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2010-02-12

「ちうっせーよ」を何度も何度も繰り返し再生することで何か刷り込まれてしまった諸君ご苦労。

犬も猫もオウム信者もだいたいそうやってなんか覚える。

がんばれば諸君もいつか晴れの舞台にそういう態度で臨めるようになる。

というかすでにインターベッチョという公衆の面前以外特に何もないとこで、たいして変わらない話芸を披露しているじゃないか。

えっちらおっちら覚えたDQNというベッチョ語を連呼すればいいじゃないか。

誰も最初からキミたちに紳士たれと望んじゃいない。たぶん一生望まれる機会もない。

大丈夫、メダル獲得だって望まれることはない。

いつだって携帯電話のカメラを自分で自分に向けてピースだ。

いずれ脱価値化される彼と、最初から価値を与えられなかったキミたち。

行き着く先はおそらく同じだ。

反芻して"実力主義"のところで吹き出し中。

ライター(とかジャーナリスト)てやっぱり御目出度いよなぁ。

実力主義でのし上がったとか思いたいんだったら、せめて2桁違ってて欲しいよね。

だから

ほんっと"たかが"の仕事でご満悦なのかご不満なのかわかんねーよそれ。

いやほんと、"たかが"な報酬で雇われてるってそれほんっとに実力主義か?

めんどくさい前準備もしたんでしょ?それで報酬が"たかが"なんでしょ?

ひょっとしたら

津田くんが一般ネットユーザを騙してるんじゃなくて、津田くんが業界から騙されてるだけな気がしてきた。

ただ、"おだてられる"のが報酬に含まれてるんだったら別。まぁ"おだて"で腹は膨らまないけど。

結局あぁいったものを見ていると、神田なんとかさんのTwitterセミナーのお題目である

顧客と向き合えない企業は滅びる

みたいなのってどうなるんだろ?

いや、顧客が企業じゃなくて「ただ詳しいだけのおっさん」のほうを向いてコメントを求めてるわけじゃん?

意地でも横から割って入ってきたりもするじゃん?詳しいだけのおっさんが。

ったらもぅいつまで経っても始めらんないじゃん、企業がtwitterを。顧客のほう向けないんだから。

まぁなんか一度でもただ詳しいだけのおっさんがやらかしてそっぽ向かれれば話は別だけど。ただおっさんもマジやからね。

"顧客と企業"という構図ではなく、"ただ詳しいだけのおっさんと企業"という構図しか見えないんじゃないだろうか?と。

まぁそれはただ詳しいだけのおっさんの稼ぎどころでもあるんだろうけどさ。そーゆー企業相手にセミナー開く詳しいだけのおっさんとか。

ただ、それしかないことが分かると企業としては丸損であるといえるな。きっと企業としても望んでない姿だろう。

ったら、そこまでして「ネットの世界の一員」を目指す必要があるのかどうか?

やや謎ですね。

ネット世界の一員のはずなのに、常に詳しいだけのおっさんの肩越しにしか世界を見せてもらえないっていうのは。

http://search.mobile.yahoo.co.jp /pcsite/list?p=妹は乳がデカすぎて&b=3&trans=1

ちがいます、"妹が乳がデカすぎて。"です。ちなみにこの作品はドグマから2004年5月にリリースされた、主演:春菜まい、監督:二村ヒt…


ったらすっげぇうぜぇでしょ?ハンパなく。おまえが撮ったわけでもないのに。おまえあのゴルフコーチのシーンでヌいただけやろがと。

もーほんっとインターベッチョでそーゆーのはヤメましょうやいい加減。

とにかくおもしろい。もっとちゃんと見ていくべきだった。

いや、なんかさ。それを酒の席なんかで言って

「津田くんそれは違うdうおjbgf」

みたいに立ち上がった人を

「まぁまぁ…」

って諌める人がいるんだろうなぁって。

津田くんが「ココよ、コーコ(パンパンと二の腕を叩く)」って言えるように編集さんや他のライターさんが気使ってんだろなぁって。

実際、"だれが「音楽」を殺すのか?"っていうタイトルは編集さんがつけたって津田くん言ってた。

周りの仕事仲間に支えられながらのジャーナリスト(笑)稼業で実力伯仲。

逆にさ?

湯川くんいじゃん?そう鶴ちゃん。鶴ちゃんはtwitter上でも「あざーす」を連呼。感謝の心を忘れない。

まぁ報恩感謝とかいうのは津田くんが嫌いそうな「いかにも日本人然としたあり方」なのかもしれませんが。

しかし

実力主義だというのなら、かなりの部分をボランティアや他人の金頼りにしているMIAUというのは…。

言ってる間に

結局彼らが変わるのを待つんじゃなくて他のプラットフォームで勝手にエコシステム構築するしかないんだろうなぁとは思う。

構築するのはあんたじゃないだろ?と。やっぱここなんですな、津田大介に限らずベッチョキチガイの醍醐味ってやつは。

MIAUだって決してシステムを構築してるわけじゃない。既存のシステムは古くて融通が利かないと非難しているだけ。

そんな分際で「するしかない」と。誰が?いや俺じゃないけどっていう。

で、その地上波ラジオ各局がネット使って同時にオンエアという件について津田くんにコメントを求めている人がいるんだが。

別に津田くんが放送するわけじゃないんですよ?そこをお間違いなく。

いや、よくそこで「じゃ俺が答えるよ」みたいになるなぁと。

もちろん"調べてきた"ってのはあるんだろうけど、おまえのもんちゃうやんとしか。

ここなんですわ、おれがネットを見てていつも不思議に思うのは。

マンガでもゲームでもアニメでも声優でもwebサービスでも下北沢でもスープカレーでもエレキギターでもなんでもそう。

まるで自分のものであるかのように語る。

そりゃ好きなもの、興味があるものなら必然的に「詳しくなる」ってのはあろうけど、だからといって

「構築するしかない」

ってしないくせできないくせに言うのってどうだろう?

いや、商品そのものの所有権は各々にありますよ。でも開発経緯とか計画性、発展性ってのはあんたのもんとちゃうやん。

でもなじかは知らねどそこまでコミットできてる風に言うよね。

ほんっと不思議。

http://ezsch.ezweb.ne.jp /search/?query=逆援助交際は偽物

ほんっと夢がない。そうやってサンタさんも信じなかったんだろ?

でも、その通りだ。

かような談義もあるようだ。

「金髪という時点でリア充」ならリア充に憧れる人は金髪にすればいいというソリューション!

たとえば黒い髪は先天的な刻印であり

それをいろいろな色に染める自由がある

(中略)

一方で指摘されることは、たとえば、有色人種が白人の真似をする自由を行使するだけであり、

白人は有色人種になる自由を行使しないことである。

感慨深いなぁ。

何かキメてみせたところで精神科・心療内科医のメタ視点ですでに語りつくされているものであるというのが。

「!」まで使ってテンション上がりきってる辺りに、言いようの無い虚しさを覚える。

たぶんこれがそのソーシャル・メディアとかいうものの限界なのではなかろうか。

しかしほんと

"津田大介に見る「ネットと自己愛」"というテーマで追うとほんっと感慨深いっすよ。

感慨深いっていうか何かひとつの筋書きに向かってわき目もふらず一心に突き進んでるような突き進まされてるようなといった感じで。

なんかわざと癌を発症させたり麻痺させたマウスでの実験みたいな。

さらに

一方で指摘されることは、たとえば、有色人種が白人の真似をする自由を行使するだけであり、

白人は有色人種になる自由を行使しないことである。

これを見たあとで

wikipedia:津田大介

ストリートビュー否定するときには典型的な『日本人的な感覚』を理由にしてる感じがするんだよね

虚しかろ?ちん毛真っ黒のくせに。

この問題こそ左右共同で批判せんとやばい。

どこで?

「インターネットで。」

あぁ、そう。

メディア・ジャーナリストの津田大介氏は、ネットで音楽を売りたいと考えるのなら自らが"ネットの世界の一員"として活動していくことが重要だと語る。

を見て

ゆがんだ世界を一応世界と見なして、生きている。

を見ると感慨深いっすね。

2010年版だしさ。今年いっぱいの命。「一応みなす」くらいじゃないとね。ほんっと軽いなぁとは思うけど重厚さは求めらんないよ、あの金髪に。

その限定の中でなら誰もが平等で全能だからだ

人間が現実でできること以上のことを経験させてくれる。

http://shinagawa-lunch.blog.so-net.ne.jp/2008-11-19-23

まぁそうだよなぁ。議論の場に出ずして代替案を提示するなんて、現実じゃできませんからね。

現実じゃできないからいつまで経っても現実にコミットできねぇんだけど。

でも所詮仮想だから仮想上で成し遂げちゃえば大満足だという。

いざ現実の方へ這い出そうとしても仮想の歩幅でスキップ踏んじゃって

「あれまぁなんて"現実感のない理論上可能なだけのお話"なの!」

にしかならない。己の股下わきまえてスキップ踏めよという。

でもあれだよね、現実に這い出すときにさすがに考えるらしい。

例のRBBのインチキセミナー、あれのタイトルが

「失敗しないtwitter活用なんとかかんとか」

だった。

「成功は保証できない」という。

で、冷静に考えりゃ分かるんだけど、ミニブログごときで失敗もクソもねぇんですよ。

そう考えるとどんだけインチキかというのが。

挙句

「全部やってみるべきです」

…どうだろう?それ。

http://www.google.co.jp /search?hl=ja&lr=&q=ムスタング ”ダウンチューニング”&start=30&sa=N

何が?あぁ"理論上は可能"だと思うんで、やりゃいいじゃないですか、勝手に。いちいち赤の他人様のブログ等読んでおうかがい立てずとも。

別におれがムスタング作ってるわけでもないし、お前のギターの面倒まで見てやれようはずもなく。

おれはただ自分で購入して自分で弾いてるだけですもん、おまえにムスタングの何ぞやを教えるために手に入れたわけじゃねぇもの。

世の中にはなんか手に入れたらその何ぞやを教えたがる気の触れた一消費者風情が転がってたり、挙句銭とってセミナー開いたりしてるらしいけどね。

つぶしが利くぜー。

ネットを通じた新しい形のコミュニケーションに興味があるなら、そのソーシャル・メディアの一員となるべき。ネット上でほかのユーザーとも会話して、今話題になっていることへのレスポンスも出すということも重要だと思いますね。

結局音楽だろうがなんだろうがのビジネスでも、またどこの政党だろうが自治体だろうが何相手でもこれ言うときゃいいんだから。

で、早い話が

「"なう"つっときゃいいんだよ」

でおわり。

且つ、ブログ黎明期まであった分散型の概念からSNSやミニブログ等の中央集権型に移行すると人目につきやすいですよというお話。

twitterの場合は実際探されにくさがあるから、今話題のネタに食いつくことでフォロワーが開拓できますよと。

まぁITジャーナリストっていう、仕事(原稿書き)と趣味(ベッチョ遊び)がシームレスな人はそれでいいのかもしれないけどね。

音楽家だとDAWメインな人とかね。

自宅マンション以外のスタジオで2インチテープがメインな人だとそうはいかねぇよなぁ…って思ったんだけど、誰でもシームレスにネットまで連れてってくれるのが、あれだモバイルだ。

でもモバイルをぶら下げてると

こうなる。さもなきゃ

こっちだ。

その限定の中でなら誰もが平等で全能だからだ

人間が現実でできること以上のことを経験させてくれる。

ベッチョじゃ確かにそうなんだろう、「おれたち平等だよね、みんな同じだよね」という気分に浸る。

その気分のまま「知り合いの知り合いなんだから、おれたち平等だね」気取りで小菅の留置所に赴き

「岡村くん、おれ会いにきたよ」

つって

「帰れ」

になる。で、

「ネットなら…ネットならこんなこと言われないのに…くっそう」

とかなっちゃうという。

ほんでもって

「誰もが平等」という前提があるようで、その実「古参が幅利かす」というのがインターベッチョにはありましてな。

だから今こうやって音楽的才能ゼロ、ヨメはんが風呂場で奇声を発してるのを曲だと言い張る津田大介風情でも

「なんだおまえ、何見てんだよ。興味あんのか?ん?そうかしょうがねぇなぁ…じゃちょっと教えてやっか。」

てな態度に出ることができるってわけさ。これは鳩山と飯食ってる時にtwitterいじりをはじめたあいつも同じ。

ただ、真に平等であるなら津田大介の言うことを聞くという立場になる必要は全く無いんだけどね。

この場合はほら「全能感」のほうが勝ってるから。

他人様が数度の苦節の末立ち上げてようやく軌道に乗せたTwitterというベッチョサービスを、さもてめぇが作っててめぇが運営してるかのごとく勘違いするという全能感。

虎の威を借りまくって融資限度額いっぱいいっぱい状態で日銭を稼ぐ津田大介。

次にどこかがサービスを当てれば、そこに飛び移って

「時代は今これ、これっすよ」

と。

だから今の段階では次の時代を言い切れない。

もっともベストな方法を人から金とって教えられるほど知ってるはずなのにね。

やるべきことをすべて知ってるはずなのにね。