遺影を抱えた船越の目に涙がにじむ。葬儀・告別式は11日午前11時から熱海市の保善院で営まれ、約150人が参列。国家公務員の夫が「彼女は幸せでした」と喪主あいさつをすると、船越は沈痛な表情のまま何度もうなずいた。母は体調不良のため、欠席したようだ。
神奈川県警小田原署の調べによると、洋子さんは7日午前7時15分ごろ、「旅荘船越」のはなれで首をつって死んでいるのを家族が発見し、通報。遺書はなかったが、遺体の状況などから自殺と断定された。8年以上前からうつ病を患い通院していたという。夫との間に子供はいなかった。
船越は訃報を受けた7日、松本清張シリーズのドラマ撮影のため京都に滞在。しかし、10日に保善院で営まれた通夜にも、夫人で女優の松居一代(52)とともに参列した。告別式後には再び京都へ。2時間ドラマの帝王と呼ばれる人気者ゆえの悲しきUターンとなった。
洋子さんは日大短期大学部を卒業後の1983年、俳優で父の故英二さんと母の琴子さん(元女優、長谷川裕見子=85)が経営する「旅荘船越」入り。俳優に専念した兄に代わる決断だった。90年には経営者兼女将に就任。湯河原温泉おかみの会会長なども務めたが、責任感の強さにくわえ重労働があだになったのか、9年ほど前にうつ病を発症、通院を始めた。
その後、一時回復し、2006年には闘病経験を元にした小説「梅一夜」が第5回湯河原文学賞最優秀賞を受賞。旅館の経営も続けていたが、昨年10月いっぱいで閉館した。
8月には最後のブログに「うつ病が悪化の一途をたどり、自分で自分の命のコントロールさえできなくなってしまった。それでも、万が一にも自分から命を絶つような愚かな行為に走らないために決断しました。病気を治すための前向きな廃業です」と綴っていたのだが…。
病と闘いながら旅館を守り、地域のために働き、小説も書いた洋子さん。ショックのあまりかコメントを避けた船越だが、誇りに思える妹だったに違いない。