栃木県足利市で90年、4歳女児が殺害された足利事件の再審公判で1月21、22の両日、菅家(すがや)利和さん(63)の取り調べを録音したテープが再生された。自分が取調官だったら無実を見抜けただろうか。宇都宮地裁の法廷で、8時間にわたる検事と菅家さんのやり取りを聞きながら考えた。確かにDNA鑑定という菅家さんを犯人視してしまう大きな要素があった。それでも、菅家さんの告白にもう少し耳を傾け、自白に疑問を持つことは可能だったと思う。
菅家さんは、91年12月に警察に任意同行され13時間後に「自白」。1審公判中の92年12月、別事件の検事の取り調べで否認に転じた。この場面がテープに収められている。
菅家さんは震える声で打ち明ける。刑事にやっていないと言っても認めてもらえず、殴られるのではと怖くなったこと。裁判でも話すよう言われたこと。その声からは、真実を言えた安堵(あんど)感が伝わってきた。しかし検事は、なぜ現場の状況を詳細に説明できたのか追及する。口調は穏やかで、何度も真意を確認し、「想像しないで」とくぎを刺す場面もあった。それでも菅家さんは再び自白してしまう。
裁判員制度が始まり、国民が殺人事件などの審理に参加している。誰もが最も恐れるのは「誤判」だ。これまでプロの裁判官たちが少なくない「誤判」を犯してきた。私たちは、無実であっても、うその自白をすることがあると肝に銘じる必要がある。
自白の心理に詳しい浜田寿美男・奈良女子大教授(法心理学)はテープ再生を受けた集会で講演し「無実と何度言っても聞いてもらえないと、多くの人は絶望感や無力感から犯人を演じなければという心境になる」と説明した。
浜田教授は、同様に取り調べ録音テープが残っていた山口市の一家6人殺害事件「仁保(にほ)事件」(1954年)を分析。罪に問われた男性は取り調べで否認と自白を繰り返した。浜田教授は著書で、その理由を語るテープの一場面を紹介している。「刑事さんの期待にどう沿おうか苦労し役者みたいなこともやった」
男性は1、2審で死刑判決を受けたが、最高裁が自白を疑問視して差し戻し、高裁で逆転無罪判決を受け、その後確定した。浜田教授は「死刑も予想されるのにうその自白をするのは、刑罰につながる現実感がないから」と語る。
テープを聞くと、菅家さんも起訴前の取り調べで説明した「犯行状況」について「適当に話してみた」と推測だったことを検事に打ち明けている。「適当にしては詳しい」と指摘されると「そうしないとあやふやになると思った」と心境を説明していた。
私は、菅家さんの他人に迎合しやすい性格が、うその自白の大きな理由と考えていた。しかし、免田事件など過去に再審無罪となった冤罪(えんざい)事件のほとんどに、うその自白が存在している。浜田教授の説明を聞き、改めて「自白」の危うさを痛感した。
法廷でテープが再生された後、高崎秀雄・宇都宮地検次席検事は「真実に反する自白を見抜けなかったのは我々の問題。ああいう自白をしたのは菅家さんの問題」と述べた。私は違和感を感じた。DNA鑑定による思い込みで、うその供述を引き出したのは、まさに捜査機関なのだ。
捜査関係者にも「うその自白と見抜けたのでは」と考える人はいる。菅家さんの「自白」には、事件までの心の動きや女児とのやり取りは一切ない。捜査経験が長い、ある検事は「DNA鑑定の一致があっても、犯人にしか言えない迫真性のある供述を引き出して初めて、心証を固められる。足利事件の調べは誘導を感じた」と語る。捜査機関は思い込みや誘導がないか常に確認しなければならない。
仁保事件の男性は72年に無罪が確定した。18年後に起きた足利事件の捜査で、その教訓は生かされなかった。最近でも強姦(ごうかん)事件で冤罪が判明した富山県の氷見(ひみ)事件の例がある。
民主党政権になり、取り調べの全面的な録音・録画(可視化)が現実味を帯びてきた。私は可視化に賛成だ。公判で、自白が本人の意思か、内容が本当かの水掛け論を防ぐには、取り調べのやりとりをすべて公開するのが近道だ。だが、捜査機関が思い込みを排除し、自白の持つ危うさを社会が共有しない限り、可視化されても冤罪がなくなるとは言えないだろう。
裁判員制度は2年目に入り、今後は被告が本格的に無罪主張する事件も出てくる。もし冤罪が繰り返されれば、国民の司法参加は頓挫し、司法への信頼自体が崩れる危険性がある。足利事件の捜査を検証している最高検は3月の再審判決後、結果を公表する予定だ。自白の危うさを示すテープとともに貴重な教訓として、捜査機関、裁判官、そして裁判員になるかもしれない国民全員が謙虚に受け止め、今後に生かすべきだ。(東京社会部)
毎日新聞 2010年2月12日 0時01分