社会適応への道のり(その2)
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(前回からの続きです。)
10年ほど前から、テレビのドラマを見て、大して悲しくもないシーンでも泣くようになってしまったのです。
「なぜなんだろう?」と不思議に思っていました。
ある日、ふと気がつきました。
ドラマを見ていて、主人公が少し苦しむ場面になったとき、私は、一生懸命に、それまでの話の内容を思い返し、
「ああ、こんなことがあって、こんなこともあって、これらを総合して考えると…えーっと、コレが自分におこったことだったら…(画像で想像中)…ああ、そうか、ものすごく悲しいな。そりゃ、辛いだろう、苦しいだろう…ああ、かわいそうに…(号泣)」
一生懸命に"共感して泣こう"と努力していたのです。
ドラマを見ている間中、ずっと、そのことにばかり注意が向いていました。
だから、主人公に共感して泣いたはずなのに、ドラマを見終わると、話の筋をほとんど覚えていなかったのです。
それは、"共感して泣くこと"にしか注意が向きすぎて、ドラマそのものをまったく楽しんでいなかったからでした。
高校野球でさえも、試合の勝敗が決まると、負けたほうのチームの球児の気持ちを考えて、涙してしまうのです。
「ああ、この子達は、きっと、休みも遊びも返上して、野球だけに打ち込んできたのだろうな。監督に厳しく怒られたり、厳しい練習でへとへとになったりして、がんばってきたのに、ここで負けてしまった。ああ、これが自分だったら…(過去の似た体験をたくさん掘り起こす)…ああ、悲しいよね…(号泣)」
そのことに気がついたのはアスペルガー症候群の診断を受けた後でした。
こんなに努力を重ねていたのに、定型の人の気持ちを理解することができない自分に気がついて、なんともやりきれない気持ちで泣きました。
いったい、この数十年の努力はなんだったのか…
いつか、"わかる"日が来ると思って、
一生懸命に努力していた自分の姿を思うと、
あまりにも惨めで、涙がとまりませんでした。
普通の人とは脳の機能が違う。
"わかる日"は永遠に来ないのに…
---
けれど、なぜ、そうまでして、私は"共感して泣く"ことに固執していたのでしょうか。
これは、子供の頃から、母に
「どうして、そんなに自分勝手なの!相手の身になって相手の気持ちを考えなさい!」
と怒られ続けたことにあるのです。
「相手の身になって考える」練習を続ければ、「いつか人の気持ちがわかる人になれる」と信じていたのです。
だから、一生懸命に、「相手の気持ちになる」練習を積んできました。
けれど、いつまでたっても"自然に相手の気持ちがわかる"様には、なれませんでした。
常に、意識して、"今から相手の気持ちになって考えるぞ!"と思って、想像力を駆使しなければならないのです。
それでも、"反応速度"を早めることで、
外見的には、あたかも
"相手の気持ちがわかっている"かのように見えるまでになりました。
けれど、これには、
想像を絶するような精神の消耗が伴いました。
なぜなら、
・顔の表情の制御
・声の大きさ、速度
・適切な言葉の選び方
・相手の表情筋の動きの観察から相手の状況の推測
だけでも、神経がすり減るのに
・相手の立場や背景まで想像をめぐらして
・相手の気持ちになって、問題解決を考える
という事までしていたからです。
ですから、お客さんとの打ち合わせがあった日は、テンションがあがりきってしまって、家に帰っても異常な興奮が収まらず、眠れないことなど日常茶飯事でした。
いったい、何が、
私をここまで動かしていたのでしょうか。
(次回に続きます。)
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