楠橋(香月)
 
 

 
 北九州市八幡西区の楠橋です。
 
 この区間を走るバスは、昨年の7月に廃止になりました。
 
 八幡とはいうものの、実質的には筑豊地区の入口にあたります。
 
 本来の八幡は枝光・尾倉・大蔵など、現在の八幡東区の部分のことをさす地名であり、よく考えてみると、八幡から大きく離れた楠橋地区が八幡であること自体が奇妙な話のように思えます。
 
 というのも、北九州市に5市合併される以前の旧八幡市は、製鐵所の発展とともに市勢の拡大や人口増大が著しく、旧来の八幡地区から西へ西へと町の吸収合併を繰り返してきました。
 
 大正15年に隣接する黒崎町を合併したのを皮切りに、昭和19年に折尾町と、西への勢力拡大を果たします。
 
 その後、それでも市勢の拡大は収まらず、黒崎の南側に拡がる産炭地域である、香月村・楠橋村へと住宅用地を求めて、八幡市の勢力範囲が押し寄せてきました。
 
 このような経緯があり、八幡とは場所も文化も全く違う楠橋地区が、八幡西区に属するゆえんとなっています。
 
 黒崎から、小嶺、香月、直方と南に下る、国道200号線がこの地域を貫通していますが、国道筋に付かず離れず、藩政時代の参勤交代路である長崎街道がこの楠橋地区も通過しています。
 
 楠橋の南の木屋瀬は、有名な宿場町でいまだに宿場町の風情を残しています。
 
 黒崎〜直方を結ぶ西鉄バスは、現在は国道経由の急行だけになったものの、つい10年ほど前までは、ほぼ長崎街道筋に並行した70番の路線が、黒崎〜直方を結んでいました。
 
 現在の70番は、街道筋を色濃く残る石坂などを経由しつつも、黒崎〜香月を結ぶように短縮されており、この楠橋は短縮以前に70番が直方に行っていた頃の停留所です。
 
 70番の香月〜直方間が廃止されてもなお、楠橋停留所が生き永らえ続けられたのは、黒崎〜馬場山〜香月を結ぶ幹線路線の53番馬場山線の数便がわざわざ遠回りして楠橋を経由していたからです。
 
 末期は日祝日の早朝に黒崎→香月の片道が一日一本のみ運行される形で、路線運行免許の維持が為されていましたが、去年7月の北九州地区の免許維持路線一掃の際に、ついに廃止になりました。
 
 写真後方の山は、金剛山であの山のあたりが、八幡西区と直方市の境界であり、北九州地区と筑豊地区の境界でもあります。
 
 山の下の方には、東海道山陽新幹線の高架橋が左右に走っていますが、この新幹線と九州自動車道が並行して遠賀川を渡る地点から、城のようなものが見えます。
 
 これは通称・楠橋城といいますが、この城の正体については、地元では絶対に触れてはならないとされています。様々な利権に絡んだ城です。
 
 私の職場には、楠橋出身の人が居て、その人の同級生がこの城に住んでいたそうですが、遊びに行った際に天井に張り巡らされた5円玉に度肝を抜いたそうです。(本当かどうかの信憑性は無いのですが)
 
 
 
 

by 南国旅情【吹上庵】 | 2010/01/08 21:21 | 沿線風景・北九州 | Trackback(0) | Comments(0)
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