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韓国の日本式家屋を観光資源に 日本人らが補修協力(1/2ページ)

2010年2月12日

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写真韓国・浦項市に残る旧植民地時代の日本式木造家屋=森本さん提供

 韓国南東部の浦項(ポハン)市で、戦前に建てられた日本式木造家屋の保存、復元に、日本人の大学教授や建築関係者ら約15人が協力することになった。3月に浦項市長から委嘱を受け、補修や観光資源化に向けた助言をする予定だ。韓国文化財庁は「日本の民間人が保存に協力するのは聞いたことがない」という。

 日本人側の中心は、大阪市内で韓国語学校を経営する森本紀正さん(64)。受講生を連れての研修旅行でたびたび現地を訪れ、日本家屋群を見学してきた。森本さんによると、戦後に住んだ人たちが補修を重ね、原色のペンキが塗られたり洋風の装飾が施されたりするなど、日本の様式とかけ離れた外観や内装の建物が多くなっているという。

 昨年夏、現地の人たちとの交流会などを通じて知り合った浦項市幹部から、家屋を観光資源化したいと相談を受けた。「日本人が違和感を持つ建物を残しても意味がない。専門家が補修、保存をバックアップする必要がある」と、日本で仲間を集めた。

 メンバーの1人で、アジアの近代木造家屋が専門の東樋口護・鳥取環境大学副学長は「植民地支配をめぐる感情は複雑だが、それにとらわれずに建物自体や住民同士の交流の歴史を客観的に評価していきたい。うまくいけば京都の町屋のように、建物の保存、復元を通じて住民の意識が変わる可能性もある」と語る。

 浦項市によると、海岸に近い九龍浦(クリョンポ)地区には、1900年代から香川県や岡山県の漁師が移り住み、サバやイワシ、サワラなどの好漁場を支える街としてにぎわった。今も四十数軒の木造家屋が残り、一部は人が住んでいる。

 2009年に資料館として1軒の日本家屋を復元、公開したところ、日本人を中心に約5千人が訪れた。同市は日本人向けの観光資源として、18年までに337億ウォン(約26億6千万円)を家屋の補修や周辺道路、案内板の整備などにあて、本格的な観光客誘致に乗り出す計画だ。

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