独立した特殊な機関だが、だからといってそのまま手つかずでいられるわけではないだろう。
 検察の危機感を呼び覚ましたであろう契機が三点ある。ひとつは、昨年十二月に公正取引委員会の審判制度を廃止する方針が決まり、公取委が審決の権限を奪われることである。審決は談合やカルテルなどで処分を受けた企業の不服申し立てを受けて、処分の是非について最終的に判断を下すもので、公取委の最大の権限である。予算の無駄を洗い出すことを目的とする事業仕分けのような華々しいパフォーマンスではないのであまり報道されていないが、審決の権限を奪われるのは公取委にとっては致命的である。このような措置が独任機関で独立の行政委員会である公取委に対して行われたという事実が残る。
 もうひとつ、一月十五日に内閣法制局長官を交代させている。次長からの昇格なので定期的な人事のように見えるが、この人事は今国会から法制局長官に答弁させないという政府方針の延長線上にある。今後は法制局長官あるいは法制局が独立的に振る舞うことは認めず、民主党のあり方に従わなければならないという意味の象徴的人事と見るべきである。
 いまひとつは、郵便料金の障害者割引制度が悪用された事件に絡み、厚生労働省の元局長が虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた郵便不正事件の公判の成りゆきである。元局長は罪状を否定したまま公判に臨み、捜査段階で局長の指示を認めた係長は、すでに単独行為と証言を翻している。これまた行政と検察の全面対決の構図となった。検察としては悩ましい展開となっている。
 こうした事例から考えると、検察は政権交代によるなにがしかの“空気”の変化を読みとり、そこはかとない危機感を抱いているのではないか。それも、メディアが喧伝するような、民主党政権が検察の人事や組織に直接介入するといったあからさまな形を想定してではない。“空気”の変化を背景に、知らず知らずのうちに、なし崩し的に検察権力が変容を迫られることである。そこでは当然、検察からの反撃があり得る。政治主導を、そして何かを変えることを主張する民主党において大きな役割を果たしているのは小沢一郎その人にほかならない。この小沢の犯罪を暴くことで党内での、ひいては政治の世界での力を弱め、検察としては旧来の独立の権限を保っておきたいと考えたとしても無理からぬことである。
 検察が政治的な動きと無関係に捜査するというのは建前にすぎない。石川議員の逮捕は国会が始まる直前であり、国会審議を通常の状態では行わせないと検察側が宣言したようなものである。この意味で、検察が先手を打って政治に介入してきたという印象を受ける。
 つまり、小沢氏と検察の対決は、むきだしの権力同士による政と官の対決と見ることができるのだ。
 実際、国会審議は政治とカネの問題をめぐって紛糾する恐れがある。予算案や法案の審議が十分に行われないにもかかわらず、与党は衆議院に三〇〇議席あるので、下手をすると強行採決となる。これまでとは逆の構図で、自民党を中心とする野党が審議を拒否する場面が出てくるかもしれない。国会における不毛な対立によって、十分な審議もされないまま予算や法律が決まっていくという状況が、ここでもう一度繰り返される可能性を否定し得ない。
 これは、昨年の総選挙で民主党に投票した有権者にとっては全く是認できない事態である。国会空転となればその道に先鞭をつけたのは今回の検察の捜査であることになりかねない。検察は政治的な影響など考慮することなく淡々と捜査すればよい、という一見まともな意見が白々しく聞こえてしまうのは、現実に政治改革を阻みかねない事態を検察が招いているからだ。これを検察はどう認識しているのだろうか。

(その2へ続く)

みくりやたかし(東京大学教授)
  • 最終更新:2月12日(金) 14時18分
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