イラク戦争に参戦したのは正しかったか-。英国で検証が進められている。
2003年3月、当時のフセイン・イラク大統領が大量破壊兵器を開発し、国際テロ組織に渡る恐れがあるとして、米国が攻撃を開始した。英国も共に参戦し、フセイン政権は翌4月に崩壊した。
しかし、その後、戦争の「大義」とされた大量破壊兵器が存在しなかったことが判明した。イラク戦争で179人の戦死者を出した英国では、世論の反対を押し切って参戦を決めたブレア前首相への不信が高まった。このため、ブラウン首相が昨年7月に独立調査委員会を設置し、政策決定に関与した政府高官や閣僚の証人喚問を続けている。
今年1月末には、ブレア氏が公聴会で証人喚問された。これまでの調査で当時の高官らが、ブレア氏がイラクには大量破壊兵器が存在する確率は低いと認識しており、一部の法律顧問からは開戦が国際法違反に当たるとの忠告を受けていた-と証言しており、証人喚問でもこうした部分が焦点となった。
ブレア氏は、6時間にわたる証言で「疑いの余地なく大量破壊兵器があると信じていた」「国連で解決できないなら、フセイン大統領を排除するしかなかった」などと語ったが、疑問に十分答えたとはいえなかった。調査委は今後、当時の政権ナンバー2だったブラウン首相らの証人喚問を行い、早ければ年内に報告書を発表する予定だ。
イラク戦争をめぐる検証を続けているのは英国だけではない。
オランダも独立調査委員会が1月中旬、「イラク戦争は国際法違反だった」と結論づける報告書を公表した。米英の攻撃を支持したオランダ政府の判断も誤っていた、と指摘している。
日本はどうだったのか。当時の小泉純一郎首相は開戦直後、「米国の武力行使を理解し、支持する」と表明した。当時のブッシュ米大統領との緊密な関係が、他国に先駆けての支持表明につながったとみられている。
小泉元首相はその後も「大量破壊兵器はいずれ見つかる」と強弁し続け、大量破壊兵器がないと分かった後も、会見で見解を問われると「国際社会は開戦時の意見の違いを克服し、それぞれの国にふさわしい支援を行うことで一致している」などと話をすり替えるだけだった。
小泉氏が、どのような根拠と見通しに基づいて、イラク戦争を「支持」し、大量破壊兵器があると国民に説明していたのか、はっきりしないままだ。
もちろん、直接参戦して戦死者を多数出した英国と日本とでは、受けた痛みが違う。単純に比較はできない。
しかし、外交・安全保障上の重大な政策判断について、振り返って妥当性を問う姿勢は大切だ。為政者が政策決定する際に「歴史に堪え得る判断か」と自らに問う正しい緊張感を生むからだ。英国やオランダの検証精神を見習いたい。
=2010/02/14付 西日本新聞朝刊=