2010年02月09日
南洋貿易と牛津
今夜は牛津の赤レンガ館へ行ってきました。
牛津川が流れる牛津はかつては大阪の堺に匹敵するほどの商都だったそうです。
その名残が牛津のあちこちに残っているのですが、赤レンガ館もその一つです。
ちょっとした打ち合わせを終え、気になっていたことについて質問してみました。
「南洋貿易って会社についてなんですが・・・」と質問を始めると、「それはここですよ!!」と言われてしまいました。
玉屋というデパートがあるのですが、その発祥は牛津です。江戸時代、間口が17間(30メートル)の豪商であった田中丸呉服店が玉屋の元になっています。
1881年(明治14)生まれの田中丸善蔵は大阪の伊藤忠や紅屋に見習い奉公に出され商人としての経験を積み、門司、久留米支店を開店させ、さらに佐世保海軍工廠への物品の納入を手掛けました。
第一次世界大戦が始まり海軍が南洋群島を占領すると、 善蔵は直ちに南洋貿易に着目し、グアム、 ヤップ、 パラオ、 トラック、 ポナペなどを回り貿易視察をして回ったそうです。
そして南洋貿易株式会社の社長に就任したのですが、結果的にはこの貿易会社の経営は失敗に終わります。
もし成功していたら・・・
南洋貿易についてはまた調べてみたいです。
そして今度は、牛津へは昼間に行って、あちこち写真を撮ってこようと思います。
牛津川が流れる牛津はかつては大阪の堺に匹敵するほどの商都だったそうです。
その名残が牛津のあちこちに残っているのですが、赤レンガ館もその一つです。
ちょっとした打ち合わせを終え、気になっていたことについて質問してみました。
「南洋貿易って会社についてなんですが・・・」と質問を始めると、「それはここですよ!!」と言われてしまいました。
玉屋というデパートがあるのですが、その発祥は牛津です。江戸時代、間口が17間(30メートル)の豪商であった田中丸呉服店が玉屋の元になっています。
1881年(明治14)生まれの田中丸善蔵は大阪の伊藤忠や紅屋に見習い奉公に出され商人としての経験を積み、門司、久留米支店を開店させ、さらに佐世保海軍工廠への物品の納入を手掛けました。
第一次世界大戦が始まり海軍が南洋群島を占領すると、 善蔵は直ちに南洋貿易に着目し、グアム、 ヤップ、 パラオ、 トラック、 ポナペなどを回り貿易視察をして回ったそうです。
そして南洋貿易株式会社の社長に就任したのですが、結果的にはこの貿易会社の経営は失敗に終わります。
もし成功していたら・・・
南洋貿易についてはまた調べてみたいです。
そして今度は、牛津へは昼間に行って、あちこち写真を撮ってこようと思います。