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二次元裏@ふたば
死について真剣に考える死ぬと解っていて何故人は生きるんか?死んだらどうなるのか?そして11年連続年間三万人合計33万人以上が自殺している。そろそろ一人一人が真剣に自殺問題について考えなくてはならない
生まれ変わったら男の娘になりたい
自殺はマジギャンブル死んで最高になれるか最低になるか誰にもわからない自殺はギャンブルだ
死について考えるのと自殺について考えるのは全然別の話。
郷里大輔さんのことを思い出してしまった
そろそろってのが解らない。いつの時代だって死は平等に存在する。人間の欲求は全て死からの恐怖を和らげる為に存在している。てゆうかオレ死にたい。
>郷里大輔俺は加藤和彦だ
>自殺はマジギャンブル生きるのもギャンブルだぜ
生まれる前に戻るだけさ子供の頃を思い出せその数年前に戻るんだ
女のおっぱい揉むまで死ねぬ転じて俺は不死と言える
>>No.3890666その生き方むしろ漢だ!
とりあえず死の定義があいまいだよ医者が脈はかってご臨終ですと言ったってその人の細胞はほぼまだ生きてるぞ腐り始めたって半分以上の細胞は生きていたとされている時と同じように分裂して動いている
人の意識が生だと定義すると夢を見ない睡眠(レム睡眠以外)は死だ
>>No.3890671それ何の定説?
精霊界では快感が50倍以上に膨らみ欲情するhttp://www.tamba.ne.jp/ma-56.htmうむ早く死にたいという気持ちは理解できるかもしれない
人はある程度みんな死への衝動あるもんなんじゃない?
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
漢字を「描」けないってとこが笑うとこ?
小野田さんが言ってたな子供は死に纏わる物を本能的に嫌がる僕は子供のまんまだ
骸骨が人間の死体だとは分かってないのに本能的に怖がるよね面白い
死んでから考えても遅くないよ、いずれは死ねるからそれよりも生きてるうちにやる事無いの?
>それよりも生きてるうちにやる事無いの?とりあえずオナニー、かな。
>死について真剣に考える考えたくないから、考えない!
疲れたな
焦らなくてもいずれ死ぬからね、死は誰でも例外無く訪れる。人の寿命はけっこう短いぞ、死んだ人間に同情する時間も、死について考える時間も無駄だから、それよりも、生きてるうちにやる事やっとけ、個人的な本音を言うと俺は、死後の世界なんて要らない、死んだら、良い夢観ながら安らかに永眠したい。
>人の寿命はけっこう短いぞ「メメント・モリ」って言葉は、生きるための言葉だからね
若いんだろうな、うらやましいな。
昨日の自分は、明日の自分は本当に自分なのか?もとより、この体のどこまでが自分でどこまでが生きているといえるの?って思うときがあって、生きていようと死んでいようと大差無いと思えるでも積極的に死ぬのも面倒
眠りから覚めた時は時間の経過を感じるが事故や麻酔から目覚めたときはまばたきした瞬間に数時間経過した感じ。死ってこういうものかもしれない。全くの無
>女のおっぱい揉むまで死ねぬ風俗行ってこいこれで心置きなく…
ヒトは死を自覚しているから、生から能動的に逃げられる(他の動物がどうとかは知らない)この点だけは面白いと思う
自殺センター開設臓器利用前提で安楽死、センター自殺は自殺数にカウントしない子供以外の臓器不足も解決できて一石二鳥
>それよりも、生きてるうちにやる事やっとけ、必ず死ぬという前提があるのに、生きている間にやる価値のある事って、一体なにがあるだろうか
苦しみの生をくぐり抜けてきたものにとって死は救済である漫然と生きたものにとっては奈落である
>昨日の自分は、明日の自分は本当に自分なのか?>もとより、この体のどこまでが自分でどこまでが生きているといえるの?>って思うときがあって、生きていようと死んでいようと大差無いと思えるあなたの気づいたことは、俺のスパゲッティー哲学そのものだデート時にパスタ屋行ったときに閃いた目の前のパスタは「俺」ではないが、三日後には紛れもなく「俺」の一部になっているならば「俺」とパスタの違いなど本当はないのではないかあらゆる「差異」は、それを認める認識能力が自分に備わっているから「違い」として認識されるのであって生も死も本当は大自然の流れの一部であり、違いなどないのではないか…こんなこと語ってっからフラれちまった『荘子』とナウシカ(漫画のほう)も元ネタ
>苦しみの生をくぐり抜けてきたものにとって死は救済である>漫然と生きたものにとっては奈落である人生に満足し幸福に生きてきた者にとっては?
人は生まれた瞬間からゆっくり死にはじめている死は突然やってこない!ものすごくゆっくりはじまっているのだ
資本社会の色眼鏡をかけているちは何も見えない。生とは育むもの、自然と調和し環境を整えること。人間にはその知性が与えられている。死とは意識が無に帰るもの。 死体は他の生物のエネルギーになるのが望ましい。
>ヒトは死を自覚しているから、生から能動的に逃げられる(他の動物がどうとかは知らない)人間と動物の決定的違いはそこだと思うね動物は目の前に迫った危機に自分の死を感じ取ることはできるが、人間は危機に面してもないのに「いつか自分が死ぬ」と知ってるから未来に対する不安を拭いきれない
>人生に満足し幸福に生きてきた者にとっては?苦闘の末に得られた幸せならば、その果ての死はやはり救済であるといっても、遊びつかれた子供が眠るのを嫌がるのと同じように、彼は死ぬのを嫌がるだろうけどあらかじめ準備された幸せに漫然と乗っかっているだけなら、やはり死は奈落だ
>苦闘の末に得られた幸せならば、その果ての死はやはり救済である>といっても、遊びつかれた子供が眠るのを嫌がるのと同じように、彼は死ぬのを嫌がるだろうけど>あらかじめ準備された幸せに漫然と乗っかっているだけなら、やはり死は奈落だうnただ、幸せの対価が生の苦闘ってのは安直では?「あらかじめ用意された」というなら死も生も与えられるものではないんじゃないかな
>人生に満足し幸福に生きてきた者にとっては?わからないのか人生の勝ち逃げだ
妻に「君と一緒に生きる事が出来て幸せでした」「いままで美味しいご飯、ご馳走様でした」と言って死にたい
>人生の勝ち逃げだ気に入った!
いいか君達は何億もの微生物と共に生きているんぬ
>「あらかじめ用意された」というなら>死も生も与えられるものではないんじゃないかな生まれてきたこと自体に満足したまま一生を終えることができれば、それが一番理想的かもしれない
>生まれてきたこと自体に満足したまま一生を終えることができれば、それが一番理想的かもしれない自分の椅子を狙ってる人間がいないのなら別にそれでもいいけどな
>必ず死ぬという前提があるのに、生きている間にやる価値のある事って、一体なにがあるだろうか死ぬという避けられない結果が出ているのであればその過程でのあらゆる行為は平等に無価値で無意味ではなかろうかっ、て自分で書いててわからなくなったぞ俺
>自分の椅子を狙ってる人間がいないのなら>別にそれでもいいけどなどのみちあの世に椅子は持って行けない>死ぬという避けられない結果が出ているのであればその過程でのあらゆる行為は平等に無価値で無意味ではなかろうかっ、>て>自分で書いててわからなくなったぞ俺結局、価値は自分で見出して行くしかないのかなぁ
人間ってのは因と縁によって一時的に存在するように”見える”に過ぎない。いわば「渦巻」みたいなもんだ。水という実体はあっても渦巻という実体は無い。水の流れという実体によって表れた現象に過ぎない。渦巻が表れようと消えようと水の流れという実体には何も変わらない。人間も諸行無常な世界の変化の中で、一時的に表れた現象に過ぎず、実体などは無い。況してや生や死などますます実体の存在しない仮の出来事に過ぎない。
>と言って死にたいステージ突入したら早めに言わんとだめだぞある線越えると意識が無くなるか最早自分ではなくなるからな
宗教指導者というのはほとんどが巧妙な悪人だけど信者には聖者に見えるそれと死というものも見る人にょってイメージはかわるものですよ
>人間も諸行無常な世界の変化の中で、一時的に表れた現象に過ぎず、実体などは無い。>況してや生や死などますます実体の存在しない仮の出来事に過ぎない。そのうえ「空亦不空」なんても言ってるからなんだかタチの悪い冗談のような気がしてくるんだ仏教が、ではなく、存在が
自分の人生に自分で見いだす価値は自己満足に過ぎない自分の人生に他人が見いだしてくれる価値は、自分にはどうしようもないだからまあそう気にすんなとしか
>自分の人生に自分で見いだす価値は自己満足に過ぎない>自分の人生に他人が見いだしてくれる価値は、自分にはどうしようもない>だからまあ>そう気にすんなとしかんだんだ価値がない=意味がないってのもあまりに短絡的じゃないかそう思うようになった
お前らがそんなだからゲーテさんが死ぬ直前に「もっと光を」なんて言わなきゃいけないんだよ
生まれてきたかったから生まれたんだろ。死後の世界に持って行きたい物があるから生きるんだ。物質ではなく精神的な物を。死んで終わりだと思ってるなら改めた方がいい。間違いなく霊は存在する。まぁほとんどの奴は還暦迎えたらなんとなく分かるそうだが。
>死んで終わりだと思ってるなら改めた方がいい。人生は霊的成長のための修業の場だとかなんとか俺も死後の世界とか生まれ変わりは信じているけどその霊的成長ってのがわからんのです成長ってなにさ?成長の果てにどこに辿り着けるの?どこか行き着く先があるのか?
次元ってあるじゃない俺たちはx,y,zの三次元を生きているのではなく時間軸の座標tを移動する四次元の存在なんだそうだ一次元の存在には幅という概念がなく二次元の存在には上という概念がなく三次元の存在には時間という概念がない四次元の俺たちには時間の経過は認識できるが―――
もしも俺たちが怖れる「死」が五次元以上の次元での変化や移動のことだったら認識することはおろか想像することも全く不可能なのは当然なのではないだろうかそして五次元以上の次元での変化や移動とは俺が死んだとき俺はこの時空に依拠する身体を残して(空間も時間も全くこの宇宙に関係ない)別の宇宙とかあるいは別の宇宙よりもっと別などこかへ生まれているということなのかもしれないとそんなことを考えてみた
>一次元の存在には幅という概念がなく>二次元の存在には上という概念がなく>三次元の存在には時間という概念がない>四次元の俺たちには時間の経過は認識できるが―――なんか思考のループにはまった人の話を思い出した「自分」とは実は「精神」と「容器」によって成立していて、それを発見したもう一人の「自分」も同じ「精神」と「容器」によって成立していて、それを発見し、、、、以下永遠ループ
>「自分」とは実は「精神」と「容器」によって成立していて、単に、ある次元はひとつ上の次元からなら全体像が見渡せるということについて考えてみただけだよもちろんこれは科学でもないし宗教でもないしトンデモに影響されたわけでもなくただの空想遊び
>ただの空想遊びあ、気を悪くしたらすまんおれは言葉遊び的におもしろいなと思った
価値に意味を見出してどうするしかもそれの価値観を他人と共用するとかできるとか人間の分際で舐めたこといってんじゃねえよ自分の価値は自分で決めるわ
>自分の価値は自分で決めるわ超人さんは生きる意味を見いだせたんですかね
>自分の価値は自分で決めるわしかしそれは世界で自分一人だけの狭い価値でしか無いその人物がどれだけの価値があったか評価するのは他人や社会
心臓の検査中に心臓が止まりかけた俺に言わせて貰えば、死は無になるだけ。鼓動の間隔が広がっていき(あれ?)と思ったとき意識が消えて行き(あ、俺死ぬ…)となった。そのまま真っ暗…暗黒…何もない…時もない…。心臓が止まれば脳に血が行かないんだから何も考えられない。その後心臓が動いて脳に血が周り意識が戻る。医者「○○さん、大丈夫?今どうなったか分かる?」俺「心臓が止まりかけました…」死後の世界なんかない。無だけ。
心臓が止まって死後の世界を体験した奴もいる訳だし、個人的経験はその個人にしか意味はないんじゃねえの
>しかしそれは世界で自分一人だけの狭い価値でしか無い>その人物がどれだけの価値があったか評価するのは他人や社会俺がいなくても勝手に動いてるものに対してなんで評価をもらわなくちゃいけないんだかってにやってろって俺もルールに外れないように勝手にやるから
今日自分が死んだら周りの人はどういう反応を示すのか考える両親、兄弟、友人、同僚、好きな人、嫌いな人明日はどうだろうか3日後はどうだろうか一週間後、一ヶ月後、一年後、十年後、彼らは自分のことを覚えていてくれるだろうか自分は彼らの記憶に残れるような存在になれているだろうか
それは実際に死ぬまで体験できない。死んだら考えることさえ出来ない。よって死について考えてもしょうがない。って誰かが言ってた。俺はまあそうだよなと聞いてて思った。
>死んだら考えることさえ出来ない。>よって死について考えてもしょうがない。死後についてはそれでもいいだろうが、死に方については考えた方がいいと思う例えば不慮の事故に合わないようにするとか健康に気をつけるだって結局は死に方を考えるに繋がるのではないか
自分が死んだ時に、 「俺の人生よかった」って思えれば何でもいいんじゃないか?
私は人生に負けた、そもそも勝負すらしなかったコマやブランド品のたぐいとしてしか見てもらうこともなかった
遺産相続して3億以上あった貯金が8000万円を切って本格的に人生がやばくなった
どこのだれが死のうが自分には関係ないと思う
今生きてるやつが「死」を考えてどうする生きれるだけでも人生ハッピーでしょ?
>どこのだれが死のうが自分には関係ないと思う加藤智大の自爆型犯罪みたいなのに巻き込まれないならな
つーか、スレ画の人自殺したの?
>今生きてるやつが「死」を考えてどうする>生きれるだけでも人生ハッピーでしょ?
>「俺の人生よかった」>って思えれば何でもいいんじゃないか?はたしてそう思えるとしあきが何人いることやら・・・
>No.3890978 >No.3894782死ぬのがますます恐ろしくなる
>はたしてそう思えるとしあきが何人いることやら・・・殆ど居ないだろうなでなければ不特定多数の他人に対して声高に「一人が気楽で自由」「独りで生きて独りで死ぬ」なんて宣言しない
案外死が怖いっていうのは自らのつながりが消えることに恐怖を感じるからかもしれないだから人は他人の中に自分を探すんだよでももし誰の中にも自分がいなかったら苦しいだろうねだから死を選ぶ人が多いのかもしれない誰かの中に自分がいれば死んで消えてしまいたいとはあまり思わないはずだよ結局自殺者が多いのはこんな孤独な社会のせい
自殺するなら思い入れのある場所で
ゆとりの世代ってどうなんだ?
死が無だというなら、今のこの時は有なのかそもそも死というものと生というものの違いがわからないだから何時死ぬとしても、何の感慨も無いかもしれない
理想も実行も、将来も過去も、希望も後悔も、悉く今日に在り国木田 独歩
理想の死に際
どうしてこう現実という奴は灰色なんだろうなただ、灰色から別な色に変える可能性を持っているのはやっぱり現実だけなんだよなぁこんな複雑な事象が絡む時代だからこそ道端の石ころや廃屋に価値を見出す古の詩人、俳人達の様に人生に価値を見出したい物だ
>殆ど居ないだろうなあー、両方嫌だなぁいちいちリアルで他人にケチつけんのも嫌だけど嫁の実家から仕送りしてもらって守るも糞もねー!あー、嫌だー!こんな風になりたくねー!俺は誰とも関わらないで生きて生きたいよー!
>「一人が気楽で自由」「独りで生きて独りで死ぬ」でもこれが生物の基本なんだよね。例え群を作る動物でも死ぬ時は独り。死ぬ時まで誰かと関わりたいなんて文明を持ってしまった人間の驕りなのかもね。
>死が怖いっていうのは自らのつながりが消えることに恐怖を感じるからかもしれないおそらくそうなんだろうな。ただそういう欲望、妄執に囚われるのも恐ろしい。執着から解かれて静かに死にたいものだ。
>死ぬ時まで誰かと関わりたいなんて文明を持ってしまった人間の驕りなのかもね。群れで生きるイワシや巨大な蟻塚を築くシロアリよりさらに他者との関係が濃密な社会で生きる事を選択した人間のうんめ〜なんだな
>どうしてこう現実という奴は灰色なんだろうな>ただ、灰色から別な色に変える可能性を持っているのは>やっぱり現実だけなんだよなぁ中立である、という意味なら現実は灰色だな盲人には真っ暗闇、色盲ならモノクロに見えるように現実はいつでも、それを見る自分の視点次第なんだ運命を呪うな、ヘレン・ケラーは自らを「世界一幸福な少女」であったと語ったのだから
>>自殺はマジギャンブル>生きるのもギャンブルだぜ むしろ受精した瞬間からギャンブル
>「一人が気楽で自由」「独りで生きて独りで死ぬ」愛ゆえに、人は悲しまねばならぬ。愛ゆえに、人は苦しまねばならぬ。
あまりにも突然に昨日は砕けてゆくそれならば今ここで僕が何かを始めよう僕が何かを始めよう
おそらく誰の記憶にもとどめられずすぐに埋もれていくようなものだけれど、束の間でも形になるものをこの世に送り出せただけでオレは満足だわまだまだやりたいことはあるけど、いま死んでもそれほど後悔はないかもしれんオレは駄文物書き
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。byバルザック
誰一人知る人もない人ごみの中をかき分けていくときほど、強く孤独を感じるときはない。byゲーテ
大霊界でも見とけ
33万人てのはのべ人数だろ?2,3回自殺してる人も含めた数字だと思う。
>大霊界でも見とけ当時の丹波はエマニュエル・スウェデンボルグの霊界日記の影響を受けまくってて、この映画はほとんど教材みたくなってるのがな面白いと思うかどうかは人それぞれだが
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