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【さらば革命的世代】第2部(6)京大応援団長の青春 対立の果てに見たもの (3/4ページ)

2008.10.9 21:05
このニュースのトピックスさらば革命的世代
学生運動最盛期の京都大学。時計台が封鎖され、全共闘学生らが立てこもった学生運動最盛期の京都大学。時計台が封鎖され、全共闘学生らが立てこもった

 

市役所で見たもの

 逆に“体育会的”な視点で彼らを見ていた阿辻さんには忘れられない出来事がある。ゼミの指導教授だった国際政治学者の高坂正堯教授(故人)の研究室が破壊されたときのことだ。

 学生たちは当時、沖縄国際海洋博のブレーンを務めていた高坂教授に「資本主義、大企業を喜ばせるに過ぎない」などと主張して公開討論を要求、応じた教授は、時計台広場でマイクを持って討論に臨み、堂々と彼らを論破した。ところが、その翌日、学生らはゲバ棒を手に研究室を襲撃、使い物にならなくなった部屋を見て、高坂教授は「卑怯(ひきょう)千万」と悔しそうにつぶやいたという。

 阿辻さんは「全共闘は議論することが大事としていたのではなかったのか。この一件はさすがに怒りに震えた」と話し、さらにこう続けた。

 「彼らは当時、『既成の概念、既存の権威を破壊しないことには前に進めない』と繰り返していた。だが彼らが壊したのは、そんな大層なものだったのか。私はむしろ応援団長として、旧制三高や京大の寮歌のような身近な伝統を守りたかった」

 その後も応援団員が増えることはなく、阿辻さんは内定していた大手都銀への就職を取りやめ、あえて留年した。団の行く末が心配だったからだ。OBらを訪ねて活動資金を調達し、部員勧誘に走り回った。やがて学生運動が下火になり始めると、何人かの後輩もできた。活動を軌道に乗せたところで卒業し、就職先に大阪市役所を選んだ。

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学生運動最盛期の京都大学。時計台が封鎖され、全共闘学生らが立てこもった

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