無条件に「自分が悪い」と感じてしまう
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今日は、無条件に「自分が悪い」と考えてしまう心のクセについて考えます。
中学の頃、仲の良かった友達がいました。
中学生の女子といえば、
お弁当も一緒、トイレも一緒、帰りも一緒
なんでも一緒に行動するのが友達
…という風習?があります。
その友達の誘いや提案を断ると、かならず
「しーたはわがまま!
こういうときは、付き合うモンや!」
と言うのです。
私は、そう言われると
「そうなんかぁ。自分が嫌なことを断るのはわがままなんやー」
と思って、イヤイヤ付き合うことが多くありました。
ある日、その友達がいないときに、別の友達が
「あの子、ものすごいわがままやろ。
よう、しーた付き合ってるなぁ。」
と言われてびっくりしたのです。
「相手が自分よりもわがまま」だと考えたことがなかったのです。
なぜか、自分は世界で一番(?)わがままだと思っていたのです。
確かに、その友達に「わがまま」だと言われて、理不尽な気持ちにはなりましたが、"そう考えること自体が、わがままと評価されることなのだ"と言う点については、何の反論もなく認めていたのです。
ちょっと、わかりにくいですね…
具体例を挙げましょう。
友
「トイレに行きたいからついてきて」
私
「別にと行きたくないから、行ってきたら」
友
「こういう場合、友達やったらついてくるのが
当たり前やで!しーたはわがままやわ!」
私
「…」
この「…」の時の私の気持ちは、↓こんな感じです。
(1)トイレに行きたくないのに、なぜついていく必要があるのだろう。意味がわからない。理不尽だ。
(※ちなみに、私の中学は治安(?)がよく、トイレに不良が集まっていることもなく安全でした。)
(2)意味はわからないけれど、こういう場合は、"自分の気持ちとは無関係に"、ついていくのが当たり前の行動らしい。
(3)つまり、「トイレに行きたくない」と自分の気持ちを表現することは"わがまま"なことなのだ。
(4)確かに、私は子供の頃からわがままだと言われてきた。だから、私を"わがまま"だという友達のほうが正しいに違いない。
(5)あぁ、どうして、思ったことを言っただけなのに、"わがまま"になるんだろう…
(6)そうか。自分の思ったことを言ってはいけないに違いない。"自分の意見を言う"ということ自体が"わがまま"なんだ…(←自分の気持ち確定&脳にインプット)
(7)私の悪い面をきちんと指摘してくれるのだから、
この友達は、とてもよい友達だ。
むしろ、この友達を"よい友達"だと感じてしまっていました。
今、冷静に考えると、彼女はかなり言いたいことをずばずば言う性格で、わがままな面がありました。
「私のわがまま」、というより、「彼女のわがままを私が断っただけ」…という場面も多くあったように思います。
とはいっても、この友達の場合は裏表のない子だったので、だまされたり、意地悪されたりということはありませんでしたので、とても良い友達だったと思います。
しかし、このエピソードが示すように…
私は、他人から「あなたが悪い!」といわれると、
無条件に「自分が悪いのだ」と、
思いこんでしまうのです。
しかも、
指摘した人を"良い人"だと感じてしまうのです。
この友達は悪意がなかったのでよかったのですが、大学では、悪意を持って「指摘したもの勝ち」と言わんばかりに攻撃されて、私をコントロールしようとする人にも出会いました。
そのことに気づかずに、指摘されたことは、自分が全て悪いのだと思いこんで、ウツ病になり、大学院をドロップアウトしてしまいました。
今考えると、どう考えても
「相手のほうが悪かったんじゃないの?」
と思えるのですが…
指摘の内容自体が理不尽だとか、矛盾しているということがわかっていても、
「相手から私が悪いと指摘された」という事実のほうを絶対的に優先してしまうのです。
他人のほうが、自分が考えていることよりも正しい。そんな根強い気持ちがあるのです。
もちろん、第三者の意見が当事者よりも冷静だということは、一般的に言われることです。
しかし、コレは、第三者の意見が常に100%正しいという事ではないはずです。
普通の人は、他人からの意見を聞いて、それが本当に正しいかどうかを判断しようとします。
理不尽なものであれば、無視するでしょう。
納得できるものであれば、受け入れるでしょう。
社会的な圧力で理不尽でも受け入れざるを得ないこともあるでしょう。
けれど、普通の人は100%無条件に
「他人の指摘=ただしいこと」
「自分の考え=まちがったこと」
と考えてしまうことはないのです。
しかし、私の場合は、なぜか100%無条件に受け入れてしまうのです。
「理不尽!納得できない!おかしい!」と思っても、
"他人の指摘を拒否する気持ちは優先してはいけない"
ものと考えてしまうのです。
さて、こんな考え方のために、大学院での挫折してしままったわけですが、その後、うつ病になってしまった原因について考えました。
その中で、
「自分が無条件に自分が悪いと思いこんでいる」
ことに気がつきました。
それ以来、できるだけ、私が悪いと指摘されたことについて、全ての先入観・感情的なからみを除いて、問題の根本原因にまで考えを深めて、問題を分析するようにしました。
これによって、
人がいかに"その場の感情"や"自分の立場を守るため"や"物事の表面しか見ず"に人を非難しているのか
がわかるようになりました。
とはいっても、無意識の領域に深く根付いている
「デフォルト=自分が悪い」
は、消すことができません。
そのため、今でも、
疲れていたり、気を緩めていたりすると、
つい「自分が悪い」と考えてしまうのです。
けれど、昔と違うのは、
「いや、まてよ。違うのでは?」
とストップをかけられるようになったことで、
無用な罪悪感に苛まされることが、大きく減りました。
そして、立ち止まったときに、正しい価値判断をできるように、お手本となる人を探しました。
それまで、私は相手の指摘が全てにおいて優先されていたので、自分の判断基準がなかったのです。
ですから、自分が納得できる判断をする人を、参考にして、"自分の判断基準"を作るようにしたのです。
そうして、今のように、何事も分析して考えることができる能力を身につけました。
みなさんは、
無条件に「自分が悪い」と思いこんでしまうクセはありませんか?
いままで、「自分が悪い」と思って、罪悪感に悩まされてきたことの大半は、実は「ただの濡れ衣」だったのかもしれないのです。
まず、そのことに気づきましょう。
しかし、なぜ、
無条件に「自分が悪い」と考えるクセがついていたのでしょうか。
それには、生育過程が大きく関わっていると、私は感じています。
このことについては、次回にお話したいと思います。
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