2010年02月13日
その続き
昨日のブログを書いてから、少し冷静に考えてみた。
できるだけ、ここでカウンセリングの仕事について書くことは控えてきた。しかし、2003年からDV被害者のグループカウンセリングを実施してきた経験から、やはり「とりあえず、今は」何が必要かを痛切に感じているからこそ、昨日のような少々舞い上がったブログになってしまったのだと思う。
私は必ずしもDV加害者を逮捕すればいいなどと単純に考えているわけではない。カナダのいくつかの都市における「制度化されたDV加害者更生プログラム」への参与観察経験をとおして、さらに日本のシェルターにおける二次被害に関する論文(女性学研究最新号参照)を読んでも、いわゆる先進国の制度が素晴らしいと無条件に賛美するつもりはない。
ただ、やっとの思いで自分はDVの被害者かも?と恐る恐るアイデンティファイした女性に対して、あまりに日本の社会は、マスコミも、微細な同性集団のおしゃべりも、親友と思っていた女性のアドバイスも、無理解でありすぎることに憤りを覚えるのだ。
そして、夫である男性はほぼ100%何も失うことはない。
社会的地位も、家も、外聞も、である。婚費や慰謝料にしたって、500万を超える例はまれである。それも分割払いときている。
確実に彼らが失うのは、妻という存在だけである。もっとも深く所有し(それは自分の身体の一部とすら思えるので所有の意識すら発生しない)ていた「妻」が、自分の意志に反して傍らからいなくなる。
おそらく内臓摘出に近い衝撃が、彼らを狂気にも近い怒りと恨みに駆り立てるのだ。
時に武器(猟銃、ナイフ、脇差)を持ち、違法行為も覚悟の彼らに対抗できるのは、今の社会では警察しかないだろう。このことが、彼らを逮捕することへの賛同につながる。
しかし、カナダ・オンタリオ州での博士論文の調査によれば、彼らもパートナーを殺害・傷害する直前まで、誰か、どこかでこんな自分の混乱・制御不能な怒りを聞いてほしいと考えているという。
例えばオーストラリアで実施されているメンズラインという男性専用の電話相談、コミュニティにおける相談窓口がこんなとき大きな役割を果たすだろう。
悲惨なDV殺人が朝日新聞というメディアで承認されたことは大きい。家庭内暴力としか書かれなかったこれまでとは一線を画する。このことが、右を向いても左を向いても、まったく理解されなかった多くのDV被害者たちにとって、少しでも味方を増やすことにつながるように祈る。
私のDV被害者グループにおける目的のひとつは、彼女たちが「自分で決められるようになること」である。それほど彼女たちにとって「自分で決めること」は困難だ。
このように述べると、それは信田が彼女たちをひっばることだろう、と批判されるかもしれないが、それでもいい。少なくとも、今の自分の状態を責められることなく、決められないままとりあえず生きていることが否定されないだけで、どれほど彼女たちは救われるだろう。
心身ともに疲弊しきった彼女たちが、自分で決められるようになるためには、それこそ溺れるほどの援助・もうたくさんといえるくらいの援助が必要だ。
その延長として、やはり宮城の事件は、12回も相談している女性が被害届を出していなくても、18歳の加害男性に対して警察がなんらかの対処ができたのではないかと思う。朝青竜の事件でも、被害男性が被害届を撤回したことが、朝青龍の暴力を起訴することに影響はないとされた。つまり傷害罪は親告罪ではないので、被害届は必要ないのだ。
想像だが、明日被害届を出すつもりだ、と女性が加害男性に告げたのではないだろうか。そのことで一気に行動が過激になった可能性もある。
このように、被害当事者が被害届を出すまでにはさまざまな迷いや恐れがある。そのための被害者支援の窓口がはたして機能していたのだろうか。
さらに、18歳の若くして父親になった男性に対して、彼の相談に乗れるような窓口があったのだろうか。
こう書いてくると、ほんとにないものづくしの現実だけが浮かび上がる。
それでも私たちは、DV被害者支援と加害者への対応を続けていくつもりだ。だからこそ、とりあえず、これ以上死者を出さないためにも、警察の介入を期待したい。