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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社

2003110002

大岡昇平 武蔵野夫人 1950 日本 新潮文庫

評者:発起人    評価:9    読了日:2003/11/07    公開日:2003/11/07

戦後文学の巨匠が残した極上の恋愛シミュレーション小説?

 

  戦後文学に大きな足跡を残した大岡昇平(1909-1988)の初期作品でベストセラーになり、映画化もされたらしい。過酷な戦争・俘虜体験を基にした一連の作品で文壇デビューした作者だが、もともとはフランス文学者であり、スタンダールやラディゲなどのフランス心理小説の手法を使ってこの作品を書いたということになっている。しかし私はフランス心理小説とか言われてもピンとこないのである。

 まず第一の印象は、「あ、武蔵小金井だ!野川だ!、国分寺だ!」等々、たまたま私の近所が舞台だということで、ご近所がテレビとか小説に出てくるとなんとなくうれしいのである。

 しかし実はこの舞台(風景・風土)はこの小説の重要な装置である。(開かずの踏切でまた話題を提供している)中央線の国分寺駅と武蔵小金井駅の中間の南側にある「はけ」と呼ばれる土地とそこに住む人々の来歴の描写からこの物語は始まっているのだ。題名も『武蔵野夫人』なのである。(武蔵野という人の夫人なのではもちろん無い。)なんとなく語感がいいとは思うが、やはり背景としての武蔵野という土地がこの小説には必要だったのだろうと思う。

 この武蔵野夫人=秋山道子(29、年齢は1948年6月現在)はこの「はけ」の土地約千坪を買って住んでいた退職官吏、宮地信三郎(1946年病死)と民子(1945年病死)の末娘であり他の兄弟姉妹は夭折している。

 夫の秋山忠雄(41)は埼玉の農家出身だが現在は大学教員でありスタンダールの翻訳などをしている。渋谷の家が空襲で焼かれ道子とともに「はけ」の家へ移ってきていたのだ。

 道子の従兄(=道子の母、民子の妹の子)大野英治(40)は秋山家の隣人であり戦後は石鹸工場を経営して羽振りがいい。妻の富子(30)との間に雪子(9)という一人娘がいる。

 そして物語は、ビルマ戦線からの復員者、道子の従弟(宮地の弟で自殺した東吾の先妻の子)の勉(24)が「はけ」に現れたところから幕を開けるのである。

 簡単に言うと、道子、勉、秋山、富子そして大野が織りなす恋愛・姦通の悲劇である。しかしそれが一筋縄ではいかない。これでもかこれでもかというほど作者は登場人物たちの心理・感情の微妙な動きを描写・分析していき、この自ら構築した世界に読者を誘い込んでいく。この登場人物たちの心理は何重にも否定され、再否定される。さまざまな可能性が提示されてはひとつのプロットとして作者によって選び取られるのである。

 そして最後に道子は武蔵野の自然・風景が象徴するモラルに殉じて真に武蔵野夫人になってしまうのだが、読者はこの作品の持つ陰影、微妙な襞、風景の描写をじっくり味わい、作者が提示したが選び取られなかった可能性についても考えさせられてしまうのである。その意味でこれは一種の恋愛シミュレーション小説なのかもしれない。

   
 

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