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【さらば革命的世代】第2部(5)「民青」の宮崎学さん 「まるでファッションだ」 (2/4ページ)
このニュースのトピックス:さらば革命的世代
■怖くなかった
京都の暴力団組長の息子として育った宮崎さんを学生運動に導いたのは高校時代の家庭教師だった。左翼思想を押しつけるわけではなく、「教科書なんか読まなくていい」と、フランス革命をテーマにした岩波新書を勧めた。当時の彼の言葉を宮崎さんは今でも覚えているという。
「革命はいつの時代にも起こる。人間は革命の時に自分はどこに身を置くか、必ず問われる。その時に悔いのないようにしろ」
多くの学生が全共闘に流れる中で民青に入ったのも彼の影響が大きかった。「日共の戦前戦後の歴史を知れば、彼らのほうが相当過激な運動をやっていたことがわかる。当時は逆に全共闘が時代遅れのような気がした。まるでファッションのようだと冷めた目で見ていた」
幼少期から地域の不良グループと“抗争”を繰り返していたという宮崎さん。全共闘との対立でも「危ない局面は何度かあったが、子供のころのケンカのほうが怖かった。ナイフ持ったヤツがごろごろしていたからな。全共闘は無謀な日本軍のインパール作戦みたいに突っ込んでくるだけで怖くはなかった」
ただ、日共中央は「正当防衛」以上の暴力は決して認めず44年3月、早大の卒業式を妨害した民青の一部学生が相次いで党籍を除名された。宮崎さんはその中に含まれていなかったが、「あほらしくなって」党から離れていった。