12日に宇都宮地裁であった「足利事件」の再審第6回公判は、検察側が論告で無罪を求め、弁護側は最終弁論で「無罪判決は、有罪とする証拠はないという理由で下されなくてはならない」と主張し、結審した。
【論告要旨】
本件については、取り調べ済みの関係各証拠により、無罪の言い渡しがなされるべきことは明らかである。
【最終弁論要旨】
菅家さんが無実であることは検察官も認めている。真犯人が捕まっていないことから、菅家さんが犯人と言う人がいるが、それは誤りだ。無罪とされた人に対する偏見が続くことを菅家さんも懸念している。
足利事件は、これまでの冤罪(えんざい)と異なる。真犯人が現れていなくても、菅家さんの自白は完全に虚偽であり、菅家さんが無実であることは明白だ。
菅家さんの無実は「科警研のDNA鑑定」と「菅家さんの自白」が、いずれも真実でなかったことを意味する。いずれも証拠能力がなく証拠排除されるべきだった。無罪判決は有罪とする証拠はないという理由で下されなくてはならず、宇都宮地裁1審判決、東京高裁判決、最高裁決定、(再審請求を棄却した)宇都宮地裁決定は、根本的に誤ったものだったと認められるべきだ。
科警研鑑定は、正しい型判定ができなかった。最初に発見したのは当時、信州大教授だった福島弘文科警研所長のもとで助手を務めていた本田克也筑波大教授で、福島所長も認めた。
科警研鑑定書に添付された2枚の(DNA型を示す)電気泳動写真について、鈴木広一大阪医科大教授は「はっきりとは分からない」「なかなか判定しにくい」と証言し、本田教授は「泳動は完全な失敗。これでは判定不能」と証言した。
科警研が、菅家さんの血液と(被害女児の)半袖下着を同時に用いたDNA鑑定を行っていれば、半袖下着(に付いた犯人)のDNAは菅家さんの型とは明らかに異なると判定されたかもしれない。具体的な鑑定方法が科学的に信頼できなかったものになり、その意味でも証拠能力を否定しなければならない。
福島所長が「科警研鑑定は参考程度で出すべきだった」と証言したことを見逃すことはできない。科警研鑑定が警察官、検察官、弁護人、さらには裁判官に誤った証拠評価をさせたことを言外に認めている。
福島証言は(科警研鑑定の誤りを指摘した)本田鑑定に信用性がないことを強調した。(検察側が犯人の体液を鑑定したと認める)鈴木鑑定と本田鑑定は、DNAの六つの型すべてで鑑定結果が一致している。その(型が一致する)割合は、547人に1人または672人に1人であり、両鑑定が同一のDNAを対象に鑑定したことを合理的に推認させる。東京高裁の本件再審開始決定もそれを認めている。
福島所長は、本田鑑定の対象が(他人のDNAが混入した)混合資料であると証言したが、福島証言はそれが真実であることの立証は何らなされておらず、明らかに偽証だった。
近日中に福島所長を偽証で告発し、仮に検察官が不起訴とした場合は、起訴相当の議決を求めて検察審査会に申し立てる。福島所長の偽証は、検察官の助力あるいは黙認なしにはなし得ない。福島証言に依拠して本田鑑定は混合資料を対象とした可能性があると認定することは許されない。
検察官は、菅家さんの自白が任意になされたものであることの立証を全くしていない。菅家さんの自白は、公判廷の自白を含め、任意性に疑いがあるものとして、証拠排除されるべきものだ。菅家さんは、法廷でも自白した。公判廷での自白が自発的な供述でないということは困難だが、心理的に強制された状態にあったとすれば、その自発性は「強制された自発性」であり、任意性を肯定することはできない。
菅家さんが自白した経緯は、法廷で再生された取り調べテープにも、菅家さんの生の声で録音されていた。自白は、警察官による暴行、脅迫の結果であり、任意性がない。DNA鑑定を「決め手」であるかのように装って菅家さんに自白を迫った警察官の取り調べは、虚偽の自白を誘発する恐れが極めて強い違法な取り調べである。
森川(大司・元)検事も、警察官と同じくDNA鑑定の証拠価値を誤って菅家さんに伝え、菅家さんを錯誤に陥れて、自白させたものと言わざるを得ない。菅家さんの検察官に対する自白にも任意性はない。菅家さんは、威圧的な取り調べの影響を受けたまま公判廷に臨んでいただけでなく、公判の合間になされた森川検事による起訴後の取り調べの強い影響下にあったことが、取り調べテープによって明らかになった。森川検事の起訴後の取り調べがなかったとすれば、菅家さんが、第1回公判で無実を訴えたことも十分にあり得た。
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足利事件の悲劇は、特定の誰かによってではなく、関与したすべての者が、それぞれ、なにがしかの意味で、なすべきことをなさず、なすべきでないことをなしたために生み出された。
菅家さんには自分を守る力がなかった。強い人でも冤罪で苦しめてきたのが私たちの刑事司法だ。どんなに弱くても、無実の人を犯人に仕立て上げてはならない。そのような過ちを犯す司法は、どこかに根本的な欠陥を持っている。無罪判決が、わが国の刑事司法の未来に光を投ずるものであることを望んでやまない。
毎日新聞 2010年2月13日 東京朝刊